9.跡を付ける、付き纏う、待ち伏せする(逃げても無駄)  -俺の友達が凄まじいヤンツンデレで困っている件-

 柏木と恙無くホテルでキャッキャッとカラオケやカレーやソフトやローション風呂を満喫したけども、俺はローション風呂で思い切りずっこけて腰を強打するし、柏木は調子に乗ってソフトとカレーをたらふく食べて腹を壊し、ベッドとトイレの往復を余儀なくされた。それでも、充分週末を楽しんだ翌週の大学で、俺は地獄よりも深い底まで落ち込んでいるような、不機嫌と怒りをだだ漏れにしている都築と鉢合わせた。
 と言うか、恐らく都築が待ち伏せしていたんだと思う。
 そうじゃないと今まで会いもしなかったのに、こんなところで偶然に出会うはずがない。
 此処が何処かって?都築が取っていないはずの講義がある大講堂だよ。
 何時もの取り巻きも怖がって近付かないほど不機嫌と怒りのオーラを垂れ流す都築に、できれば俺だって他の連中と同じぐらいビビッてんだからなって言えたらただの負け犬になると思ったからこそ、俺をジロジロと見下ろしてくる不機嫌の塊を無視して参考書を開くふりをする。
 何も言わずにこんな風にジロジロと凝視されることは慣れているけど、それは都築の機嫌がいい時ばかりだったから、今回みたいにこんな風に、うっかり口を開いたら秒殺で殺されるような雰囲気は知らない。

「…ッ」

 俺に聞くこともなく真横にドカッと腰を下ろした都築は、机に片手で頬杖を付いて俺の顔を覗き込むように凝視していたけど、不意に何かに気付いたらしく、その途端、さらに不機嫌さに磨きがかかる舌打ちなんかしやがった。
 都築が何に気付いたんだろうと首を傾げかけて、ああそうか、首筋のキスマークに気付いたんだなと思い至った。
 そうそう、あのホテルで既成事実を作ろうぜと笑えることを言った柏木が、思い切り俺の首筋に吸い付いたんだっけ。気持ち悪いし痛いしで、二度とするなよと言って一発殴って柏木はベッドに沈んだけど、アイツは実は都築並みの女好きで完全なヘテロだから、えーっとノンケとも言うのかな、完全な異性愛者だから俺を好きになることは万が一にもありませんと泣きが入っていたっけ。
 当たり前だっての。都築みたいなバイなんてそうそういないって。
 週末のことに思いを馳せていたら、都築が俺を殺してしまいそうな目付きで凝視しているのに気付いて、ああ、そう言えばコイツまだ隣りにいたんだと溜め息が零れ落ちた。なんだ、今日はこの不機嫌俺様傲慢御曹司と机を並べて学ばないといけないのか?
 絶対無理だろ、これ。そもそも都築は取ってないだろ、この講義。
 でも、絶対に俺からは話し掛けないって決めてたから、都築なんか空気、横にしこたま厚い空気の層があって、俺はその息苦しさに参っているただの人間だ。
 ふぅ…と息を吐いて、気怠げに小首を傾げるようにしてから、折角柏木が捨て身の技で付けてくれたキスマークを都築に見せつけながら、もう俺はお前の相手はしないからとっとと何処かへ消えてくださいのオーラを如実に出してみせた…のに、じっとキスマークを凝視していた都築の喉仏がゴクリと上下したことに気付いて、あれ?これはもしかして拙い展開になるんじゃないのと俺が懸念し始めたその時、不意に教授が室内に入ってきた。
 それほど多くの人はいないものの、結構人気の講義だし内容も奥深くて俺は大好きなんだけど、傍らに都築が居たんじゃ今日の講義は頭に入らないだろうなと思った。後で知り合いにノートをコピーさせてもらうか。
 傍らを気にしつつ時折痛む腰を擦り擦り静かに講義を受けている俺の横で、都築のヤツは「別に処女に拘ってるワケじゃないけど…」とか「処女なんて面倒臭いだけだから…」とか「初めてを他の男で済ませるヤツも多いし…手がかからないだけいいんだ」などなど、凡そ講義には全く関係のないことを自分に言い聞かせるようにブツブツ言って、今日は妙に密度の高い俺の周りに座っている男子学生の顔色を青褪めさせて、女子はなぜかキャアキャア言ってる。
 なんだ、コイツら。

「お前が柏木がいいと言うのなら、アイツと寝たことは許してやる。だけど、1回だけにしておけ。それと、オレを無視するのはやめろ。GPSもカメラも盗聴器も外すな。アプリも全部消したんだろ。スマホを寄越せ」

 不意に仏頂面で何も言わなかった都築がそんなことを吐き捨てて、傲慢に腕を差し伸べてきたから、俺はちょっとだけ振り返ってムッと唇を尖らせて見せた。

「俺が誰と何度寝ようと、誰を無視しようと勝手だろ?それに、俺が無視したのは百目木じゃなかったか?お前になんか興味もない。お前には先生がいるんだから、もう俺に関わって欲しくない。俺の監視もやめて欲しいし、もうスマホも勝手に見て欲しくない」

 キッパリと宣言したら、都築は少しだけ目を瞠って、それから猛烈な憤りを潜めた色素の薄い双眼を細めて、ギリリッと奥歯を噛み締めたみたいだった。
 俺から拒絶されるなんて思ってもみなかったんだろう。
 何時も勝手に見ていたスマホも、お前には見せたくない大事なメールがあるからと、問答無用で伸ばそうとした手を拒絶して両手で隠したら、都築はふと、まるで捨てられた犬みたいな心許無い奇妙な表情で俺の手許にあるスマホを見据えていた。

「お前、もう本当にオレから離れるつもりなのか?別にオレにセフレがいるのは何時ものことだろ。どうして…」

 何時もは俺の顔を凝視してるくせに、相変わらずブツブツと呟くように言った都築は、その視線を俺の手許で固定している。
 そんなに俺のスマホが見たいのか…でも、そうだよな。都築は俺んちにくると必ず、まずは俺のスマホの確認をして、何もないとホッとしたように自分のスマホを片手間で弄りながら、俺が夕飯の支度をしているのを面白くもないだろうにじっくり観察するのが日課で、そしてその空間が好きみたいだった。

「都築さぁ。正直言うと、俺はセフレとかそう言っただらしないヤツは大嫌いなんだ。お前は注意したって聞かずにズカズカ俺の領域に入ってきたから、仕方なく受け入れていただけだけど、できれば関わりたくないと思ってる」

 俺が嘘を交えて言うと、都築は漸く俺の顔に視線を戻した。
 別に俺は誰が都築のセフレだって構わない。それこそ、興味もない。
 ただ、たまに俺んちに来てごろんっとしてる姿を晒してくれるなら、別に何がどうってことは何もないんだよ。
 でも、俺はなぜか先生とだけは嫌だと思ったんだ。先生と都築が出来てるのなら、もう俺の傍にはいて欲しくない。

「それに、先生が本命だったんだろ?」

 クスッと小さく笑って言うと、都築は無言のまま、その俺の顔をまじまじと凝視している。

「一時期、付き合ってただけだ…」

 少し掠れた声で言い募る都築に、だから、そこが大事なんだろと内心で舌打ちしたくなった。
 セフレと遊ぶだけ遊んで、恋人なんて作ったこともないのは、その最初の初恋を引き摺っている証拠じゃねえか。

「まあ、どちらにしても俺にはもう関係ないことだから、出て行ってくれないか」

 俺はノートを取りながら片手を振って、もう都築の顔はみないようにした。
 男前でイケメンの見栄えのいい面は、今は物静かに押し黙っている。
 俺の全力の拒絶を、今更ながら、漸く都築は気付いたみたいだった。

「お前はオレのソフレじゃねえか」

「…それはもう、解消しただろ?」

 暗に行為を仄めかすように言い返した途端、いきなり都築が立ち上がって、それから何かをポケットから出すと俺に投げ付けてきた。
 突然の凶行に一瞬大講堂内がざわついたけれど、周囲のことなんか気にも留めない俺様御曹司の都築は舌打ちしたまま俺をギリギリと睨み据えてから、何も言わずに出て行ってしまった。その都築の背中を呆気に取られたように見送った俺は、さっき、都築が俺に、それでも当たらないように気遣いつつ投げ付けたものが何だったのかを見ようとして、それから思わず笑ってしまった。
 可愛い月と星のキーホルダーが揺れる、それは俺の家の新しい鍵と都築んちの鍵だった。
 アイツ、自分んちの鍵を投げ捨てて行ったのかと最初は思ったけど、よく見れば、俺んちの鍵も都築んちの鍵も、両方とも真新しい。どうやらあんなクソみたいなメールを送って俺を怒らせたくせに、合鍵を渡すつもりでいたみたいだ。思わず笑っちゃうだろ。
 こんなのは、先生に渡せばいいのに…手の中でチャラッと涼しげな音を立てる真新しい2本の鍵が、ご主人たちとは別次元で仲が良さそうに寄り添っていた。

□ ■ □ ■ □

 俺が都築に投げ付けられた鍵をどうしたものかと思案に暮れて大講堂を後にしてから、それからの行く先々に都築と先生の姿があった。
 別に避ける理由もないんだけど、今はちょっと見たくないなとか思いながら、ポケットの合鍵たちをギュッと握って避けているのに、どうしてかまた、その先の講堂でバッタリと鉢合わせてしまう。
 都築は俺を何の感情も浮かべていない冷めた双眸でチラッと見たぐらいで無視したけど、都築のお相手の非常勤講師はそうじゃなかった。彼は冴え冴えとした雰囲気の眼鏡が良く似合うハンサムで、中肉中背以外の俺との共通点を見つけることはできなかった。

「こんにちは、篠原くんだよね?」

 都築から聞いているのか、冷たそうな美貌にうっとりするほど綺麗な笑みを浮かべて、なるほど、これじゃ都築じゃなくても参るよね。

「こんにちは、河野先生」

 俺が律儀にぺこりと挨拶をすると、先生はクスクスと悪気なく笑って、本当に可愛らしいねと都築に相槌を求めている。都築のヤツが俺なんかを可愛いとか思うワケないだろ、なんだコイツ、と俺が白けていると、都築は俺をチラッと見てから、あからさまに嫌そうな顔をして先生の腰に腕を回した。

「もういいだろ。早く行こうぜ」

「あ…でも、まだ」

 先生が慣れ親しんだ腕に縋るように身を寄せながら何か言おうとクスッと笑うと、不意に都築は優しそうな表情をして先生の頬に唇を落とした。
 何時もの俺に見せ付けるキャッキャッウフフフにうんざりしたけど、最初から白けてるワケだから何も感じずに、「それじゃあ、失礼しまーす」と投げやりに言ってその場を後にした。ちょっと都築の舌打ちが聞こえたような気がしたけど気にしない。
 先生はしつこく食い下がろうとしているみたいだったけど、小さく声を上げて、それから押し黙ってしまったみたいだ。
 都築と構内で平気でキスをするようなひとなんだから、この人も大概、爛れてるんだろうなあと思いながら、俺は背後の気配を素知らぬ顔のまま振り返りもせずにスタスタと歩いた。
 そう、そうして嫌な邂逅から逃れたと言うのに、次の講堂でもやっぱり鉢合わせてしまう。
 先生が訝しそうな顔をして都築の胸元に頬を寄せると、俺を警戒したように見てくるから…ああ、俺が付き纏っていると思い込んでいるんだ。そして、都築自身がそう思い込ませようとしているんだ。
 と言うことはこの先生は、都築のセフレに寛容なタイプではないんだなと思った。
 きっと、俺のこともセフレの1人だと思っているんだろう。
 だから、さっきのアレも本当は威嚇だったんだろう。
 俺は思い切りばったり出会っているにも関わらず、フイッと視線を逸らして、今度はもう挨拶もしなかった。って言うかさ、本当は先生さえ話しかけてこなきゃ、別に挨拶する必要なんてないんだよ。関わって欲しくないって、マジで。
 うんざりした気分で講義を終えて、次の講堂に行きかけて、俺の脚が自然と立ち止まった。この次の講義は都築も取っている。あの調子なら俺の横なんか座らないだろうけど、なんとなく嫌な予感がした。
 俺は回れ右をして、この次の講義はふけることにする。
 それで構内にある気軽なカフェでお洒落にお茶をしていると、本物の百目木がふうふう言いながら歩いてきた。

「どうしたんだよ?」

 アイスカフェモカのストローを齧りながら聞くと、俺に気付いた百目木がちょっと驚いたように眉を寄せて俺の前の椅子に腰を下ろした。

「どうしたって、お前こそ珍しいな。講義サボってるなんてさ」

「たまにはいいんだよ」

 ツーンッと外方向いて取り澄ましたみたいな顔をしてやると、百目木がケラケラ笑って買ってきたばかりのアイスコーヒーをブラックのまま飲んだ。

「それよかさ、聞いたか?」

「何を?」

 カップから氷を一欠けら口に含んでガリガリしながら首を傾げると、百目木のヤツは心底うんざりしたように首を左右に振ってみせる。

「都築のことだよ!アイツさ、新しい非常勤講師といたるところで乳繰り合ってるって噂になってんだよ。大学側にたんまり寄付金つかませてるからって、今の都築はやりたい放題だよな」

「ふうん、別にいいんじゃね?」

「ありゃ、篠原くん。冷たい」

「はは。だってさ、都築だぜ?今まで大学で盛らなかったことのほうが、俺には不思議に思えるね」

「ぶっは!それもそうか。篠原ってば達観してるな」

「そんなんじゃねえよ」

 カロンッと爽やかな音を響かせるカップを見つめながら、俺は誰にも聞こえないほど小さな声で、「だって好きなら四六時中だって傍にいて触れ合っていたいもんだろ?」と呟いていた。都築にしては珍しく、今は独りに絞っているみたいだし。

「おっと…」

 不意に百目木が言葉を噛むようにして視線を向けてきたから、俺は傍らに立つ人影に顔を上げていた。

「篠原くん、また会ったね。今は一葉と同じ講義の時間じゃなかったっけ?」

 薄らとやわらかく微笑む眼鏡の奥、けして笑わない双眸を見据えて、俺は素知らぬ顔で「腹痛で欠席でーす」とどうでも良さそうな言い訳を口にした。
 百目木は噂の美貌の非常勤講師をガン見して、これなら都築も参るよねと知ったような口調で納得していたけど、先生は別段怒った様子もなく、いきなり俺の横の椅子に断りも入れずに座りやがった。
 俺は失礼しまーすと言って立ち去ろうとしたけど、「話があるんだけど」と、先生の微笑の威圧に屈服して、上げかけた腰を下ろしてしまった。そもそも、これが間違いだったと思う。
 百目木は居心地悪そうだったけど、そこは俺の友人だし、情報通だからこれはとんでもないスクープではないかと、立ち去る気配はまるでない。お前は芸能記者になるべきだよ。
 まあでも、片や少し前まで都築がべったりしていた俺と、片や今の都築が夢中になっている新任の非常勤講師の顔ぶれだ。百目木じゃなくても、周りの連中が耳をダンボにしているのが雰囲気だけでよく判る。
 こんなところでいったいなんの話をしようって言うんだ。

「君、町工場の長男なんだってね」

「はあ、そうですけど」

「凄い田舎で、経営もうまくいってないんだとか?」

「…それが何か?」

「一葉に聞いたんだけど、君。ずいぶんと彼に懐いていたらしいね」

 その台詞にギョッとしたのは百目木だ。それと周りにいた学生たち。
 何故かって?都築の態度と俺の態度を四六時中見ていた連中には、いったいどっちが付き纏ってべったりしていたか判っているからだ。
 都築がそう言ったのかどうかは知らないが、先生はどうやら俺が、金目当てで都築に取り入っていると思い込んでいるみたいだ。

「別に俺はそれほどでも」

「あれ?じゃあ、一葉が君に懐いていたって言うの?君に??ふふ…」

 不意に先生は綺麗な顔を醜悪に歪めて、バカにしたように笑った。

「どちらにしろ、今はもう離れているんで安心してください」

 俺のモノの言い方が拙かったのか、先生はかったるそうに話す俺にお頭にきたみたいで、苛々したようにアイスティーに突き刺しているストローでガシガシと氷を掻き回しながらつっけんどんに言った。

「ユキくんならまだしも、別に君に対してそう言った意味で何か心配していることなんてないよ。ただ…」

 そこで言葉を切って、先生は都築とは違った感じで俺を頭の天辺から爪先までを、まるで値踏みするようにバカにしたように見つめてきた。

「君、お金に困っているんでしょ。だから、行く先々に現れて一葉を困らせてるんじゃないの?」

「…都築がそう言ってるんですか?」

「僕が聞いても何も言わないけど…困惑はしているみたいだね」

 我が意を得たりと言いたそうに嫌な顔で嗤う先生を見て、都築ってこう言うのがタイプなのか、じゃあ、自分がタイプじゃないって言われていたのは救いだったんだなぁと、どうでもいいことを考えて、ほぼほぼ先生の話は聞いていなかった。
 おおかた、都築の困惑の理由は俺がアイツの相手をしないからなんだろうけど。
 都築に付き纏われた段階で、陰口なんて日常茶飯事だ。
 確かに俺んちは貧乏だしな。でも、それで引け目を感じたことなんかないから、こういう場合は黙って嵐が過ぎるのを待つに限るんだ。

「ほら、一葉ってあのとおり無節操でしょ?だから、君に何か期待をさせちゃったのなら許してやって欲しいんだよね。御曹司だから言い寄ってくる人をいちいち相手にしていたら大変なんだよ。ねえ、判ってあげて?」

 俺が当初抱いた第一印象の『嫌いなタイプ』はドンピシャで当たってたみたいだ。
 こんなヤツと付き合う都築とは、もう本当にさよならできてよかったと思う。

「ですから、俺はもう都築とはなんの関係もないと言ってるでしょう」

「そうかなぁ…だって、君、付き纏ってるじゃない」

 なんだ、この人。
 都築に輪をかけたようなイミフな人だな。

「そもそも、一葉も悪いんだよね。来る者拒まず去る者追わずの精神で、誰でも彼でも手を出すから…一葉のお姉さまの姫乃さんも躾出来てないって言うか、そもそもあの人もお嬢様だからちょっと足らないところとかある人だから。見た目ばっかり良くても外面だけじゃ意味がないんだよね。一葉が大事にしてるから一目は置いているけど、僕はあのひとが嫌いなんだ。あんなひとの弟だから一葉も無責任で節操が…ッッ」

 そこまで言ったところで、先生は言葉を止めてしまった。いや、止めざるをえなくなっていたんだ。
 俺が飲みかけのカフェモカの残りを、先生の頭にぶちまけたからだ。
 ちょっと頭冷やせよ、おっさん。

「俺のことはとやかく言ってもいいですけど、都築が大事にしている姫乃さんのことは悪く言わないほうがいいんじゃないですか?仮にもあんた、都築と付き合ってるんでしょ。都築の悪口も俺なんかに言わず直接本人に言ったらどうですか。それに、姫乃さんはどこも足らないところなんてない、立派な人だ。姫乃さんに謝るんだな」

 空になったカップを近くのゴミ箱に投げ捨てて、俺はそれだけ吐き捨てるとその場から立ち去ろうとした、でもそれは叶わなかった。
 誰かにカフェで俺たちが言い合っていると聞きでもしたのか、まだ講義の最中だろうに慌てたように急ぎ足で来た都築が、蒼褪めてブルブル怒りに打ち震えている先生に驚いて、それから優しげに寄り添うと、いきなり俺に向かって声を上げたんだ。

「お前、先生にまでなんてことしてるんだ!」

 その恫喝は腹の奥がビリビリするほどの迫力で、一瞬、呆気に取られていた俺は唐突に我に返って、ムッと唇を引き結んで睨み据えた。
 俺は悪いことなんかしていない。

「別に!当然の報いだと思うけどッ」

 ギリッと睨み据えていると、不意に先生がワッと泣き出して「こんなのは酷い」とか「もう、ここには来られない」とかとか、都築の胸元に顔を伏せてわあわあ泣く先生はえらい恥を掻いたと恋人にサメザメと訴えている。まるで俺が悪者みたいな態度には苛々したけど、そんなことよりも、その先生の背中を俺がぶちまけたカフェモカで服が汚れるのも構わずに、大事そうに擦っている都築の吐き捨てた台詞に俺は愕然とした。

「報いだと?だったらお前も、先生に恥を掻かせた報いを受けるんだな。お前は停学にしてやる」

「な、なんだよ、それ…」

 いくら御曹司で多額の寄付をしているからって、まさか都築にそこまでの権力なんかあるワケないだろうと、高を括っていた俺は甘かった。

「そんな都築、篠原は何も悪くないぞ…!」

 百目木だけじゃなくて、その場にいた全員が俺の味方だと言うことも癇に障ったのか、都築はワンワン泣く先生の肩を大切そうに抱き締めて、それから俺を憎々しげに睨み据えてきた。

「覚悟しておけ」

 他の連中が酷いと言って止めようとするのを腕を振り払って聞き入れようとしない都築は、とんだ色ボケ野郎だと呆れ果てて声も出ない。
 でも、都築の言葉が持つ本当の意味を、俺はそれからすぐに思い知ることになった。

□ ■ □ ■ □

 まず、本当に一週間の停学処分になった。
 理由は実に曖昧で、こんなことで停学になるのかよと驚くべき、教員に対する侮辱罪だとかなんだとか、こちらの言い分は何ひとつ聞き入れてもらえず、そのまま学生課に行って処分の行使を受けることになった。
 本当なら弁護士とかに相談したらいいのかもしれないけど、そんな金もないし、あの都築グループを敵に回してまで俺に味方してくれる弁護士なんていない気がする。
 停学だけなら俺の心も折れなかったけど、俺は次の日のバイトに行ってクビを言い渡された。そちらもやっぱり、たいした理由なんかなかった。日頃の態度が悪いとか何とか…店長は歯切れが悪く言わされている感満載で、近くにいた同じバイトの女の子がなに言ってるんだ、篠原が辞めたらてんてこ舞いだって助言してくれたけど、店長には俺を辞めさせないといけない理由があったようだから、俺は素直に「今までお世話になりました」と頭を下げて居酒屋を後にした。
 店長は引き止めたそうにしていたけど、そこは大人の事情があるんだから、仕方ないよな…
 家賃とか諸々はどうにかなるぐらい貯めこんでいる貯金があるから何とかなるけど、この調子だと、何処に行っても雇ってもらえないだろうな。コンビニとか倉庫の方も例に違わずクビを言い渡されていた。
 最も辛かったのは、停学明けで大学に戻った時、なぜか俺が悪人扱いされていたことだ。
 大好きな教授からも嫌なものでも見るような目付きで、反抗的な生徒だとレッテルを貼られてしまったらしい。
 俺の味方をしてくれていた学生も、どうやら都築が何らかの手を回したのか、みんな申し訳なさそうに眉を顰めるものの、口を開こうともせずにそそくさと立ち去ってしまう。
 …ノートのコピー、どうしよう。
 ベンチに座ってぼんやりそんなことを考えていたら、唯一変わることのない百目木があたふたと近付いて来て、俺の隣にドカーッと重い腰を下ろしてしまった。

「よお」

「はは、湿気ちゃった面してんね」

「都築にやられちゃったよ。金持ちを怒らせると怖いね。お前もあんまり俺と一緒にいないほうがいいんじゃねえの?」

「俺はいいんだよ。天涯孤独だしな。就職難になったら2人でニートになろうぜ」

 ハハハッと大らかに笑う百目木だけが頼りだなと思いながら、そっか、百目木んちは一昨年、百目木以外の家族全員が自動車事故で亡くなったんだったな。

「俺、悪いことなんかしてないと思ってるんだけど。ちょっと自信なくなってさ。あそこまでしなくても良かったのかなとか思ったりもするんだけど、でも、やっぱり腹立たしくなって、こんなことならもっと暴れてやればよかったと思ったよ」

 そんでメンヘラ認定でも受けて退学したほうがいっそスッキリしたかなと言ったら、珍しく百目木がご立腹で俺の脇腹を突いてきやがった。脇腹はやめて、弱いんだ。

「せっかく入った大学なんだから、理不尽なことで退学してやるなんて言うな!お前は悪いことなんかこれっぽっちもしてない。寧ろ、胸を張れ。都築はお前に感謝するべきなんだから」

「はは…そうかなぁ」

 百目木の賞賛と激励は嬉しかったけど、明日からバイトもない身分でちゃんと大学通えるかなぁと不安になっていたら、スマホに着信があった。
 誰だろうと首を傾げて見ると、どうやら実家から掛かってきたみたいだ。
 俺は百目木に実家からだって言うと、ヤツはそんじゃ俺は講義に出るよと手を振ってそこで別れた。

「もしもし?俺だけど、どう…」

 電話口の義母ちゃんは泣いているみたいだった。
 聞けば、腰を痛めた親父が入院中に、突然順調だった取引先から急な打ち切りの連絡があったとかで、親父は腰の痛みをおして相手方に交渉に行ったけど、曖昧に濁されて追い返されてしまったんだそうだ。
 このままだと不渡りを出すからと銀行に行こうとした今日、いきなり残りの取引先からも同じように打ち切りの連絡が来て、親父が倒れてしまったんだと言う。
 俺は真っ白な頭で義母ちゃんに大丈夫と意味のない言葉を繰り返して電話を切ると、その足で都築を捜すことにした…とはいえ、目立つヤツだからすぐに見つかった。と言うか、見つかるようにわざと待ち構えていた感じがする。
 華やかグループの連中と暢気に賑やかに談笑している都築の前に行って、俺はギュッと拳を握り締めた。殴り倒してやりたい気持ちは充分だったけど、それでも今は親父の取引先を何とかしないといけない。

「お前なんだろ?」

 俺の顔を見ようともしない都築は俺を無視していたけど、ある程度したところで、まるで今気付いたとでも言うようなわざとらしさで皮肉気に嗤った。

「なんのことだよ?」

「俺のことはどうでもいい。大学を辞めろって言うなら辞める。でも、親父の会社までは手を出さないでくれ」

 できるだけ感情を表さないように努めながら、俺は掌に合鍵たちを握り締めて言った。俺の言っていることが判っているだろうに、都築のヤツは怪訝そうに眉を顰めて、それから小馬鹿にしたように言い捨てた。

「町工場が潰れるぐらいなんだよ。あんな大勢のいる場所で恥を掻かされた先生のほうがもっと可哀想だ」

 十数人の工員たちより都築がお気に入りの1人の人間に重きを置く物言いには溜め息が出るが、今はコイツしか頼ることができないのだから、俺は唇を噛み締めて怒鳴り出したいのをグッと耐えた。目の下の皮膚がぴくぴくと痙攣したのを感じた。

「…俺が悪かったから、工場までは許して欲しい」

「それがひとにモノを頼む態度か?日本人らしく土下座でもしてみろよ」

 都築は冗談のつもりだったのかもしれないけれど、背に腹は変えられず、切羽詰っている俺はその場に跪き、それから両手を地面につけて額も一緒に擦り付けた。

「お願いします。工場は助けてください」

 俺の土下座に都築の視線は冷ややかだったけど、周囲の反応は凄かった。
 それぞれが、「うっわ!」だとか「ホントにやったよッ」と騒いだり、「あたし、生土下座初めてみたわ。ウケル」と言って指をさしながらゲラゲラ嗤われたけど、こんなのどうってことない。大丈夫。親父の工場さえ助かるのなら、俺の安っぽいプライドなんか幾らでも捨ててやる。

「ふうん、必死だなぁ。じゃあ、先生にもそうやって謝ってやれよ。先生、トラウマになっててカフェに行けなくなってるんだからさ」

 それはきっと、この件が公に知られているから、本当のことがバレるのを嫌ってるからに違いないとは思ったけど、俺はギュッと唇を噛み締めた。土下座したままで、額を地面に擦り付けたままで、俺はそれでも嫌だと拒絶した。

「それは嫌だ。俺は認めたくない」

「はー?お前、自分の立場が判ってるのか。このオレを怒らせてるんだぞ。オレがやれと言ったらやるんだよ」

「…いやだ。俺は認めたくないんだ」

「あっそ、別にいいけどね。オレには痛くも痒くもない話だしさ」

 ゆっくりと顔を上げて、俺は絶望したように都築を見た。
 先生に、俺が謝ってしまえば、俺まで姫乃さんをバカにしたことになる。それは、それだけは絶対認めたくないのに…

「何をしてるんだい?」

 不意に軽やかな口調で諸悪の権現が姿を現すと、都築は甘ったるい表情をして、これ見よがしに先生の腰を片腕で抱き締めた。

「コイツがさ、先生に謝りたいんだって。それで許してやってよ」

「ええ…?う、ん。まあ、一葉がそう言うなら」

「土下座するからさ、コイツ」

 プゲラする都築を膝を突いたままでじっと見つめると、ヤツはなんだか決まり悪そうな顔をしたものの、すぐに不機嫌そうな顔付きをして睨み据えてきた。

「なんだよ、その目は。言いたいことがあるなら聞いてやるぞ」

 その代わり、親父の会社は潰すんだろ?…もういいよ、俺の負けだ。
 完全に俺の負けだ。くそ、畜生。

「…お前は、酷いヤツだ」

 ポツリと呟いて、それから俺は声に出さずにボロボロ泣いた。こんなに悔しいことがこの世界にはあるんだなと、悔やんでも悔やみきれないほど、激しく悔しくて、声を押し殺しているつもりなのに、噛み締めて、噛み締めすぎて切れた唇の端から声が漏れても、俺は涙を留めることができなかった。
 地面に幾つも水滴が落ちては吸い込まれるさまに、不意に息をのんだようにその場にいた全員が凍りついたみたいだった。人間が独り、声を出さずに涙する姿は滑稽で哀れで、でも金持ちのお前たちには何も判っちゃいないんだろうな。

「おい、もうやめようぜ」

「都築、いい加減に…」

 それまで冗談半分で土下座する俺を笑い者にしていた連中は、俺の必死さと、それから震えるほどの惨めさを憐れんだのか、そんな声が聞こえた。

「僕は夜も眠れないんだよ?!ねえ、一葉。やっぱり土下座だけなんていやッ。土下座と退学を条件にして」

 けど不意に先生がヒステリックに叫ぶと、俺への同情に崩れかけたその場の雰囲気を掌握しようと躍起になったみたいだった。一瞬だけ、絆されたように俺に近付こうとしていた都築は、先生に縋られたからかグッと唇を噛んで、バカにしたような表情をして「それもそうだな」と無慈悲なことを呟いて肩を竦めるだけで止めようとはしない。
 他の連中が、一歩後退って、そんな都築と先生を何か意味もなく嫌なものでも見てしまったような目付きをしていた。
 でも俺は、ゆっくりと地面に額を擦り付け、涙に震える声で言うんだ。
 姫乃さんに心の底から謝りながら。

「だ、大学も辞める…だ、から……申し訳…ありませ…ッ」

 噛み締めた唇の端から絞り出すように言った時だった。

「お待ちなさい!」

 不意に凛とした声が響き渡って、俺を食い入るように見ていた都築が、ハッとして声がしたほうを見遣って、さらに驚いたように目を瞠った。

「光太郎さん、何をしていらっしゃるの。あらあら、こんなに泣いてしまって。仕方ないわね。さ、顔をお上げなさい」

 俺に気を取られていたせいで、どうやら人が近付いていたのに気付かなかったようだ。
 ギャラリーのせいもあるんだろうけど、器用に掻き分けて入ってきた、真っ白なワンピースに大きな帽子を被っている、その凛としたお姫様みたいなひとは、驚いている俺の涙で濡れた頬を優しくハンカチで拭ってくれながら、苦笑して頭をポンポンと叩いてくれた。

「もう大丈夫よ。一葉の愚行は止めました。大学も停学の事実は認めません。アルバイトにも戻られて大丈夫です。そして、お父様は安心なさって病院に戻られましたわ」

「有難う、姫乃さん…でも俺、ごめんなさい、ごめんなさい。絶対に認めたくなかったんだけど、都築がそうしないと工場をって…」

 うう…っと両手で顔を覆って謝る俺を、あらあらとやわらかく微笑んで、都築一葉がこの世で唯一怯えてしまう都築姫乃は優しく抱き締めてくれた。

「良いのですよ。判っておりますもの。そこのクソ馬鹿がしたことは都築家の恥ですわ」

 俺を抱き締めたままで凍り付く都築と先生を睨み据える姫乃さんの眼力は、その場にいる全員を無造作に撃ち殺すほどの威力だった。それは、本気で怒っているからこその迫力だ。

「…姫乃?なんでお前が此処にいて、篠原を庇ってるんだ??」

 都築は意味が判らないと言うように、混乱した頭で俺と姫乃さんを見比べている。

「光太郎さんとはもう随分と前から懇意にしておりますのよ。一葉のお食事の内容を聞いて、教えて欲しいとメールをしたのが最初でしたわ。光太郎さんはとびきりお料理と教え方が上手でわたくしも万里華も陽菜子も、光太郎さんにぞっこんですの。何かあってはいけないので、わたくしの護衛とGPSと盗聴器を携帯して頂いていたのよ」

 都築が俺のスマホをチェックしているのを知っているから、都築姉妹専用のスマホを1台、都築にチェックされるスマホとは別で持たされていた事実を知って、他より少し貧乏な庶民のスマホは1台だと思い込んでいたらしい都築は呆気に取られているみたいだった。
 その傍らで姫乃さんの台詞に、ひとり蒼褪めたのは先生だ。
 盗聴器とか護衛とか大丈夫ですよって言ったけど、そこはさすが都築の家系だ、とんでもないと言って、盗聴器による俺の赤裸々な日常を3人のお嬢様たちは聞きたがった。
 少なくとも、ほぼ都築が一緒だったから、離れている弟や兄のことが気になっていたんだろう。優しい姉妹たちだと思う。
 都築の変態行為には目に蓋を忘れていないようだし、本当に優しい姉妹だと思うよ…。

「ぜーんぶ録音されていましたのよ。あのカフェで起きた一連の事件も。光太郎さんが絶対に認めないからと仰るので何事かと聞いてみたんですの。わたくしったらあまりのことに開いた口が塞がりませんでしたわ」

 クスクスと笑うその双眸は全く笑っていなくて、都築と先生を見据える双眸は恐らく氷点下よりかなり冷たかったと思う。

「ねえ、光太郎さん。あなたは非常に良く耐えられました。ご自分のことを言われている間はとても平気そうでしたのに、わたくしのことを言われた時でしたわね」

 姫乃さんの台詞で先生は凍り付いたけれど、都築は「なんだと」と凍結から回復して眉を顰めると先生を見下ろした。
 都築にとって姫乃さんは誰にも代え難いほど大事にしているお姉さんで、色ボケでもその部分はちゃんと残ってたんだなと安心した。よかった。

「あなたはとても冷静で、わたくしのこと、そして一葉のことをとても大切そうに庇ってくださいましたわ。それをこの愚弟が…ッ、なんとお詫びしてよいのやら。もう、一葉には愛想が尽きましたけれど」

 はしたなくもお姫様は一瞬舌打ちしたみたいだったけど、俺の背中に回した手でぎゅうっと抱き締めてくれた。あたたかさでホッとする。
 もう、誰も助けてくれないと思っていたから、嬉しくてまた泣けてしまった。

「ああ、そんな風に泣かないでください。お可哀想に…ねえ、一葉?」

 不意に声を掛けられた都築が先生を見据えていた視線を姫乃さんと、彼女の胸の中で涙を流しているだろう俺の背中に向けて食い入るように見つめたようだった。

「お前には罰が必要ですわね。当分の間、お前は光太郎さんに近付いてはいけません。光太郎さんがもう良いと納得されるまで、けしてお傍に寄っては罷りなりません。宜しくて?お前はそれだけのことをしてしまったのですから、反省しなさい」

「……嫌だ」

 不意に都築が珍しく目線を外して、我侭を言うガキみたいに姫乃さんに反抗している。
 けれど、姫乃さんはけして許そうとはしない。

「嫌ではありません。光太郎さんのほうが、もうお前の顔など見たくもないでしょう」

 自分のしでかしたことは充分理解しているのだろう、心底バツが悪そうな顔を俯ける都築を横目で見ていた俺は、本当に悔しくて、本当にあんなことをする都築が信じられなくて、姫乃さんの言葉に頷いていた。

「もう、お前とは関わらない」

 グスッと洟を啜る俺に、お可哀想にとまた姫乃さんが呟いて、それから都築を見据えて言い放つのだ。
 都築は関わりたくないと言った俺を、何処か泣き出しそうな表情をして見つめてきた。
 そんな顔をしても駄目だ。あんなことされて、お前を受け入れたら俺はどんなバカだよ。

「わたくしたちまで光太郎さんに嫌われたくないのです。なので、河野先生。お前にも罰を与えます」

 名指しされてビクつく先生を、でも、事情が少しでも飲み込めたらしい都築は庇わなかった。そりゃそうだろうな、都築が大事にしている姫乃さんを貶めたヤツなんだ、これで庇っていたら色ボケじゃない、クズだ。

「わたくしはね、昔からお前が嫌いでした。一葉の純潔を奪い、お父様にまで色目を遣うお前は本当に気持ちが悪かった。こんなに優しくて素直で、一葉の我侭もやわらかく受け止めて、受け入れてくださる光太郎さんを貶めるなどと…さらにわたくしの中にあるお前への悪感情はヒートアップするばかりですのよ」

 うふふふっと何事もないかのように嗤う姫乃さんに、赤裸々な過去を暴かれた先生は終始無言で竦み上がっているし、同じく過去をばらされた都築は両手で顔を覆った。

「男好きのお前に良い職場があります。上遠野!」

「は!こちらに」

 凛とした姫乃さんの呼ばわりにサッと姿を現したのは、興梠さんと同じくツヅキ・アルティメット・セキュリティサービスに所属している姫乃さん付きの護衛の人だ。この人の部下で、属さんと言う人がいて、その人が都築と離れてから暫く俺を護ってくれていた。

「先生をご案内して?非常勤講師など、おこがましいもの」

 うふふふと笑うのはとても優雅で、時折ハッとするほど凛とした美しさを持つお姫様の姫乃さんに、俺はもうメロメロだった。こんなお姉ちゃんがいたら幸せだったと思う。都築は贅沢者だ。
 でも、本当に怖くて非常な人だけど、心根が深いから、それだけの決断をやってのけることが出来るんだと思う。
 尻尾があったら思い切り振っているだろう俺の頭を、姫乃さんは猫可愛がりに撫でてくれる。

「アレは海外に長いこといてね、向こうに男性がいらっしゃるのよ。それなのにわたくしの愚弟はうっかり騙されて…」

「知っていたさ」

 それまでの勝ち誇ったような傲慢な態度は何処へやら、嫌だ、やめて!と蒼褪めたまま絶叫しながら連れて行かれる様を、都築の率いる華やかグループとギャラリーが固唾をのんで見守る中、フンッと鼻を鳴らして、初体験の恥ずかしさから復活して既に先生に関しては興味を完全に失くしている都築は、腕を組んでブツブツと悪態を吐いているようだ。

「でも、お前は真剣に先生のこと…」

 グスッと洟を啜る俺の台詞に、都築のヤツは俺を自由にしている姫乃さんにも嫉妬してるみたいに見据えていたけど、それから言うべきかどうするか悩んでいるみたいだった。でも言わなかったから今回のような結果になったんだと閃いたのか、渋々と言った感じで話し出した。

「だからオレは先生なんか好きじゃないって。好きなんて一度でも言ったかよ。先生は副業で経営に関しての講師をしていたから……俺は、自分の金で養いたかったから起業しようと思って先生に個人講義を依頼したんだ。セックスしないと教えないって言うから、相手してただけだ」

「まあ、そんなことでしたらわたくしに聞けば宜しかったのに」

 こんなにおっとりしている姫乃さんは4つの会社の社長だ。一社に関しては会長をされていたりする。いずれもご自身で起業されたと言うから、ホント、先生が言うような頭の足らないひとなんかであるワケがない。

「都築グループだと意味がないだろ?結局は、都築の家の金だ。オレはそうじゃない。モデルで稼いだ金が充分あるから、その金で一から起業して、そこで得た金で篠原を養いたいんだ」

「ぐっは!」

 なぜそこで俺なのか。

「俺は別にお前になんか養われたくない。それに、もうお前にも関わりたくない」

 俺に土下座させるまで先生を大事そうにしていたくせに、何が好きじゃないだ。お前の言うことなんか、もう信じられない。

「…どうすれば許してくれるんだよ」

 プイッと外方向く俺に、不意に項垂れたように、都築にしては珍しく力なく唇を噛んだみたいだ。
 そんな俺の母性(なんだそりゃ)を擽るような、親から逸れて途方に暮れる迷子の子どもみたいな面をしたって許さないんだからな。

「じゃあ、どうしてあんなことをしたのか、まずは説明してもらおうか」

 漸く落ち着いたから姫乃さんにお礼を言って身体を離して都築を見据える俺を、姫乃さんは「あら、まだ抱きしめていても宜しくてよ」と満更でもない表情で残念そうに言うけど、そこで地味に睨むな、都築。

「……先生の個人授業を受けていた日。お前に、起業に向けて準備やら何やらで忙しくなるから暫く会わないとメールした日だ」

 何いってんだ、お前。
 起業に向けてとか一言も書いてなかったじゃないか。余計なことはピロンピロンと報告してくるくせに、肝心な部分が抜けてるってなんなんだ、お前は。

「シャワーから戻ったら、先生からスマホを見せられて、お前がもう二度と来るなとかワケの判らないメールを寄越していたから、理由を聞こうと電話しようとしたんだけど。その、先生からオレの気持ちも判らないような子にはちょっと意地悪なお仕置きをしようと持ちかけられて…先生には全部話していたからさ。そしたらお前がオレの贈った服はもとより、オレがお前の家に置いていた荷物も全て送り返して来るし、鍵は換えてるし、ドアチェーンまで付ける用意周到さで。余計に腹が立ってるところに先生から、自分を引き連れてお前なんかもうどうでもいいって態度をしていたら、傲慢なお前が反省して縋ってくるって言うから、先生に言われるままイロイロしちまったんだよッ」

 ポツポツと説明を苦々しく口にする都築を、俺だけじゃない、その場に居た華やかグループの面々もギャラリーも、ああ、都築って本当に生粋の箱入りお坊ちゃんなんだなあと思ったに違いない。
 アレだけ奔放に遊んでいるくせに、ひとの心の機微が判らないなんて。
 都築にベッタリされてもケロンとしている俺の何処が傲慢だっていうんだ…あれ?程よく傲慢なのかな、俺。
 とは言え、ちょっと聞き捨てならない台詞があったので、俺はムスッとしている都築に詰め寄った。

「あれは!あの日、お前が先生とエッチしてる時に煩い、メールしてくんな!とか酷いメールを送ってきたからだろ?!」

「はあ?!オレはそんなメールはしてないぞッ。確かにあの日は先生とセックスしてたけど、お前には初めての人か?って聞かれてそうだって答えたきりだ。そしたら、シャワーから出てきたら先生に、もう二度と来るなって来てるけど、我侭そうな子だねって言われたんだ」

 …何を言ってるのか判らない。
 確かに都築は俺に、お前うるさい、もうメールしてくるなって書いてきた。それを見たら凄くムカついて、そんなに先生が大事なら、もう二度と俺んちに来て構ってちゃんになるんじゃねえぞって思ったんだ。
 俺が悔しくて、そんなはずないってスマホを取り出している時、全ての合点がいったのか、姫乃さんが仕方なさそうに溜め息を零したみたいだった。

「…どうやら、わたくしの可愛い弟と光太郎さんとの間には何か行き違いが起こっているようですわね。その犯人は、あの困った家庭教師ですのね」

 姫乃さんの言葉で、なんとなくだけどだらしなくて無節操で、我が道を往く傲慢な子どもみたいな御曹司様は、どうやら完璧に箱入りで育てられたせいか、身体ばかりが大人になって気持ちいいことを先にカテキョのせいで覚えてしまったばかりに性に奔放な子どものままなんだと理解できた。
 小学校はわざわざ公立に行かせたくせに、何処かズレてるよな、都築家ってさ。

「光太郎さん、どういたしますか?愚弟はどうやらすっかりあの色情狂の愚か者に騙されていたようです。仕出かしたことはとても人間とは思えない惨い仕打ちでしたが…ごめんなさい、それでもわたくしの可愛い弟ですの。どうか、許してやっては頂けないかしら」

 俺も都築同様、姫乃さんには弱い。
 でも、それじゃ駄目なんだ。
 それだと、都築は何時まで経っても図体のでかいガキのまんまだ。

「姫乃さん…あなたに言われたら頷かざるを得ないけど、でも、今回は駄目です。都築が俺を自由に出来ることはよく判りました。だからこそ、俺は嫌です。俺は都築と同じ目線で一緒にいたいんです。脅されて怯える関係と隣り合わせなんて絶対に嫌です」

 何が良くて、何が悪いのか…こんな簡単なことぐらい、今教えないで何時教えるって言うんだ。
 俺がスマホを片手にキリッと言い返した時だった。

「…対等ならいいのか?」

 ポツリと都築が俺を見下ろして呟いてきた。
 その表情は真摯で、とても手放してしまった玩具を取り戻そうとしているようには思えない、失くなってしまった宝物が目の前にあるから、なんとか必死で手に入れようとしている、やっぱり子どもじみた目をしている。
 いや、もうこれが都築のデフォルトなんだろうな。

「そう言うワケじゃないけど…って、都築!なにやってんだッ、お前はそんなことしちゃ駄目だッ!!」

「こんなことぐらいでお前が離れていかないのならどうってことない。オレだって、お前と対等で一緒にいられるならこんなこと何とも思わない。お前の家は居心地がいい、オレが何をしていても全部許すのはお前ぐらいだ」

 だからって、こんな大衆の面前で大企業の御曹司たるお前が膝を折って、剰え土下座なんかするんじゃない!俺とお前とでは、抱えているものも、持ち合わせている自尊心も全然違うんだ。人間としてどうこう言ってるんじゃないぞ?俺は精々、従業員がみんな50過ぎの十数人しかいない有限会社篠原製作所の社長子息って言う肩書きだけだけど、お前は違うだろ。総勢数万人を抱える都築グループの会長の孫で、現社長子息だ。そんなヤツが俺のために大衆の面前で頭を下げることすらどうかしてるのに、土下座なんて絶対に駄目だ。
 跪く都築が頭を下げようとするから、慌ててその首に縋りつくようにして止める俺に、都築は怪訝そうに眉を寄せているようだったけど、「じゃあ、許してくれるのか?」と頓珍漢なことを言いやがる。
 ああ、もう駄目だ。そう、もう駄目なんだ。
 俺はこの自由で俺様で非常識でお坊ちゃんで変態の都築を、それでも1人の人間として好きなんだ。俺がさよならを切り出したからって怒り狂って、先生に唆されて、俺に焼きもち妬かせようと構内で珍しくベタベタしたりして、却って顰蹙を買ってるバカな都築だけど、もう憎めないんだろうな。

「もう、判ったよッ、許すよ!でも二度はないからな!もう一度、俺を土下座させる時は、きっぱり縁を切る時だからなッ」

「判った」

 頷く都築を諦めたように見つめ返したとき、はたと今の状況に気付いてしまった。
 にっこり微笑ましく笑っている姫乃さんと先生を部下に引き渡して戻って来た上遠野さん、そして何時の間にか馳せ参じている興梠さんの胡散臭い満面の笑み…そして、認めたくないけど大学中の学生が集まっているじゃないかってほどのギャラリーと華やかグループの面々…そして、教授たち。どうやら全員に俺が都築のお世話係りだと認識されてしまったようだ。
 ガックリと肩を落とした俺は、それでも頑張って思い切り素早く逃げ出したつもりだったんだ、けど、都築に回り込まれてしまって、結局やっぱりコイツとの日々が始まるんだなと思う。
 ただし、今回は今までとは違って、アイツに弱みができたことが俺の強みになるんだろうと思えば、少しはニンマリできると思うよ。

□ ■ □ ■ □

 みんながホッとしたように立ち去るなか、都築は仏頂面の上機嫌で、既に公衆の面前で自分のモノ宣言できたと思っているらしく、堂々と俺を背後から抱き締めて首筋に鼻先を押し付けている。すんすんと匂いを嗅がれるのは、正直言って非常にストレスだ。

「宜しかったわね、一葉。お前の大事な光太郎さんが戻ってきたわ」

 そんな青褪めた俺にクスクスと嬉しそうに笑って、姫乃さんが背後霊の都築に恐ろしい言葉を投げつけて、それから上遠野さんを従えて「ご機嫌よう」と優雅な一礼を残して去っていった。
 ああ、でもやっぱり姫乃さんが来てくれてよかった。
 あの酷い仕打ちを思い出せば涙も出るけど…それに逸早く気付いた都築が不機嫌そうに眉を顰めて、俺に泣くなよとかなんとか、バツが悪そうにブツブツ言っている。うるせえ、お前にだけにはとやかく言われたくない。悪いと思うなら今すぐこの腕を離せ。

「ソフレに戻るんだから、お前、もう俺の待ち伏せとかするなよ。受けてもいない講義に出られて、俺の周囲の密度を上げるんじゃねえよ」

「はあ?何を言ってんだ。オレは別に待ち伏せも付き纏ってもいない。たまたま、偶然が重なっただけだ」

「そっか、偶然が重なったことを勘違いした俺が悪いのか。だったら、都築が取ってもいない講義に出たり、行く手を遮るみたいに現れたとしても仕方ないよな。今後、徹底的に避けてやるって決めた」

「バーカ、お前みたいなドン臭いヤツ、オレがいなけりゃダメに決まってんだろ。これからも、仕方ないから一緒に居てやるよ」

 おい、おい、なんだその態度は。
 さっきまでのあの真摯さは何処にいったんだ。
 お前が俺んちに居たいって御曹司のくせに土下座までしようとするから、特別に許してやったんだぞ。腰痛を抱えた親父と、苦労性の義母ちゃんに余計なストレスを与えやがったお前なんか、本当は5回殺したって気が収まらないのを、しぶしぶ許してやったんだぞ?!

「あ、そうだ。お前の両親には詫びに行かないといけないな」

「ん?なんだ、そう言うことはちゃんとできるんだな。お坊ちゃまだけど偉いな都築」

 俺の内心のギリギリィッが聞こえたのか、都築はハタと気付いたように頷いた。

「当たり前だ。自分の感情のせいで罪もないお前の両親に苦労させてしまったのは猛省してる」

 お、おお…あの都築がまともなことを言ってる!
 すげえ、明日、雪が降るんじゃないか??

「近い内にお詫びの品を持ってお前の実家に挨拶に行くぞ」

「おう、いいぞ!…ん、挨拶?お詫びじゃないのか??」

 まともな都築なんかこの先絶対にお目にかかれないだろうと、浮かれて頷いていた俺は、都築の言葉の語尾の不穏さに気付いて首を傾げていた。

「詫びを兼ねた挨拶だろ?お前を貰うんだから、挨拶しないと失礼なんじゃないのか?」

「…いつ、俺がお前のモノになるって言ったんだ。ソフレごときで挨拶される親なんていねえよ」

「違うだろ。お前はオレのハウスキーパーになるんだ」

「お前、まだ諦めてなかったのか」

 思わずガクリと跪きそうになる俺を訝しそうに見下ろして、都築のヤツは不機嫌そうに唇を尖らせている。
 てっきり、ほぼ毎日顔を合わせているんだからハウスキーパーの件は諦めたモノだと思い込んでいたのに、「ちゃんとした形がないと、一緒に暮らしていないと今回みたいなことになったら困るんだ」とか何とか、ブツブツ言っている都築には参ってしまう。

「だとしても、ハウスキーパーぐらいで挨拶される親もいねえよ」

「…そうなのか?お前、まともな結婚もできないんだぞ」

「は?なんだそれ」

「籍を入れるぐらいはできるし結婚式もやりたければイタリアかフランスあたりで盛大に挙げてもいい…けれど、それはあくまでも婚姻に限りなく近いとは言えパートナーシップってだけで、婚姻による約束とかは何もないんだぞ」

 …。
 何いってんだ、お前。

「都築さ、お前って俺のこと好きなんだっけ?」

 呆れを通り越すと無我の境地に陥るんだと初めて知った俺が、ほぼ無表情で聞くと、都築は相変わらず小馬鹿にしたような表情をして見下ろしてきた。

「はあ?別に全然好きとかじゃないけど」

「じゃあ、俺のことタイプなのか?」

「だから、お前なんかタイプじゃないって言ってんだろ。自惚れんな」

 入籍だの結婚式だのなんだのは、俺の空耳だったんだよな!
 何時もの都築節に納得して、俺は朗らかにニコヤカに笑って頷いてやった。

「だよな!じゃあ、ハウスキーパーの件もそのなんかよく判らない話も全部却下な」

「なんでだよ?!」

 納得いかない!と眉間にシワを寄せて不機嫌そうに見据えてくる都築に、怯むことなく俺は言い聞かせてやることにする。
 何をって?もちろん、常識ってヤツだ。

「まず第一にだ、ハウスキーパーは嫁じゃない。籍を入れるんじゃなくて仕事としての契約書を交わすだけだ。そして第二に俺は、28歳ぐらいで愛し合っている可愛いお嫁さんを貰って可愛い子どもを作って、80歳で子どもと孫に囲まれて大往生するんだ。絶対にタイプでも何でもないって言うお前と生涯を一緒に過ごすことはない」

 えっへんと胸を張って未来予想図を口にすると、黙って聞いていた都築は途端に不愉快そうな表情をして首を左右に振ってみせた。

「なんだ、その絵に描いたような未来図は。そんなのお前には無理だっての。だいたい、この年まで童貞のくせに、28で本当に愛し合う相手なんか見つかるのかよ」

「そんなの、社会に出てみなきゃ判らないだろ」

 酷い言い草にギリィッと、俺みたいな庶民なんかと違って恙無く順風満帆な人生を過ごすことができるんだろうスーパー御曹司野郎に、奥歯を噛み締めながら言い返してやると、御曹司様は憐れむような目をして教え諭そうとしてくる。

「あのな篠原、自由が許される大学生の身分で恋人ひとりも作れないお前が、窮屈な社会に出て嫁を貰えると本気で思っているのか?愛し合ってる嫁?笑わせんな。精々、婚活してもダメダメなお前に業を煮やした親の勧めで40過ぎぐらいで見合い結婚するのがオチだよ。下手したら一生有り得ないね。だから、お前はオレのハウスキーパーになってればいいんだ。夜の生活は毎日が嫌ならオレはセフレで賄えばいいし、3食オヤツに昼寝付きの生涯安泰なんだから文句ねえだろうが」

「ぐぬぬぬ…絶対に嫌だねッ」

 何が悲しくてお前なんかの嫁にならないといけないんだ。しかもお前は俺のこと好きでもタイプでもないんだぞ。なのに、お前に仕方なさそうに抱かれるとか気持ち悪くて想像すらできねえよ。

「なんだと、オレはお前でいいって譲歩してるんだぞ?!」

「譲歩なんてしてくれなくて結構です。俺がいいってひとを幅広く捜します」

 ムカついて言い返すと、都築のヤツは本気で怒っているみたいに言い返してきた。

「バカ言うな。絶対に認めさせてやるからなッ。お前の両親への詫びはするが挨拶はそれからだ」

 この俺がお前なんかを嫁にしてやろうと言うのに、何が不満なんだとか思ってるんだろうな。嫁の段階で、俺は男なんだぞって言いたいことが山ほどあるけど、それすらも聞き入れちゃくれなさそうな雰囲気に、俺は青褪めて愕然としたまま、鼻息荒く、両親への詫びの品物をタブレットで検索し始めた都築を見つめていた。

□ ■ □ ■ □

「…今回の主従プレイはなかなか面白かった」

 俺の両親への高価な詫びの品物を幾つか検討して満足したのか、タブレットを仕舞いながら、不意に都築が気持ち悪いことを言い出した。
 都築が気持ち悪いことを言うのは、最近はもうデフォになっているから何時もなら聞き流すんだけど、今回は聞き流せなかった。

「お前…あんな酷いこと、プレイのつもりだったのか」

「それは悪かった、反省する。…でも、お前が土下座してるとき、本当は思い切り勃起してたんだ。誰もいなかったら無理矢理でも顔射してたと思う」

 少しだけとろりと目尻に色気を浮かべて、都築はそれこそ視姦なんてレベルじゃないぐらいジックリと俺を見下ろしてくる。

「お前ってヤツは…」

 お前はそんなことを考えながら、俺に土下座して詫びるつもりだったのか。
 全くブレないと言うかなんと言うか、開いた口が塞がらないぐらいの無節操で傍若無人だな、おい。

「でも我慢したんだよ。お前のあの時の顔は、誰にも見せたくないからさ」

 都築はニンマリして、かなり嬉しそうだった。
 コイツは変態で少しSが入ってて、それでやっぱり変態なんだ。
 今回も都築は、やっぱり都築らしい変態さんでした。

□ ■ □ ■ □

●事例9:跡を付ける、付き纏う、待ち伏せする(逃げても無駄)
 回答:オレは別に待ち伏せも付き纏ってもいない。たまたま、偶然が重なっただけだ。
 結果と対策:そっか、偶然が重なったことを勘違いした俺が悪いのか。だったら、都築が取ってもいない講義に出たり、行く手を遮るみたいに現れたとしても仕方ないよな。今後、徹底して避けてやるって決めた。

8.トイレを覗く(扉は強制的に開放)  -俺の友達が凄まじいヤンツンデレで困っている件-

 都築が当たり前みたいな顔をして既に居座って数日が過ぎるんだが、帰る気配がないのはこの際よしとしても、都築の奇行にまた1つ加えなければいけない事案が発生した。
 それはトイレを覗いてくることだ。
 本人は全く無意識みたいなんだけど、俺が大小問わずにトイレに入ると、のこのこと跡を追ってきて、何かをペラペラと話し続けるんだよな。まあ、小の時はそれでも気にしながらではあるけど、相槌なんか打って相手をしてやるけど、さすがに大の時は勘弁して欲しい。
 芳しい臭いも気になるし、踏ん張ってる時に下らない話をされても、どう返していいか判らないんだよ、実際のところ。
 だいたい、話しの延長線上で俺が席を立ったのなら、その辱めは受けるしかないと思うけど、話しも一段落して、と言うかお前なんか俺のこと、全然無視してスマホ弄ったり電話したりしてるくせに、今なら大丈夫だと思ってトイレに行くと、座った途端にドア全開にされた挙げ句、相手から声が籠もってるとか何とか言われて、今トイレなんだwとか巫山戯た返しで俺を恥ずかしがらせるとかどんな羞恥プレイなんだよ。

「悪いけど、ホント、あっち行っててくれ」

「は?なぜ?」

 なぜじゃねーよ、常識考えろよ。JKだよ、JK。
 俺んちはユニットだから風呂とトイレが一緒なんだけど、たまにトイレ中に都築が風呂に入りたがったり、俺が風呂に入っている時に、都築がトイレに来ることがあって、なかなか気が休まらない。
 洋式トイレだけど俺は昔から座って用を足すけど、都築のヤツは小さい方は立って用を足す、だからチンコを握ったままシャワーカーテンを引っ張り開けられて、見たくもないデカいモノを見せつけられて男の沽券がとか何とか凹まされた挙げ句に、全裸をしげしげと観察と言う体の視姦を存分にされて、やっぱり凹まされる。
 そんな生活も随分と慣れてきたけど、やっぱりトイレを覗かれるのは精神的に一番ダメージがデカイなぁと思う。人間が一番リラックスしている排泄時と入浴時の攻撃なんて、ダメージ以外に何が起こるっていうんだ。
 最近なんかアイツ、別に用を足しに来たワケでもないくせに、トイレに座ったままで髪を洗う俺を横からじっと眺めながら、たまにチンコを擦ってることがある。それにはさすがにビビッてシャワーをぶっかけて追い払ったけど、都築は違うと否定したけど、これは一種の嫌がらせじゃないかと思うんだよね。
 色んなコトはあんまり気にならないから放置してるけど、さすがにトイレと風呂のリラックスタイムの襲撃は無理だ。耐えられない。

「あのな、俺が幾ら鈍感だからって、臭い全開の派手な音を撒き散らしても平気でいられるほど壕な心臓を持ってるワケじゃないんだ。俺にだって羞恥心ぐらいある」

「オレだってわざわざこんな覗きみたいなことしたいワケじゃないぞ。ただ、お前が寂しそうにしてるから付き合ってやってるだけだ。感謝こそされてもその物言いはないだろ」

 …そっか、寂しそうな顔をしている俺が悪いのか。だったら、都築が大小関係なく覗いてくるのも、風呂に入っている所を覗きに来るのも仕方ないよな。今後、DIYで鍵を取り付けて籠もってやるって決めた。早速、明日にでもホムセンに買いに行こう。うん。
 安心できるリラックスタイムを取り戻すぞ。

□ ■ □ ■ □

 それから暫くして、都築が急にパッタリと姿を見せなくなった。
 あんなにしつこいぐらいベッタリと傍にいたモンだから、その急な不在に頭も身体も追いつけなくて、気付いたら2人前の料理を作って苦笑いしていることも屡々だ。
 でもまだたったの3日ぐらいだから、もしかしたら新しいセフレでも作って、俺にまで手が回らなくなったのかもな。それならそれで、まあいいや。
 最長一週間は寄り付かないコトもあったけど、あの時は俺がゼミの連中と泊りがけでレポートを仕上げなければいけなくて、都築に来るなよと言っておいたのに勝手に来て、独りにされたと怒って二度と来ないと200通近いメールで抗議された結果だったっけ。
 今回はトイレを覗くなって怒ったからかな。いや、でも平然とした顔でその後もずっと覗きに来てたから、それが原因ではないんだろうけど、ちょっと気になるな。
 アレかな、何時も空気みたいに一緒にいるもんだから、空気が薄くなって息苦しくなってるって感じかな。違うかな…
 そんなバカげたことを作りすぎた昼飯を食べながら首を傾げて考えているところに、スマホがピロンッとメールの受信を告げた。
 ちゃぶ台の上のスマホを取って画面を見ると…

『先生が帰ってきたから、しばらくお前のところには行かない』

 なんだそれ。俺がなんでも判ってるみたいなメールの書き方はやめてくれ。
 先生ってなんだ。

『ふうん、別にいいけど。先生って誰だ?』

 何時もならピロンピロンッて煩いぐらいにメールをしてくるくせに、今回は暫くしてから、俺が昼飯を食べ終わって片付けをしているぐらいの時に、ピロンッと返信が届いた。

『中学の時のカテキョ。童貞食われた相手だ』

『ああ、お前の初めてのひとか』

『そうだ』

 それから何もメールが来ないから、用件だけ伝えたかったんだろう。
 アイツが一時的にでも真剣に交際していたって言うカテキョの先生か…帰って来たって言うぐらいだから、何処かに行っていたのか。
 その先生が帰ってきたら、もう俺はお払い箱なのかな。
 まあ、便利で都合のいいハウスキーパーとか言ってたから、また先生が何処かに行ったら俺んちに来るようになるんだろうな。
 あ、そうだ。

『都築、来ないのはいいけど置いてる荷物は郵送しておこうか?』

 参考書とかレポートとか、本当に俺の部屋の大半が都築のモノで埋められている事実は大問題だと思う。押し入れもほぼ、都築のモノで埋められているもんな。
 暫くしてピロンッと返信が来た。

『捨てていい』

 なぬ?!慌ててチクチクと返信した。

『何いってんだよ、レポートだぞ?提出しないといけないだろ』

 ピロンッと今度は早く返信がきた。

『どうだっていい。今、先生とセックスしてるんだ。お前うるさい。もうメールしてくるな』

 …なんだそれ。自分が大好きな先生と久し振りのエッチに燃えてるから、親切な俺の申し出は必要ないってのか。なんなんだよ、それ。

『判った。しばらくと言わず、もう二度と来るな』

 そう返信してから電源を切った。その足で、俺は近所のスーパーに行ってダン箱を手に入れると、都築が部屋に置いていった荷物を整理しながら詰め込んで、近所のコンビニに発送の手続きをしに行った。
 それからそのまま銀行で金を下ろすと、やっぱり近所にある鍵の専門店に行って、すぐに鍵の交換をお願いしたいと言ったら、その日はたまたま件数もなく暇なので、これから行きますよと親切なお兄さんが言ってくれて、結構安価で鍵の交換をしてくれた。
 それとドアチェーンとかなかったから、これはDIYで自分で取り付けた。
 全部1日で終わって、自分の行動力に正直ちょっと戸惑ってしまった。
 どうやらそれぐらい、腹に据えかねたんだと思う。
 全部終わったのは21時を少し過ぎてたから、あれから9時間以上も経っていることにビックリして、怒りに任せてスマホの電源を落としていたけど、都築だけじゃない連絡もあるから慌てて電源を入れた。
 でも、着信もメールも来ていなかった。
 何時もだったら都築から『は?なんで?!』ぐらいの悪態メールが100通を超えて届いているし、着信も鬼みたいに来てると高を括っていただけに、ちょっと拍子抜けしてしまった。
 そっか、都築にとって本当に俺って都合がよくて便利なハウスキーパーだったんだな。
 だから、大本命の先生の前だと、こうもアッサリ切られてしまうんだ。
 そうやって考えると、都築は都築なりに、他のセフレとは別の扱いをしてくれていたのかと思って納得した。セフレ側の要請は断っても、俺を選んで俺んちには入り浸っていたからさ。
 なんだそっか、あんなにだらしなくて変態の都築でも、本命には弱いんだろうな。
 なら仕方ない、そう思うんだけど、慣れたモノが傍にいないとこんなに寂しい気持ちになるんだなぁと、俺は視界をぼやかしながら小さく唇を噛み締めた。

□ ■ □ ■ □

 都築が俺からの荷物を捨てたのかどうかは判らなかったけど、どうやら大学にも顔を出していないのか、華やかグループの面々が少し寂しそうに手持ち無沙汰で話をしていた。
 都築は粘着質な独占欲の持ち主だから、今頃先生に夢中になっていて、他のことに気が回らなくなってるんじゃないかな。
 連絡が来なくなって寂しいとは思っていたけど、俺の生活はそれなりに楽しくなっていた。
 百目木に事の真相を話したら、なんだかちょっと怒っていて、自分勝手なヤツだとレッテルを貼りまくってから、都築の服は送り返したけど、俺の服やデイバックも全部替えちまえと言って、百目木の鶴の一声で集まったわりと新しい古着で賄えるようになったから、GPSが仕込まれていた服とかお気に入りのデイバックとか全部捨てられてしまった。
 なんだか生まれ変わったみたいな気がしていたけど、実際、都築の監視から外れたことで本当の自分を取り戻せたのかもしれない。
 都築に本命ができたみたいと、実しやかな噂が流れ始めた頃、漸く都築は大学に顔を見せたようだった。
 その傍らには一見すれば中肉中背に見える綺麗な男が佇んでいて、新しく非常勤講師できた河野聖と言う名前だと情報通の百目木が教えてくれた。
 確かに都築は俺に、好きなヤツがいて、その人が俺と同じような中肉中背だって言っていたから…そうか、アレは恐らく都築の初恋だった先生のことで、本当のことだったんだなと納得できた。少し、ほんの少しだけ、ああは言っても本当は俺のことを言ってるんだろうと…やっぱ自惚れていたのかな。
 小さく自嘲的に笑ってから、仲が良さそうに笑い合って肩を抱いている都築を遠目に見てから、俺はその場を立ち去った。
 都築からは相変わらずメールも電話もなくて家にも来ないから、どうやら本当にこのまま自然消滅を待っているんだなと判ったから、俺は自分の生活を前のモノにゆっくりと戻そうと思っていたけど、長いこと都築がいたせいで、前はどんな生活をしていたっけ?と首を傾げざるを得ない事実にちょっと愕然としてしまった。
 独りになることは慣れているし、都築に言ったように独りでいるほうが好きだったから、ヤツのいない広い空間はおおいにウエルカムのはずなのに、やっぱり、ちょっと寂しいんだろう。
 そう思っている矢先にドアが叩かれて、俺はとうとう痺れを切らした都築が凸ってきたのかなと、少しの期待を胸にチェーンを掛けてそろっと覗いたら、立っていたのは柏木だった。

「よう」

 久し振りに見る柏木の顔が懐かしくて、ちょっとガッカリしたことは胸の奥の深いところに隠してから、大喜びでチェーンを外して招き入れた。
 都築がいるころはみんな遠慮して家に来なかったけど…と言うか、都築が何らかの妨害行動をしていたと思われるけど、捨てられた今となっては、俺が誰と会っていようと少しも気にならないようだから…あの異常な執着がふつりと切れたことは良かったんだろうなと思った。

「どうしたんだよ、柏木。久し振りだな、入れよ」

「おう!なんか、お前が寂しがってんじゃないかと思ってさ」

 ニヤニヤ笑うクソ意地の悪い柏木に笑いながら肘鉄を食らわせて、寂しくなんかないよと、ただ、独りに慣れるために頑張ってるだけだよと言ったら、柏木はそうかと頷いて、それから部屋の中をキョロキョロと見渡した。
 初めて都築がうちに来た時みたいな反応に、ちょっと笑いそうになった。
 そんなに俺んちって珍しいのかな。どうしてみんな、一度はキョロつくんだろう。

「都築もそうだったけどさ、どうしてそんなに部屋の中を見渡してるんだ?」

「…いやぁ、イロイロとね。そうだ、篠原!今日は泊まっていってもいいかな」

「へ?モチロンいいぞ」

 今夜は2人分の食事が作れると張り切って頷くと、柏木はそんな俺を、昔からコイツは本当に俺のことを兄弟みたいに大事にしてくれていたから、なんとなく優しい双眸で見つめてきた。

「ちょっと大事な話があるんだけど、飯を食いながら聞いてくれよ」

 何時もは俺と一緒に巫山戯てばかりいる幼馴染みが、見たこともない真剣な表情をして聞いてくるから、俺はちょっと目を瞠って頷くしかなかった。

「お、おう。じゃあ、飯の用意をするよ」

 もう19時を回っていたから料理に取り掛かっている俺を無視して、柏木は手にしたコンパクトな機械のようなモノで、部屋中を探っているみたいだった。その度に、「うわ、ここにもある」とか「ああ、これもそうか」とか、果ては超小型のカメラみたいなモノまで見つけ出したみたいで、チーズとササミの紫蘇巻とか蕪のあんかけ、ほうれん草と春雨の中華風サラダとかとか、久し振りに腕を振るう俺を待っている間に、監視カメラを除く盗聴器らしきそれらの品物をちゃぶ台にずらっと並べている。

「なんだ、これ?」

「…」

 俺の顔を見上げて人差し指で唇を塞いだ柏木に、この件は黙ってろと言うことらしく、俺は無言で頷いてからそれらを床に並べ直す柏木の隣りで、ちゃぶ台に食卓の準備をした。
 さて、戴きますだけど…っと柏木を見ると、難しい、少し気味の悪そうな顔付きをしていた柏木は、気を取り直したように笑って両手を合わせた。

「うわ!美味そうだな。お前の料理って久し振りだから腹がなるよ」

「へへ、そう言ってもらえると嬉しい」

 いただきますの合図で箸を進める柏木が、本当に泣き出すんじゃないかと思うほど感激して、味噌汁やササミの紫蘇巻に舌鼓を打っているから、独りの時だと手を抜きすぎてたなぁと食に対して反省した。

「さて、大事な話なんだけどさ…」

 そう言って柏木が切り出したから、俺は咀嚼していたササミをゴクンと飲み込んで、それから覚悟したように頷いた。
 さあ、なんでも言ってこい。どんとこいだ。
 そんな俺の空元気に柏木が噴いて、なんだようと唇を尖らせるとますますおかしそうにアハハハと声を上げて笑ってくれた。クソ。

「気を持たせんなよ、早く言えよ」

「お前さ、都築と別れたって本当か?」

「ぶっは!別れるとか、そんな俺たち付き合ってもねえよ。俺、アイツのタイプじゃないんだと」

 思わず噴き出してから、アハハハと笑って手を振っていたら、柏木のヤツがなんだそうかと拍子抜けしたように肩を竦めやがるから、また根も葉もない噂でも聞いたんだろうなとおかしかった。

「じゃあ、それなら問題ないか」

「なんだよ?」

「篠原、俺と付き合ってくれ」

 うんいいよ、何処に行けばいいんだ?と素で聞きそうになった俺を、柏木が思わず噴き出しそうになりながら、トントンと何かを指差して床を叩いている。
 その指先を見て、思わず声が出そうになったけど、柏木が目線だけで止めたので慌ててお口チャックで頷いた。

「…えっと、どう言うことだ?」

 柏木の指示に従って、たぶん大根役者だとは思うけど、俺なりに頑張って不審そうな素振りで首を傾げながら言った。

「俺と付き合って欲しいだけだよ。男女みたいにさ」

 柏木が指し示した一片の用紙には、幾つかの項目が書き込まれていた。
 まず第一に、この部屋は盗聴と隠しカメラで監視されていること。
 それから、たぶん犯人は都築で、俺を捨てたのに付けたままにしているのは業腹だと言うこと。
 だから、恐らく都築が一番ダメージを食らうことをしようと思うので協力しろ。
 そして、さあゲームの始まりだ。レッツトライ♪
 まずは俺が付き合ってくれと切り出すから、思い切り不審そうな素振りで返せ、それから俺が言いくるめるから納得しろ。で、同棲を切り出すから頷け…とのことらしい。
 今も盗聴監視してるとは言え、ただ俺が鍵を替えたせいで外しに来られないだけで、もう今は先生に夢中なんだから、こんなことで都築がダメージは喰らわないと思うんだけどなぁと、半信半疑で柏木の策に乗っかってやった。
 まあ、一矢報いれなくても、ちょっとスパイごっこみたいで楽しそうだしな。

「俺たち、ずっと傍にいすぎてお互いが大事なことを見落としていたと思うんだ。お前と離れて、お前が都築と一緒にいるようになってから気付いた。だからさ、都築と付き合ってもいないんだったら俺とのこと、真剣に考えてくれないか」

 どこの俳優だよお前、と言って吹きそうになる俺に、やっぱり頬をピクつかせていたいまいち役に入り込めない学芸会並の柏木に、笑うなと目線で指摘されて、それから俺はわざとらしく「うーん」と声を出して咳払いの代わりにした。

「…判った。俺もなんか最近、イロイロ考えていて寂しかったから。俺、お前と付き合うよ」

 どこの悲劇のヒロインだ、ばりの名演技…とは言えない弱々しさで、俺は柏木の申し出を受け入れるふりをした。
 なんか背中がむず痒くなるけど、どうせただの遊びなんだから、余裕をもって頑張ろうかなと思う。

「マジか…マジか。嬉しい、有難う。光太郎」

 いきなり柏木が名前呼びできたからまたしても吹きそうになったけど、どんな茶番も楽しんじゃう俺と柏木だから、手に手を取ってお互いキラキラと見つめ合って噴き出した。

「ははは!ホントに嬉しいよ。じゃあさ、ここだと壁も薄いし狭いしさ。2人で部屋を借りないか?」

 どうやら第二幕目が開けられたようだ。

「ははッ、そうだな。俺ももう、此処はいいかなって思ってたんだ」

 ちょうど良かったって笑ったら、柏木がその調子だぞとニヤニヤ笑って頷いてくれる。
 監視カメラはわざと見え難く偽装してくれているらしく、盗聴器のみ近場を1つ残して取り外しは完了しているらしい。さすが工学部、そう言ったことに長けているんだなと感心した。

「なあ、光太郎。じゃあ、セックスはそれからだな」

 クスクスと笑って甘く囁く柏木に思い切り気持ち悪いと鳥肌を立てながらも、俺もニッコリと作り笑いを満面に浮かべて頷いてやった。

「別に、俺はホテルでもいいけど?」

 挑発的に言うと、柏木は一瞬呆気に取られたけど、すぐにニヤニヤ笑って「了解」と呟いた。それから筆談で、【カラオケとかカレー食い放題目当てにラブホ行くか?たぶん、都築の監視付きのデートになるけど】とか笑わせてくれた。
 俺たちがそんなことで巫山戯あっていると、不意に久し振りに俺のスマホがピロンッとメールを受信したみたいだ。
 俺と柏木は目線を合わせて、それから柏木が顎をしゃくるから、仕方なく俺はスマホを取り上げて画面を見た。

『篠原、柏木そっちに行った?例の件、順調??』

 と、よく見ると百目木からのメールだった。
 柏木にその画面を見せて都築じゃなかったと笑ったら、柏木のヤツは笑うどころか、妙に不審そうな表情をして食い入るように俺のスマホを見ていた。それから、不意にフリックしてタップを何回かして、都築が入れていたに違いないスパイから通常から、目につかないモノまで全てのアプリを削除したみたいだ。

「こいつ、何を言ってるんだ。俺が告るのは百目木には内緒にしてるんだけど、例の件ってなんだ?光太郎は何か知ってるのか??」

 不審そうにわざと困惑したように言いながらも、柏木はさらさらと紙片に何事かを記入して筆談してくる。コイツ、喋りながら手が動かせるとかさすが天才って言われたヤツだ、すげぇ!

【百目木にお前を慰めろと言われたが、今回の計画は俺1人のモノ。たぶん、このメールは百目木のモノじゃない。成り済ましメールだ】

「いや、俺も知らない。なんだろ、百目木に電話してみようか?」

「…メールで来たんだからメールで返してやれよ。向こうも何かやってたら電話だと迷惑だろ」

「あ、それもそうだな」

 先生と乳繰り合ってる時にメールはどうかと思うけど、前もそれでお前うざいって言われたんだけど、本当にメールでいいのかな?
 不安そうに柏木を見たら、ヤツは満面の笑みで頷いた。

『問題ないよ。あ、そうだ。お前だけに言っておく。俺、柏木と付き合うことにしたんだ。イロイロと寂しかったけど、幸せになるよ。心配してくれてたんだろ?ありがとう』

 以上は柏木が書けと言った内容だ。これが本当に百目木のメールだったらと思うと生きた心地がしなかったけど、まあでも、明日大学に行ってから柏木と種明かしすればいいか。
 ピロンッと返信が返ってきた。

『本気か?友達に打ち明けるってことは、本気ってことか?』

 ふと、そのメールの文面を見て気付いた。
 これは恐らく、都築が打っているメールだと思う。
 百目木はこんな聞き方はしてこない。せいぜい、冗談みたいにおめでとう!とか絵文字を交えて揶揄うように祝福してくれるはずだ。それで、大学で尋問なwぐらいは打ってくる。
 こんな素で不機嫌そうなメールは打ってこない。

【監視カメラも盗聴器も、その気になればお前がいないときに全部引き上げることができるんだよ。なのに、そのままにして自分は先生という昔の男とイチャイチャしてお前に見せつけてるだろ?絶対に何か企んでいるし、それならムカツくから一矢報いようぜ】

 柏木がそんな感じで言ってくれたから、本当に独りぼっちになったみたいだと凹んでいたけど、そうじゃなかった、味方なんて此処にいたのにと、柏木の存在に感謝して、それから都築に対する怒りがフツフツと湧き上がってきた。

『もちろんだよ、百目木。何を驚いてるんだ?』

 チクチクと返信を打つと、柏木と顔を見合わせるより早くピロンッとスマホが鳴る。
 そして、立て続けにピロンピロンッと。

『そりゃ、驚くだろ?なんだよ、ゲイになったのか??』

『柏木ならいいのか?』

『どうしたらそんな気持ちになるんだよ』

 百目木が俺如きにこんなにメールを、しかも早打ちなんかできるワケがない。
 たぶん、これは都築なんだろう。今さら、手放した獲物に未練でもあるのかよ?

『それがな、百目木!聞いてくれよ。柏木って俺がタイプだったんだって!都築から散々タイプじゃないって言われて凹んでたけど、すっげえ嬉しかった(ハートマーク)都築に感謝しないと、俺の目を覚まさせてくれたんだ。アイツも初恋の先生と幸せそうだし、よかったよかった(ハートマーク)百目木も恋人見つけろよ。あ、そうだ。もう合コンは誘ってくれなくていいから(ハートマーク)』

 俺にしては珍しくハートマークとか絵文字を駆使して幸せ満タンって感じの文面になったんじゃないかなと思う。横目で見ていた柏木ですら若干退く幸せオーラに、どうやら俺の怒りの深さを知ったみたいだった。
 送信したらすぐにピロンッと返信が来た。それも立て続けに何通も。

『お前、それはきっと勘違いだ。虐げられてたから甘い言葉によろめく詐欺の心理だ』

『思い直せよ。男同士だぞ。絶対にうまくかないって』

『お前は勘違いしているんだ。本当に好きなヤツは別にいるかもしれないだろ』

 などなど、どうやら必死で止めたいみたいだけど無視だな。
 ピロンピロンッと喧しく鳴くスマホを俺の横から無言で覗き込んでいた柏木が肩を揺らして笑いたいのを堪えているようだけど、俺はそんな幼馴染みも軽く無視して、宿敵都築に最後通牒をチクチクと打ち込んだ。

『言ってることがちょっと判らないけど。俺たちこれから出掛けるから、メールに返信ってもうできないと思う。だから、もうメールしてきても読まないぞ。来週、また学校で』

 俺はお前ほど冷たいヤツじゃないから、もうメールしてくんなとか、うるさいとか書かないから優しいだろ?でも、これでおあいこで終わりだな。
 ピロンッとすぐに返信が来たけど、俺は読まずに電源を切った。

「お前と百目木ってこんなメールの遣り取りをしていたのか?」

 肩を震わせる柏木が筆談では【おまえと都築って】となっていて、まあ、もう盗聴されててもいいから、百目木を都築として話しを進めた。

「まあな。何時もこんな感じだよ。メールを打つのが向こうのほうが早いから、俺はまとめて返信をチクチク打つんだ」

「ふうん…百目木ってさ、お前のこと好きだったんじゃないのか?」

 は?都築が??そんなの有り得ないっての。

「はは、まさか!それより、行くんだろ?ホテル」

「ああ、だな」

 立ち上がって食器をシンクに入れてから振り返ったら、柏木はなんとも言えない複雑そうな表情をして、それでも面白おかしいとニヤニヤしている。いい根性した幼馴染みだ。

「男同士でも入れるホテルを検索したんだ。で、ここなら近いし、なんと、風呂はジャグジーらしいぞ。でもって、ローション風呂とかもできて楽しい…」

 ノリノリで柏木が冗談半分に俺の目の前でスマホを翳して説明している時だった、不意に、ピロンッと柏木のスマホに受信を告げる音が鳴る。
 まさか、とは思ったんだけど。

『柏木のアドレスだろ?そこに篠原がいるよな』

 さらにピロンッと受信の音。

『スマホの電源を入れろと言え』

 かなり上から目線の百目木は、恐らく、滾る怒りに見境がなくなったのか、はたまた、夢中になりすぎてせっかく技術屋が仕込んでくれた成り済ましをうっかり忘れてしまったのか、御曹司様ぜんとした何時もの都築に戻っていた。
 思わず2人で噴いたけど、柏木が悪乗りしてチクチクと返信しやがった。

『残念だけど、篠原はもう俺のモノなんだよね。百目木って篠原のこと好きだったんじゃないのか?悪いな、寝取っちまって。NTRだよ、萌えるよなw』

 都築ほど性に長けてるヤツならこのメールの意味が判ったんだろうけど、最初俺はいまいち意味を飲み込めていなかった。だってさ、寝取られってもともと好きあってる夫婦とか恋人とかに間男が乱入して、嫁さんとか恋人がイヤイヤながらも感じまくってソイツを好きになるって話じゃなかったっけ?別に俺、都築のモノじゃないし。

『巫山戯んな。別にソイツを好きなワケじゃない。オレには相手がいる。ただ、篠原がお前に騙されるのを黙って見ていたくないだけだ』

「こんなコト言ってんのか。相手ってアレだろ?噂になってる非常勤の」

「そうそう。河野聖…って、あれ?あれは都築の相手だった。百目木、恋人ができたんだな」

 思わず本音が出て、お互い顔を見合わせて大笑いしてから、柏木は百目木に成り済ましている都築に返信を書いた。

『別に騙さないぜ?俺、今独りだし。光太郎を大事にするよ。つーかさ、百目木こそ他人の恋路に口を出してたら馬に蹴られちまうぜ。じゃあ、俺たちホテルに行くからもうメールしてくんなよ』

 俺が書きたかった『メールしてくんな』を綺麗に決めてくれた柏木に感謝して、俺は本物の百目木がくれたアウターを着ながら、柏木に「ありがとう」と言った。
 これで少しは溜飲が下がるってモンだ。

「じゃあ、さっきのホテルに行こうぜ。カラオケとかカレーとソフトクリームの食べ放題が充実してるんだってさ」 

 柏木が楽しそうに言って、俺も釣られるようにして笑った。
 男同士でも女同士でも入れる、カラオケとか食べ物の食べ放題が充実してるとか、たぶんそのラブホは女子会とか男子会歓迎の、今風のラブホなのかも。
 男2人で男子会ってのもウケるけどさ。
 お互いで笑いながら玄関を出て鍵を締めてから、俺たちはそれぞれの近況報告をしあって、どうやら柏木んちは爺ちゃん婆ちゃんを田舎の九州に残してきたけど、来年には両親だけ戻るそうで、その際に独り暮らしが決定するから、できれば今から俺との同居を予約しておきたかったんだとか。
 都築の存在で無理かなぁと思っていたけど、思わぬ方向に転がって、お金持ちが庶民を虐めやがってただじゃおかないってことで、都築から俺を奪うことで懲らしめてやろうと思ったんだそうだ。
 外に出て盗聴器がないことを確認してから、お互い思い思いのことを話せるからよかったなと思う。でも本当は、別にもう聞かれてもいいかなとか開き直っているところもあるんだけど。
 別に俺が誰のモノになろうと、都築には関係ないんだから。

「なんだ、お前も下心ありで近寄ってきたんだな。酷い!」

「ははは、人間なんて打算的な生き物だろ?」

 そんな軽口をお互いで叩きあっていたら、高校時代を思い出した。
 よくこんな風に、柏木と肩を並べて一緒に帰ったっけ。それが、まさかホテルに行く仲になるなんて…なんつって。

「篠原様、柏木様」

 不意に思い出に陶酔していた俺を現実に引き戻す低い声音に、俺と柏木は顔を見合わせて、声のした背後を振り返った。

「お疲れ様でございます、篠原様。そして、初めてお目にかかります、柏木様。私はツヅキ・アルティメット・セキュリティサービスに所属しております、一葉様付きの興梠と申します。以後、お見知り置き頂ければと思います」

「興梠さん…」

 都築が来るかと思っていたけど、まさかの興梠さんの登場で、俺の心の中がほんの少しだけ、またしんと静まり返った。
 やっぱり、先生から離れるつもりはないんだろうな。

「お2人に一葉様より伝言がございます。まず柏木様、篠原様のことを光太郎と呼ぶな…とのことです。そして、篠原様。本日、一葉様が夜にご自宅に伺うそうですので、自宅にお戻りになるようにとのことでございます」

 何時もの胡散臭い満面の笑みは鳴りを潜めて、何時になく厳しい面持ちで柏木を見据えながら淡々と報告するのは…どうも、興梠さんは大切な主人を懲らしめる柏木に腹を立てて警戒しているみたいだ。
 悪いのは都築なのに、そんなの理不尽だ。
 都築はもう成り済ましなんかする気はなくて、ある意味、形振り構わずに興梠さんを寄越したんだろう。

「悪いんですけど、興梠さん。俺、これから柏木とデートなんで、都築には来ないように伝えてください。それから、前にメールで書いたとおり、二度と来るなって言っておいたはずなんだけどとも付け加えておいてください。それでは失礼します」

 バカ丁寧に頭を下げてから、呆気に取られてポカンッとしている柏木のアウターの裾を掴んでから、ほら行こうぜと促していると、興梠さんが小さいながらもハッキリとした声で呼び止めてきた。

「篠原様」

 そのまま無視していけばいいのに、それでも俺は仕方なさそうに溜め息を吐いて振り返った。まだ、何かあるんだろうか。

「なんですか、興梠さん」

「篠原様の中で、都築はもう終わりですか?絶対に駄目なのでしょうか」

 何が…とは聞けなかった。
 俺の中ではもう終わっているし、確かにもう、絶対に駄目だと思ってもいる。でも、心の何処かで、あの生活はなかなか気持ち悪くて碌でもなくて、だけど愛すべき日々だったんだなとも思っている自分がいる。
 だけど、駄目なんだ。
 もう、本当に駄目なんだって判ったから。

「何を言ってるんですか、興梠さん。俺じゃない、都築がもう駄目なんですよ。アイツは中学の初恋を引き摺っていて、漸く恋が実ったんだ。俺のことなんか、気にしている場合じゃない」

 それからニッコリと笑ってみせた。
 興梠さんと柏木が目を瞠っていたけど、そんなのはどうでもいい。

「都築は性にだらしなくて本当に変態だけど、でも根っこの方は世間知らずのお坊ちゃまで憎めない。だから、幸せになるといい。俺はそれを望んでいます」

 それじゃあ、さようならと頭を下げてから、柏木の腕を掴んで歩き出した。柏木は俺と、呆然と立ち尽くしている興梠さんを交互に見て困惑しているようだったけど、まっすぐに正面を見据えて振り返らない俺に諦めたのか、仕方なさそうに肩を竦めたみたいだった。

「お前も都築も頑固で我儘な子どもみたいだな」

 誰が子どもだ。都築と一緒にすんな。
 俺の断固とした決断に、興梠さんは見えなくなるまで立ち尽くしたまま、とうとう身動きができないみたいだった。そのまま、諦めて都築の許に帰っただろう。
 俺はこれで漸く、都築という呪縛から逃れることができるんだろうと、一抹の寂しさを風に攫われながら、都築との決別の道を歩いていた。

□ ■ □ ■ □

●事例8:トイレを覗く(扉は強制的に開放)
 回答:お前が寂しそうにしてるから付き合ってやってるだけだ。感謝こそされてもその物言いはないだろ。
 結果と対策:そっか、寂しそうな顔をしている俺が悪いのか。だったら、都築が大小関係なく覗いてくるのも、風呂に入っている所を覗きに来るのも仕方ないよな。今後、DIYで鍵を取り付けて籠もってやるって決めた。

7.洗濯機から洗う前のパンツを取り出して匂いを嗅ぐ  -俺の友達が凄まじいヤンツンデレで困っている件-

 俺が合コンに行くようになってから、都築はやたらと不機嫌になり、俺の部屋に入り浸るようになった。
 まあ、たまには都築んちに俺が遊びに行くこともあるけど、そんな日を除くとほぼ、いや確実に毎日いるような気がする。
 貴重な夜のはずなのに、それでも都築は滞ることなくちゃんと大学に行きながらもセフレたちとの遊びも熟しているようで、たまにいい匂いをさせて来ることもあったから、直前まで会っていたんだろうなぁと思ったりした。
 そこまで一緒にいたのなら、わざわざ俺んちに来なくても、自分んちにお持ち帰りでもしてもっともっと楽しめばいいのに、変なやつだなあと思っていることは内緒だ。
 今日も夕飯の支度をしている時に都築は相変わらずの仏頂面で、不当に作成した合鍵を使って欠伸をしながら入って来た。
 ただいまの挨拶とともにちゃぶ台に置いている俺のスマホを持ち上げると、都築はそのまま俺のベッドに我が物顔でごろんしやがった。
 ただいまで帰ってくるのはここじゃない、お前んちだろ。

「今日の飯ってなに?」

 超自然(スーパーナチュラル:心霊現象を意味する)に聞いてくる都築に、納得がいかない俺は怪訝そうに眉を顰めるものの、そこは既に飼い慣らされてしまった悲しい性で、割り切れない感情を抱えたままで正直に答えてやる。

「今夜はとろっと甘酢あんの酢豚だよ!それと卵とオクラのふわトロ中華スープに中華風サラダ、ほうれん草と春雨の和え物も付けるぞ」

「酢豚は魅力的だけどサラダがなぁ…」

「ダメです。サラダを食べないヤツに酢豚を食べる資格はありません」

 俺の生真面目な回答に都築のヤツは舌打ちして、それからフリックしていたとある画面で不意に動作が止まった。若干、変化はないように見えるけど、頬が強張っているみたいだ。
 あれ?俺なんかおかしなものでも入れてたっけ。
 冷蔵庫から新鮮なレタスを取り出しながら首を傾げていると…最近、興梠さんが俺の不在時に冷蔵庫に野菜やら肉やらを揃えてくれるようになったから、実は食費がかなり浮いていたりする。それが飼い慣らされてしまった要因だ。

「おい、この久美って誰だ。合コンで知り合ったヤツか?」

 まあ、何かあれば都築がサクッと聞いてくるだろうと思っていたら、案の定、ちょっと怒ってるっぽいオーラを出しつつ、上半身を片手で支えるように起こして、料理に勤しむ俺に片手を伸ばしてスマホ画面を見せてくる。

「んんー?クミ??…って、こりゃ、ヒサヨシだよ、ヒサヨシ!同じゼミの菅野久美!」

 両手に食材を持ったままでベッドに近付いてスマホ画面を見ながら、女の友達とか殆どいないのにと首を傾げていたけども、案の定、それは同じゼミの男からのメールだった。と言うか都築、毎回言うようだがお前も同じゼミの…いや、もういいや。

「久美って漢字が女みたいで嫌だって言うから、みんなでわざと久美って入れてるのがバレて、それからそんな感じでメールしてくるようになったんだよ」

 都築が一瞬固まった画面には、『はぁい!みんなの久美ちゃんだよw今夜は恒例のヒ・ミ・ツの呑みサーがあるの☆参加してね(ハートマーク)篠原くんにはぁ、前回みたいに途中で抜けずに最後まで久美と一緒にいて欲しいな☆』なんてことが絵文字と顔文字なんかが駆使されてきらびやかに踊っている。一見すれば、今どきの女の子からのお誘いに見えなくもない。
 お前らがその気なら、彼女に見つかって別れてしまえばいいとの呪詛の籠もったメールに、どうして都築が引っ掛かるんだと呆れて溜め息を吐いていたら、都築のヤツは「ああ、菅野か…」と合点がいったようで、「ふーん、アイツも結構面白いことしてるんだな」とか、俺の手を止めたくせに謝ることもせずにまたもやごろんと横になってしまう。
 そのまま牛になっちまえ。
 俺のスマホの中身なんてたかが知れてるのに、何が楽しいんだか、都築は俺が相手してやれない間はずっと俺のスマホを弄っている。久美のメールなんて前からあるだろうに、今頃気がついたのか。

「…お前、オークションとかしてるのか」

 フリックしたりタップしたり忙しなく指先を動かしているのを見ると、なるほど、俺に毎日200通ぐらいのメールを余裕で送れるような指捌きだなあと感心してしまった。

「ああ、専ら買い専門だけどね。参考書とか近くの古本屋にないヤツはオークションで探すと見つかるし、便利でいいよ」

 都築のようなお金持ちになると、ヴィンテージの衣類や美術品、アクセサリー以外で中古なんて冗談じゃないと思うんだろうけど、俺みたいな庶民には有り難いツールだ。

「…古着も買ってるのか」

 俺に言ったんだか独り言なんだか、よく判らない表情で呟いていた都築は、不意に自分のスマホを取ると何処かに電話しているようだった。
 貧乏ヒマなし学生としては、今どきのお洒落な(失笑)服とか買おうとしたら、何万円もして手が出ないので、オークションで一山幾らをまとめ買いして、着られるものだけ着て、あんまりな服は仕方ないから掃除道具に化かしてる。
 都築が『預ける』と言う名目で置いていったシャツは大きいけど着れたし、チノパンは腰の位置が違うのか、裾を幾つも折らないといけないけど、着れないワケじゃなかったから家では穿いていた。シャツはちょっとした買い物には着て行ったりもしてる。

「ああ、そうだ。全部持って来い。サイズ違いがかなりあるはずだ。他のヤツの匂いなんかさせられるか」

 最後、吐き捨てるように言った都築は電話を切ると、自分のスマホはベッドの隅に投げ出したくせにまるで我が物顔で俺のスマホを持つと、また遽しく指先を動かして、どうやらオークションの落札履歴を確認しているみたいだ。

「なんだ、オナホとかは買ってないんだな。相手なんかいないだろ、どうやって処理しているんだ?」

 実は買ってます。そう言うのを買う時だけアカウントを変えていることは内緒だ。
 都築に教えようものなら散々内容を確認されてから、こっちが真っ赤になるまでバカにしたように茶化して、それから使用済みのそれらの道具を泣いて止めても思い切り検分されるような気がする。だから絶対に教えない。
 それらのモノは都築が来るようになってから、全部泣く泣く処分した。とは言っても、オナホが3個ぐらいだったけども。
 揶揄われるのが目に見えてるからだ。
 俺が批難する目付きのまま無言でじっと都築を見ていると、「擦るだけか?」とかなんとかどうでもいいことをブツブツ言いながらスマホに集中していたくせに、すぐにそんな俺の態度に気付いて、それからなんとなく察したのかニヤニヤと嫌な笑い方をしやがる。

「さては始末したな」

「あのさ、都築。俺の性生活とかホント、お前には関係ないんだから気にしなくていいよ」

「お前だって健全な10代だろ。どうやってるのか知りたい」

 自分が触った時はピクリとも勃たなかったから、どうやら俺がEDか何かだとでも思っていたのか、勃つなら見たいとかワケの判らないことを言い出した。

「勃たせてみろよ。この間は見られなかったから、どれぐらいでイクのかも知りたい」

「…どうしてそこまで赤裸々にお前に教えないといけないんだ。こればっかりは絶対に嫌だ」

 蔑むような目付きをして断固と拒否る俺を、都築は胡乱な目付きで睨み据えてきながら、「お前は本当にこう言うことを教えないよな。普通はオレが聞けば、誰だって喋るってのにさ」とブツブツ言うくせに、「でも興味ないから聞きたくもないけど」と嫌そうな顔をするんだから、その気持ちの半分でも俺も同じように嫌がっているんだと判れよ。

「お前ってさ、やっぱり独りでやるんだろ?この前、聞いた時は掻き合いもしてねえみたいだったし…独りで枕でも噛んで声を押し殺しながら、前だけイジるのか?前立腺マッサージとかしないのか?」

 ちゃぶ台の上に出来たての酢豚や副菜を乗っけていきながら、なんだコイツ、バカなのかと嫌なものでも見る目付きで見てやってるってのに、都築は食事の用意をする俺をシゲシゲと眺めては、あらぬ妄想を幾つか思い描いたのか「なかなか唆る」とかワケの判らないことを言ってご満悦に色素の薄い双眸を閉じて嬉しそうだ。
 ホント、意味が判らないよ、一葉くん。

「跪くように前のめりに俯せて前を弄りながら、涙目で枕なんか噛んでさ、それから細い腰を高く上げて誘うようにオレを見ながらローションで泥濘んだ穴を指で押し広げて…オレに抱いてくれと囁くんだ」

「何いってんだ、お前。頭は大丈夫か?ほら、飯の準備ができたから気持ち悪いこと言ってないで降りてこいよ」

 俺の枕を抱き締めるようにして匂いを嗅ぎながらうっとりと瞼を閉じて呟く、ホント、気持ち良いほど気持ちが悪いことで満足している都築から枕を奪いながらベッドから降ろそうとしていると、玄関のドアが叩かれる。うちにはチャイムなんてお洒落なものはない。

「あれ?そう言えば、お前どっかに電話してたな…」

「興梠が来たのか。入れ!」

 都築はバカで気持ち悪いことを平気で言うような気持ち悪い(二度言う)ヤツだけど、グループの傘下が幾つもあるような大企業の頂点に君臨するべく生まれてきた絶対的な王者である証のように、よく張る凛とした通る声の持ち主だから、少し大きな声を出せば俺のアパートなんかだと外まで聞こえるほどだ。

「お疲れ様でございます、一葉様、篠原様。こちらには先程、一葉様より仰せつかりましたサイズ違い諸々の一式が収められております」

 胡散臭い満面の笑みを浮かべる興梠さんが、背後から俺の腰を抱いて後頭部だとか首筋だとかの匂いをすんすんと嗅いでくる都築を見て見ぬふりをして、俺に丁寧な低姿勢で重そうな箱を見せてくれた。

「お疲れ様です。で、なんですか、これ」

 ニコッと愛想笑いを浮かべると、俺の顔を覗き込んでシゲシゲと見ていた都築がムッとしたように興梠さんから箱を受け取って、それからまたしても傲岸な態度で下で待機していろと命じてしまった。
 俺はお前に聞いてない。興梠さんに聞いたんだ。

「サイズ違いで買って始末に負えない服だ。これなら新品だし見栄えもいいだろ。オークションで着れない服に無駄金を遣うなら、オレのコイツ等の面倒をみればいいんだ」

 都築が下に置いたダン箱を開けてみると、中にはお洒落そうで高級そうな衣類がこれでもかと詰め込まれている。
 一山幾らのオークションに出したら、20~30万ぐらいいくんじゃないかな。
 実際は数百万相当が詰め込まれていると思われる。
 うん、いらない。

「無料じゃ貰えないよ。それにこんな高級そうなの、金を出せって言われても買えないから、俺はオークションの古着でいい」

「バカ言うな…じゃあ、そうだな。オレの飯代として受け取れ」

 何時もいらないと首を左右に振る俺の習性に既に慣れている都築は、最初から言うことを決めていたんだとばかりにフフンッと腕を組んでニヤニヤと見下ろしてきた。

「ええ?最近は食材とか持ってきてくれてるから飯代なんて殆どかからないよ。だから貰うワケには…」

「そうか、お前がいらないなら捨てるだけだ」

「なぬ?!ち、ちょちょ、ちょっと待て!!」

 不意にヒョイッと持ち上げたダン箱を、あろうことか都築は本当にゴミに出すんだと持ち出そうとしたから、俺は慌ててその腕に縋るようにして引き止めた。身長差!
 このアパートのゴミ収集能力は高くて、何時でもゴミを出せる。出したゴミはだいたい翌日に取りに来るけど、その前に他の人に取られる可能性だってあるんだ。
 見た感じ、凄くセンスがいいなと思ったから、正直ちょっと惜しいと思う俺ってヤツは…
 ギュウッと腕を掴むと都築はすぐに立ち止まり、それから俺の顔を凝視するようにして見下ろしてきた。

「着ろよ。適当に言われるまま買ったヤツばっかりだから、オレに似合わないのも幾つかあるんだ。誰か着たほうが勿体無くないだろ?」

「うー…それもそうだな。うん、判った。じゃあ、貰うよ。有難う、都築」

 嬉しくてニコッと笑って礼を言ったけど、都築のヤツは嫌そうに眉を寄せて俺を見下ろして、それから不機嫌そうに外方向きやがった。こっちが素直に礼を言ったらその態度とか、なんなんだ、お前は。
 でもまあそんなこたどうでもよくて、都築が改めて部屋の中に持ち込んだ衣類を広げて、俺が目を輝かせていると、都築のヤツは既に興味を失くしたみたいにサッサとちゃぶ台を囲んで勝手に飯を食べ始めた。
 確かに冷えたら不味いけど、戴きますも言わずに食べるのはルール違反だ。
 そう言ってやって、衣類は取り敢えずダン箱に仕舞って、都築にぶうぶう文句を言いながら俺も食卓を囲むと、当分衣装代がでなくてラッキーだなと浮かれ調子で明るい未来にニンマリした。

□ ■ □ ■ □

「お前、何してんだ」

 俺が狭苦しいユニットからホッカホッカになって息も絶え絶えに出てきた時、ユニットの横に置いている洗濯機の前で俺のパンツを握り締めている都築に言った台詞だ。
 脱衣所なんてお洒落なモノはうちにはないので、部屋から見えないようにカーテンで区切った場所にある洗濯機に脱いだ服を入れてからマッパになって風呂に入るんだけど、今日はまだ洗濯機を回していないから、その両手で持っている2種類のパンツは使用済みだと言うことは判る。

「は?お前が女や男と遊んでないか確認してるだけだ」

「…パンツのニオイでか?」

「ああ、他の匂いが混じってたらすぐに判るからな」

 そう言って至極当然そうに両手に持っているパンツのニオイをスーッと嗅ぐ都築。
 そっか、俺が遊び回っているかどうかお前に逐一報告しなかったのが悪いのか。だったら、都築が気持ち悪く俺のパンツのニオイを嗅いでたって仕方ないよな。今後、絶対に都築がいる時は脱いだパンツはその場で回すって決めた。
 俺が二の句も告げられずに、そのあまりの気持ち悪さに絶句していることになんか、この世界的にも有名なほど驚異のお金持ちの御曹司様は露程も気付かずに、「うん、遊んでなさそうだな」とか言いやがって満足そうにくんくんしてる。もうやめて。

「……お前、もしかして俺が風呂に入っている時は何時もそんなことしてたのか?」

「そうだが?他にも痕跡がないか見て回ったりしてる」

 家探しか、家探ししてるってゲロってるのか。
 自分が非常におかしい、他人から見られたらこればっかりはどう取り繕っても変態としか思われない行いを平然としていると言う事実に気付けない都築は、どんな羞恥プレイだよと思わず泣きそうになって顔を覆う俺を訝しそうに見下ろしてから、それから何を思ったのか、何の前触れもなく俺の裸の胸、そうぬくくて脱力している乳首をツンッと突いてきたんだ。

「なな、何しやがる?!」

「浴室から出ると外気を感じて固くなるのに、お前の乳首はやわらかいんだな」

 でも気持ちいいと不機嫌そうに呟いてから、俺が止めるのなんか屁でもないような感じで指先でグリグリ捏ねるもんだから、流石にぬくさで脱力していた乳首も非常事態に気付いたようで、身を守ろうと乳首を固くし始めた。

「いや、手を離せ。離さないと今後一切、部屋に入れないからな」

 身を守ろう…とか何いってんだ、乳首に意思なんかあるワケがない。
 あまりのことに俺も脳ミソの何処かがどうにかなっちゃったんだな、首を振って生理現象にうんざりしながら都築を睨み据えると、ヤツはちょっと残念とでも言いたそうに唇の端を釣り上げて、単に小さく笑ったみたいだった。
 で、カーテンの向こうに行こうとするから、俺は冷静さを心懸けながら素知らぬ都築に言ってやる。

「パンツは置いていけ。洗濯機に戻せ」

 都築はチッと小さく舌打ちしてから、仕方なさそうに2枚のパンツをポンッと洗濯機の蓋を開けて投げ入れた。だから俺はすぐさま、先に風呂に入って脱ぎ散らかしている都築の下着や靴下と一緒に洗剤と柔軟剤とハイターを入れてサッサと回すことにした。
 いったい、俺のパンツをどうしようと思っていたんだ。

「都築…前々から思ってたんだけど、お前、俺のことタイプじゃないんだろ?」

 バスタオルで全身を拭いながら薄ら笑って聞くと、マッパの俺を興味深そうにジロジロと凝視して、「やっぱり、乳首が勃ってきたな」とか「陰毛が薄い…」などなど、お決まりの視姦をしながら頷いた。

「全く好みじゃない」

 だろうな…だったら。

「もしかしてお前、俺をイジメて楽しんでんのか?」

「…は?」

 足許から頭の天辺まで注意深くシゲシゲと観察することに夢中になり過ぎていて、最初、都築は自分が何を言われたのかよく判っていないような顔をしていたけど、俺の言葉を段々と理解してから不機嫌と言うより、ちょっと小馬鹿にしたような表情をして見下ろしてきた。

「はぁ?何を言ってるんだ、お前は。じゃあオレは、イジメるために興梠に服を持って来るように言ったり、合コンに付き添ったり、食材を用意したり、大学までウアイラを飛ばしたり、お前のソフレになったり、一緒に風呂に入りたがったり、一緒に住みたがったり、ハウスキーパーを勧めたりしたって言うのか?オレはどんなマゾだよ」

 それを聞いて、あ、そう言えばそうかと頷いた。
 この間、絶対必須のレポートを家に忘れてしまって、もうダメだと思いながら都築に電話したら、相変わらず俺んちで居眠りしながらゴロゴロしていた都築が急いでウアイラを飛ばして持って来てくれたんだっけ。その時、あんまり急いでいたから、何時もならビシッとセンスよくお洒落に着飾っているリア充のはずが、スウェットこそ着ていなかったものの、色違いの靴下とかクロックスとか、寄れたシャツにシワのあるパンツで、髪も寝起きのボサボサだったけど、驚くみんなの顔でそれに気付いた俺が慌てて頭を下げようとしたら、そんな俺を止めて、いいから早く講義に行け、落としたら大変だろと言ってくれたんだ。
 あんなに傲慢で上から目線で俺様なヤツだなぁと思っていたのに、その時の都築は必死で、ちゃんと俺のことを見てくれていた。
 そうだよな、あんなに真摯な行動ができるヤツが、ちょっと変態だからって悪いヤツなワケないよな。

「そっか、お前は人間としては、俺を好きでいてくれてるんだな」

 なんだか凄く優しい気持ちになって、小さく笑いながら「ごめん」と謝ったのに。

「は?だから違うって」

 なぬ?!

「お前って抱き心地が良いから丁度いい抱き枕みたいなモンなんだよ。で、飯もそこそこ食えるし、部屋も綺麗で居心地がいい。それにセフレの連中にするような面倒臭い気遣いをしなくてもいいし、セックスなしの都合の良いハウスキーパーには打って付けで便利なんだって。それぐらいにしか思ってねえよ」

 酷い。いいことしてくれたからって喜んで漸く見直していたところなのに、そんな都合のいい便利屋ぐらいにしか思っていなかったなんて…

「ま、俺もお前なんか好きでもなんでもないし、特に空気みたいに興味もないから虐められてるんじゃなきゃ別にいいけどね」

 そう言って髪もワシャワシャ拭ってから下着とスウェットを身につけてケロッと言ったら、都築のヤツは途端に不機嫌そうに眉間にシワを寄せてブツブツ言い出した。

「なんだよ、お前はオレのこと結構気に入ってんだろ?」

「は?それこそ違うって。別に空気が傍にいて何か喋ってるぐらいにしか思ってねえよ」

 好きの反対は嫌いじゃなくて無関心だからさ。
 無関心なの。都築に興味なんてこれっぽっちもねえよって言ったら、都築のヤツは急にどんよりして、それから俺のベッドの真ん中に陣取ると、腕を組んで背中を向けて不貞腐れたように眠ろうとしているようだ。

「真ん中に寝たら俺が眠られない。壁際に行けったら!ほら、都築、掛け布団も被らないと風邪を引くぞ」

 大きな図体で足のはみ出たロングじゃないシングルでそれでなくても窮屈なのに陣取られたら堪らないんだぞ、端っこに避けろよとグイグイ身体を押すけどピクリともしないから、ムッとして腕を組んだ俺は、それから徐に都築を見捨てると押入れの前に立った。
 まあ、別に都築と一緒に寝たいワケじゃないし、習慣になっていたから一緒のベッドに潜り込もうとしたんだけど、よく考えたらこれはチャンスなんだからお客さん用の布団を敷いて今日から快適に眠ろうと鼻歌交じりに押し入れを開けようとしたのに、不意にそのまま身体が宙に浮いて気付いたらベッドの中に引き摺り込まれていた。

「…だからさ、結局こうなるんなら最初から意地悪とかするなよ」

 背後からガッチリ回っている嫉妬するほど逞しい上腕二頭筋の盛り上がった部分をポンポンと叩いてやると、都築のヤツは何やらブツブツ言ったものの、俺の首筋に高い鼻梁を擦り付けるようにして息を吐いた。

「抱き心地が良い抱き枕ってちゃんと言ったはずだ。勝手に他で寝ようとするお前が悪い」

「ハイハイ」

 ふー、やれやれと溜め息を吐けば。

「ハイは1回にしろってお前が言った」

 不貞腐れたように唇を尖らせる都築に指摘されるから。

「はーい」

 笑い出したいけどそうするともっと拗ねそうなんで、仕方なさそうな体で肩なんか竦めてやる。

「ん」

 取り敢えず、満足したような都築が俺の足に自分の足を絡めてがっちりホールドなんかカマして寝息をたて始めるから、今日も都築は我が道を行く変態さんだなぁと俺も満足して瞼を閉じた。

□ ■ □ ■ □

 俺には最近、気になることがある。
 この間、都築からお前なんかタイプじゃない、自惚れんなと言われ、最近では便利な抱き枕兼ハウスキーパーだと宣われた。
 なんかそれってさ、ちょっと理不尽じゃないかって思うんだよ。
 だから、大学の構内で気心の知れた百目木を捕まえて、近所の、以前何を思ったのか都築率いる華やかグループが集団で訪れて一瞬セレブにしてしまったファミレスに連れ込むと、言い出し難さを実感しながらドリンクバーで咽を潤して口を開く。

「…これは俺の友達の話なんだけど」

「あー…はいはい、友達ね」

 なんか胡散臭い面で薄ら笑うけど、そんなこた今はどうでもいい。

「ほぼ毎日、同居でもしてるんじゃないかってぐらい部屋に押しかけられてて、一緒に住みたがったり、一緒に風呂に入りたがったり、ソフレになったり、俺の作る飯を食べたがったり、メールで女の子からのお誘いとかあったら不機嫌になったりするヤツなんだけど、これってソイツは友達のことをどう思ってるんだろう?」

「俺の作るって…いや、いいか。まあ、話しだけ聞けばムチャクチャその友達のこと、好きなんじゃね?」

 俺がツラツラと言い募る内容をうんざりしたように聞いていた百目木は、ドリンクバーから持って来ていたコーラを呑みながら、なんだそんなことかと当たり前みたいな顔で言うんだけどな。

「だよな!…でも、ソイツは友達のこと、タイプじゃない自惚れるなって言うらしいんだ」

 俺もそう思ってたけど、都築のヤツはお前なんかタイプでもなんでもねえよって馬鹿にするんだ。

「うーん、性別にもよると思うけど。異性ならツンデレ、同性なら自分にメリットがあるから押し掛けてるだけなんじゃね」

「そっか、そうだよな…じゃあ、その、あの、ぱ、パンツのにおいを嗅いで遊んでないかチェックするとかってのは、普通にありなのか?」

「ぶっは!パンツってお前…」

 すげえ言い難くて、でもさすがに顔射の話しはできないしで、俺はモゴモゴと口籠りながらパンツ事件について聞いてみることにしたら、百目木は思い切り噴き出してしまった。
 酷い、汚い。

「あれ?やっぱこれはおかしいのか」

 イマイチ自信がなかったけど、そうか、やっぱりパンツのにおいを嗅ぐのは噴き出すほどのアレなんだな。

「あ、いやその。これってアレだよな、都築のことだよな?」

 グッと声を顰める百目木に、あれ?俺、都築のこととか一言も言ってねえぞ。

「ち、違うってば!俺の友達の話だよ。なんで都築が出てくるんだよッッ」

 バレるワケにはいかないから、紙ナフキンで顔を拭っていた俺は慌てて全否定する。

「顔真っ赤だぞ、おい。まあ、いいや。異性でも同性でも、独占欲の強いメンヘラってイメージだな。お前の場合、スマホチェックもされてるし、GPSは当たり前、俺なんかと会ってても睨まれるし、都築はかなりお前に参ってるんじゃないか?」

「俺も少しは気に入られてるんだろうなって思ってさ、何度か聞いたことがあるんだけど、その度にお前なんかタイプじゃない、便利のいいハウスキーパーだって言われて見くだされてさ。他のセフレを引き合いに出されて地味にダメージ食らうんだよ」

 百目木には詳しく言えないけど、そりゃ酷いんだぜ、アイツ。
 男で言えばユキほどの容姿もないのに何を言ってるんだ、お前なんか平凡以下だぞ、どうしてオレがお前なんか…と言ったところでプゲラされる。それでさ、お前なら女の子のほうがもっと抱き心地いいわ、自分の容姿と体型を鏡で見て出直してこい、は何時も普通に言われてる。もう慣れたから最初の頃のように嫌な気持ちも起こらなくはなったけど、やっぱり少なからずダメージは食らっちゃうんだよね。

「もう否定しないのな。だったら、もうお前も気にしなけりゃいいじゃん。向こうは、本当にただの都合のいいハウスキーパー代わりって思ってるだけかもしれないし」

 それにしたって行動がかなり異常なのは否めないが御曹司だから一般庶子と違って何考えてんだか判んねえしと、青褪めた面をして百目木はブツブツ言ってるけど、俺は少し氷の溶けたアップルソーダに挿したストローに口を付けながら頷いていた。
 百目木の言う通り、都築はただ単に俺を都合のいいハウスキーパーぐらいにしか考えてなくて、ただ、他の連中に持っていかれたら不便になるから、だから俺を監視して粘着してるのかもな…なんだ、そっか。そう考えたら、モヤモヤが一気に晴れる気がする。

「百目木、有難う!なんか、モヤッてたのが晴れたよ。アイツ、きっと俺が他の連中に取られたら不便だとか思って、それでちょっと粘着的だけど、監視してるつもりなんだろうな。都築の行動が理解できてよかった」

「…はぁ、俺はそんな生易しい理由じゃないとは思うけど、まあ、お前がいいんなら別にもうそれでいいよ」

 溜め息を吐いて、できれば関わりたくないって言外に言ってて酷いな。友達甲斐のないヤツめ。
 とは言え、百目木のおかげで少しスッキリしたから、ここは俺のナケナシの懐でドーンッと奢ってやろう。
 …俺の性生活に関して知りたがるのは、きっと童貞が珍しいからだろうな。都築の周りって爛れたヤツ等ばっかりだもんな。俺の反応が純粋に面白いんだろう。
 なんとなく喉の奥に小骨みたいに引っ掛かっていた何か、その小さな何かが、ほんの少しだけ抜けたような錯覚に、ムリヤリみたいに安堵しているふりをしてみた。

□ ■ □ ■ □

●事例7:洗濯機から洗う前のパンツを取り出して匂いを嗅ぐ
 回答:お前が女や男と遊んでないか確認してるだけだ。
 結果と対策:そっか、俺が遊び回っているかどうかお前に逐一報告しなかったのが悪いのか。だったら、都築が気持ち悪く俺のパンツのニオイを嗅いでたって仕方ないよな。今後、絶対に都築がいる時は脱いだパンツはその場で回すって決めた。

6.合コンに内緒で行っても必ずいる(帰り道で物騒なことをブツブツ言う。もちろん、お持ち帰りはできない)  -俺の友達が凄まじいヤンツンデレで困っている件-

 都築に顔射されてから数日が過ぎたある日、俺の心に深い闇を落としたあの一件で、都築のヤツも少しは反省していたら可愛げもあるけど、そんな感じは全くなしで、今日も面白おかしく可愛い女の子を引き連れて構内を闊歩してくださっている。
 しかも、週の殆どを我が家で過ごすと言うあの習慣、あれもあの一件で鳴りを潜めたかと言えば全くそうでもなく、平気な顔してベッドにごろんとだらけて普通にスマホなんか弄くってる。俺が夕飯の用意をしている横で。
 顔射なんか気にしてんのはお前だけだのスタイルを貫いてるワケなんだろうけど、前と少し違ってきたことがひとつある。
 何かと言うと、俺が他の人と親しく話したり、浮かれて笑ったり、弁当を忘れて誰かと昼飯に行ったりすると、気付いたら何時もいる。確かに俺に付き纏うとも言ったし、触るとも言っていたけど、俺が恋人を作る妨害をしますとはお前言ってなかっただろ!
 都築の方がさっさと恋人でも作りそうな勢いで、前にも増して男女ともに取っ替え引っ替えで、憂さ晴らしでもしてんのかよと華やかグループの梶村とかってイケメンから言われてたな。
 うざったそうに「そんなんじゃねえよ」と言って腰巾着みたいな連中を従えてどこかに消えるはずの都築は、俺が可愛い女の子と話していると決まってふらりと現れては会話に自然に入り込んでいて、気付いたら女の子の関心は都築にしか向いていない状態が作られている。そうすると都築のヤツは決まって、「あ、すまん。お前、狙ってたんだよなw」と若干プゲラしながら耳打ちしてくるから、やっぱり気付いたら蹴飛ばしていたりする。
 ただ、都築が異常に怒る時があって、女の子と話しててもそれほどまでには怒らないだろお前、って言いたくなるほどの殺気すら感じさせるどす黒いオーラに包まれる都築は正直言って怖い。
 俺と話す柏木や、ゼミの連中が蒼褪めるのも無理はない。

「都築さ…俺、恋人を作るよって言ったよね」

 同じ講義だからなのか、華やかグループから独り逸れて、素知らぬ顔で座っている都築の周りは女子がハンターの目で狙っているけど、女子の皆さん、邪魔臭そうな目付きで俺を見ないで。最初に座っていたのは俺なんだから…
 くそぅ…と不機嫌になりながら俺が言うと、面白くもなさそうに、そのくせ常に成績は上位クラスに食い込んでいる都築が落としていた参考書から目線を上げて、つまらなさそうに「そうだな」と頷いた。

「女の子を攫って行くのはデリカシーがないよね。俺、必死なのにさ。それに、解せないのはどうして野郎と話すのを徹底的に邪魔するんだ?おかげでレポートが思い切り捗らないんだけど」

 必死かよw…とは嗤わずに、都築は全く興味もなさそうな不機嫌面で背凭れに背中を預けた。そうすると、後ろに座っている女子が、都築の色素の薄いやわらかそうな髪にきゃーきゃー言ってる。
 髪だけできゃーきゃー言われるのか。そりゃ、余裕だろうな。

「お前とセックスする女なんだからオレが選んでやってるんだよ。オレがちょっと声掛けたぐらいで意識が削がれるなんて、お前のこと気にしてないってことだろ」

 フンッと鼻を鳴らして俺を見るのは、相変わらず視姦かよと言いたくなるほどジックリとだけど、至近距離からずっと見られ続けていた俺の神経はどうやら麻痺したみたいで、もう慣れちゃったよ。

「余計なお世話だ」

 たとえそれが本当のことだったとしても、お前に言われたくない。
 早いところ可愛い女の子を見つけて、都築とのこんなおかしな関係は清算したいんだ。

「それに男は駄目だ。アイツ等はオレがその気になっても股は開かない。それよりもお前の穴を狙うほうだって判ってるからな。だったら、やっぱり徹底的に見極めないと駄目だろ?」

「……朗報だ、都築。俺も連中も男には全く興味がない。可愛い女の子オンリーだ」

 思わずどんな思考回路をしているのかと都築の脳内を開いて見てみたい気もしたけど、実際に見たら、見てはいけない深い深淵を覗き込むことになりそうで頭を振った。
 どちらにしても、どうして俺が男に狙われるなんて荒唐無稽なことを考えついたりするんだろう。

「それはお前の思い込みかもしれないだろ?中には一度ぐらい男を抱いてみたいってヤツもいると思うぞ。オレの周りにいる連中も、全員男の経験あるしな」

 それは突っ込むほうなのか、突っ込まれるほうなのか…何と言うか、都築は完全に突っ込むほうだろうなぁ。こんな大柄な男を抱きたいってヤツもいるのかな。つーか、都築が突っ込ませるかな。
 ああ、気持ち悪い考えばっか浮かんできて…俺のいたいけな脳みそが、都築と華やかグループに汚染されていく。

「お前ってさ、やっぱつるんでる連中とも犯ってんのか?」

「佐野と梶村か?一度抱いてくれって言われた時に犯ったかな。でもあんま良くなかったから切った。今でもたまに言ってくるけど、もう断ってる。セックスなんて楽しくなけりゃ意味がないから」

 肩を竦める都築は鼻梁の高い横顔を見せながら、それでもキロリと目線だけは一瞬でも俺からはなそうとしない。
 綺麗だったり可愛かったり、およそ見た目のいい学生はほぼ食い散らかしてるくせに、どうしてそんなに俺に構うのか未だによく判らない。俺程度なんて本当に、そこかしこにうじゃうじゃいるぞ。
 そう言えば俺、都築のことって噂話程度しか知らないんだよなあ。
 噂話がほぼ本当だったって知った時は驚愕だったけども。

「都築っていつも犯るほうなのか?犯られたこともあんのか?」

「なんだ、今日はやけにオレに興味を持つな。好きにならないとか言って、本当はお前、お前こそがオレに惚れてるんじゃないだろうな」

 なんだか嫌な目付きをしてニヤニヤ笑う都築を、俺は冷めた目線で見返して肩なんか竦めてやる。

「惚れるかよ。天地が逆さになっても、太陽が西から昇ってもお前なんか好きになることはないから安心しろ」

 途端にムスッとして、都築は何かぶつぶつ言いながら俺を睨んできた。
 自分は俺なんかタイプじゃないとバッサリ切り捨ててるくせに、俺が同じことを言うとあからさまに不機嫌になって睨むとかおかしくないか。
 それとも何か、庶民はみんな御曹司の自分に惚れてないとおかしいとか、そんな電波なことを考えているワケじゃないだろうな。

「ふん。中1の時に一度抱かれそうになったけど、ソイツが下手だったんだろうな、あまりの痛みにキレちまって逆にソイツを犯ってたよ。それが男初体験」

 都築の男デビューとか聞いて何が楽しいんだ俺。
 途端にうんざりしてやっぱりもういいやって手を振って正面に向き直ると、都築は面白くなさそうに鼻を鳴らして、でもすぐに何やら思いついた!と閃いた顔でニヤニヤ笑って俺に耳打ちしてくる。

「残念ながらアナルはまだ処女よw」

 科を作る都築が気持ち悪くて嫌そうに顔を背けると、ヤツは自分でやっておきながら不機嫌そうに頭を掻いた。

「中1のときはお前より身長が低くて可愛かったんだぜ、オレは。お前が見たら一発で惚れてたと思う。ベビーフェイスだったしさ。そうしたら、お前の童貞はオレが食ってたかもな」

 フンッとさして面白くもないことなのに、都築は何を想像してるのか、ニヤニヤ笑って満更でもないような顔をしている。
 この年まで女の子と手を握るので精一杯の童貞だったのに、幾ら可愛いからって同性の男に手を出すまでのめり込むことなんてないに決まってる。って言うか、性的に疎かった当時の俺が、お前みたいに男を食うなんて芸当ができるわけないだろ。

「全然、有り難くない。でも、中学時代の可愛い都築には興味があるから、今度写真見せてよ」

 強がりで否定しておいて、でもやっぱり今のいけ好かない性欲魔人の変態御曹司には全く興味はなくても、可愛いと自己評価の自慢の写真は見てみたいよね。
 ハーフだから可愛いだろうとは予想がつくけども。

「…やだね」

 なぬ。なんかすげえ乗り気な会話してなかったか、今。
 ええ~と眉を寄せる俺を、何時ものように食い入るように見つめながら、都築のヤツは聞いてもないことをペロリと喋った。

「オレの童貞を食ったのは男初体験の相手、カテキョのセンセーだったんだ」

「成熟だろうなぁとは思ってたけど、ホント、都築って期待を裏切らないヤツだよな」

 可愛い都築は諦めることにして、その可愛い都築に(違った意味で)乗っかられた先生は泣きっ面に蜂だったんだろうなあ。
 可愛がるつもりが可愛がられるなんて…ご愁傷さまだ。

「それでも責任とって付き合ってたんだぜ。後にも先にも、誰かと付き合ったのはアレっきりかな」

 不意に、珍しく都築が俺から視線を引き剥がして頬杖をつきながら前を見た。前とは言っても、現実的に見ているのではなく、思いを馳せるために目線を外した…ってほうがしっくりくる。
 都築にとってその先生は、もしかしたら本気で好きになった人なんじゃないかと思う。今みたいに濃厚なくせに希薄な関係じゃなくて、都築なりに真剣にその先生のことを好きだったんだろう。だから、抱かれてもいいと思ったに違いない。
 その先生とは結局、別れてしまったんだろうか…いや、別れてるんだろうな。だから都築は誰とも真剣に恋愛せずに、もしかしたらその先生のことが忘れられないのかもしれない。
 そこで俺はふと気付く。

「あ、俺の腰が似てるってヤツ、その先生か?」

「はあ?全然違う。あの人は性的に擦れてたからな。結局は、ネコもタチも両方いけるひとだったしさ」

 都築は面白くもなさそうに、怪訝そうな目付きを俺に戻して、ジロジロと座っている俺の腰から頭の天辺、それから顔を見ながら「確かに腰は男のワリには細かったけど、お前ほどじゃない」とかなんとかブツブツ言った。
 まあ、都築にとってその人は今でも大事な人で、きっと忘れられない人なんだろう。
 性欲魔人で他人をモノのように扱う、変態御曹司だとばかり思っていたけど、そんな風に、恋心に揺れる儚い想いを抱いていた時代もコイツにあったんだなあとしみじみ感慨に耽っていた…けど、キレて抱いたんだっけか。
 その辺はやっぱり都築なんだな。この性格はほぼ昔からだったんだな。
 じゃあ、やっぱり俺は、可愛い都築でも当時は遠慮していたと思う、ってことは、面倒臭そうに講義を聞いている都築には口が裂けても言わないでおこうと思う。

□ ■ □ ■ □

「どーしてここに都築がいるんだよ?!」

「判んねえよ!俺だってアイツだけは絶対に呼ばねえよ。でも来てたんだよ!追い出すワケにいかねえだろうがッ」

 確かにご尤もな感じでキレている百目木に涙目になって、俺は正面に立膝で座ってハイボールを呑みながら、その場の女の子の殆どと談笑している都築を軽く睨んでいた。
 最近は滅多に行かない合コンに、誘われるままに積極的に参加するようにしてるってのに、気付くと必ず都築が来ている。呼ばれていないのに当たり前みたいな厚顔でもって、しかも支払いを気前よく全額持つもんだから、誰も文句言わないし、女の子は全員両目がハートで男は憧れみたいな目で見てやがる。毎回そう言う遣り取りを見る羽目になって、恋人のひとりも作ることができない。
 都築に恋人を作るぞ!と宣言してから、できる限り女の子との接点を持とうと大学で企むも、尽く都築に持っていかれるという悲劇に見舞われて、それが可哀想だと同情してくれた百目木が今回は都築に内緒で久し振りに誘ってくれたんだ。
 お持ち帰りまではできなくても、話が合えばそのままお付き合いに発展とか…だってさ、合コンって何も犯ることだけ目的にしてるワケじゃないだろ?男が欲しい女の子と女の子が欲しい男との出会いが目的なんだろ?だから都築みたいに、既に肉食系の女子と数件約束を取り付けてるのはおかしいと思う。
 いや、正しい行為か。畜生。

「都築が来たら合コンじゃねえもんな。都築を囲む会になるよな」

 俺の横の百目木が溜め息を吐いてビールを呷るのを、ほぼ同じ心境の俺も涙目で眺めていた。あんまり酒は得意じゃないから、百目木ほど豪快には呷れないけど、それなりに自棄酒ぐらいは楽しめるさ。ふん。
 だいたい、今度こそはコイツの顔を真正面で見ることはないだろうと思っていたのに、百目木の誘いだったから100%安心してたってのに…クソッ。
 ピロンッピロンッと、この合コン会場の居酒屋に来て、既に30通を超えるメールがまた届いた。

『あれ?カノジョ作るんじゃなかったのかw』

『ひとり回そーか?』

 女子や一部の男子とも和やかに談笑しながら、煙草を片手にスマホを弄っている都築を、やっぱり俺は恨めしそうに軽く睨んだ。
 都築に連絡先を教えてからというもの、1日余裕で200通を超えるメールが届くようになった。着信履歴もほぼ都築に埋められているけど、無視してもあんまり怒らないから放置してる。
 俺んちに来ない時とかは、華やかグループだとかそうじゃないグループ、ましてや女の子や男と遊んでるんだろ?!と思わず聞きたくなるほど、200~300通ぐらい他愛のない内容で送信してくる。
 一度、20通を超えたあたりで返信がないと電話口でこっ酷く怒られたけど、リア充のお前と違ってこっちは平凡な大学生なんだ、そんなに指先が動くか!と怒鳴り返したけど信じてもらえず、俺んちでゼミの仲間にチクチク返信しているのを見て漸く納得してもらったって経緯があるから、都築は思う様メールしてくる。俺の返信は10通から15通に一度ぐらいだけど、今はもう気にしてないみたいだ。
 でもこれはムカつくので返信する。

『よけいなお世話だ、バカ』

『バカとかうけるw』

 ピロンッとすぐに返信が来てやっぱり俺を怒らせる都築をチラッと見ると、こう言った席では何故か視姦してこない都築は、楽しげに会話しながらスマホの画面から目線を外さない。
 何をしに来てるんだ、お前は。

「女の子、全部都築くんに持ってかれちゃったね」

「あ、嵯峨野さん」

 スマホばっか見てないでちゃんと会話しろよとチクチク書いていた時、不意に隣から声がして、あれ?俺に話し掛けてんのかなと顔を上げたら、さっきまで女の子と話していた2人隣りに座っていたゼミの先輩が困ったように眉尻を下げて笑っていた。
 話していた女の子はと見ると、両目をハートにして都築の話に頻りに頷いている。ありゃ、話しは聞いてないな。

「そうですよね。こうなったら会費分は呑まなきゃ、やってらんないです」

 書きかけのメールをそのままにスマホを置くと、嵯峨野さんはおやっと眉を上げてみせた。

「さっきからメールがよく来てるみたいだけど。もしかして、彼女とか?」

「はは、彼女がいたら合コンとか来ません」

「あ、だよね~」

 お互い他愛ない話で笑いながらこの白けた合コンをなんとか乗り切ろうとしてるってのに、真正面からすげえ威圧的で高圧的な視線を感じるんだけど見ないことにする。
 ピロンッとまたメールが届いた。

『誰だよ、ソイツ』

 何時もは変な顔文字とか絵文字とか入れてくる都築のノーマルな文体に、ヤツが機嫌を悪くしていることに気付いた。いや、みんなには愛想が良いから誰も気付いてないみたいだけど、目付きもだいぶ宜しくないことになっている。

「あんまり話したコトなかったから、こうなったら篠原でもナンパしようかな」

 合コンに来て男友達を作るってのもアレだけどね、と軽く笑う嵯峨野さんの冗談に笑ってたら、またもやピロンピロンッとメールが立て続けに届く。
 嵯峨野さんに断って内容を確認したら…

『なんだよ、ソイツ。合コン来て男と話すなんかゲイなんじゃね?』

 とか。

『あんまりいい顔してやんなよ。勘違いするぞ』

 などなど、本当にどうでもいい下らないことばかり書いてくるから、俺は正面に座っている都築を軽く睨むと、閃いた!と思って返信を打ってやった。

『嵯峨野さんにナンパされちゃった。どうしよっかな☆』

 送信したらスマホから目線を外さずにハイボールを呑んでいた都築が、思わずと言った感じで激しく咳き込んだから、周りの女の子も男も驚いたように口々に「大丈夫?」と声をかけている。ふん、ざまあみろ。
 そもそも、嵯峨野さんを誰だとか聞いてんじゃねえ。お前の先輩でもあるだろうがよ。
 ホント、アイツたまに頭いいのにバカなんじゃないかと思う時がある。
 都築くん大丈夫かなと心配する優しい嵯峨野さんに、うん、多分殺しても復活しそうだから大丈夫じゃないかなと内心で吐き捨てながら、俺はこの居酒屋で名物だって言う唐揚げを口にした。
 本場唐揚げ天国の九州から上京してきている俺としては、名物と聞けばやっぱり食べておかないとな。
 ピロンッとメールが来て、もう復活したのかと恐る恐るその内容を見ると。

『ふうん、いいんじゃない?お持ち帰りしてもらえよ』

 冗談とも本気とも取れない内容に都築を盗み見ると、ヤツは唐揚げを口にしながら隣りの女の子に何やら耳打ちしてはクククッと笑っている。
 まあ、俺のことを言ってるワケじゃないだろうけど。
 ピロンッとまたメールが来て…アイツ、女の子と今話してたのに、いつ打ってるんだよと訝しみながらスマホの画面を見た。見て絶句する。

『ついでにソイツにもガンシャしてもらえば?』

 俺が思い出したくないと言って恥も外聞も捨てて泣いて怒ったことを、まるで冗談の延長線とでも言うように無神経に書いてくるのは、正直言って、少し傷付いたぞ。
 キュッと唇を噛んで俯いたけど、目線を上げた先で都築が食い入るように、若干涙目の俺を凝視していた。
 でも、俺はフイッと目線を外して、それから自分史上とびきりの笑顔で嵯峨野さんにコソッと耳打ちした。

「俺、もう酔っ払ったんで帰りたいんですけど、適当に言い訳ってしてもらえます?」

 内容はこんなモノだけど、コソコソと耳打ちしたら、なんだか悪乗りした嵯峨野さんもクスクスと笑ってヒソヒソと耳打ちで返してくれる。

「酒弱いの知られたくないんだろ?判る。女の子にはバレたくないよね」

 そうそうと頷いて、それからまたコソッと耳打ちで、じゃあ帰りますねと声を掛けると、嵯峨野さんは気を遣ってくれて、俺が出たら5分ぐらいしたらトイレに立つから、その時に急用の電話が来て帰ったって伝えておくよと言ってくれた。
 うう、いい人だな。嵯峨野さんって。

『そうする』

 都築には一言送信して、あとはもう振り返らずに荷物を持って、そのままコソッと部屋を後にした。
 都築は男女ともにギチギチに囲まれてるから、おいそれとは追って来られないことを計算済みで飛び出した居酒屋は、俺にしてはもう来たいとも思わない場所になった。
 悔しくてスマホを握ったままの手で泣きそうになる目を擦っていると、さっきからピロンピロンッと何通もメールが来ているみたいだったけど、どうせムカつくことしか書いてきてないんだから見るのも嫌だったけど、見なければ見ないで後でなんて言われるか判ったもんじゃないから、しぶしぶ表示して読んでみた。

『なんだよ、その顔』

『なにコソコソ話してんだよ』

『ゲイだろ、お前ら。気持ち悪いぞ』

『おい、メール見ろよ。こっち見ろ』

『は?そうするってなに、お持ち帰りされるのか?』

『なんで出ていってるんだ』

『冗談だろ、無視するな』

『トイレか?どこにいるんだよ』

『おい、アイツも今席を立ったぞ。マジなのか?』

『どこにいるんだ?』

 みたいなことが延々と届いている。
 何を慌ててるんだよ、コイツ。自分が唆したんじゃねえか。

『これからホテルに行くんだけど?なに焦ってんだ。お前のご期待に応えてやるよ。明日、ちゃんと結果を言うから、お前との関係はこれで終わりな』

 悔し紛れにそんなことを書いて送ってやった。
 すぐに返信が来るだろうと思ったけど、それからピタリとメールが来なくなった。
 どうやら俺が他のヤツのモノになるって知って、興味が一気に失せたんだろうな。変な執着をされてたからちょっとは困ってたけど…なんだ、さっさとこうしてりゃ良かった。
 そうしたらジックリ見られたり抱き着かれたり家に居座られたり、何よりあのクソ忌々しい顔射なんかされずにすんだのにさ。
 もう暗くなっているから車のヘッドライトが流れるような道路の脇にある歩道をとぼとぼ歩きながら、この季節だし電車代でも浮かすかなーと考えていた時だ。
 少し軽い感じのクラクションが注意を引いて、俺を含める周囲の人間がそっちを向いた…でも、俺は少し気付いていたと思う。
 エンジンの取り掛かりは軽い感じだけど、吹かすと低い重低音でスポーツカー特有のエグゾーストノートが響いていたから、誰が誰を呼び止めているのかすぐに判った。
 都内でこんな重い音を出す車に乗ってるのはアイツぐらいだろう。

「乗れ」

 ハイパーカーは、その力量を無視したようにノロノロと我が道を征く。後ろの車はクラクションも鳴らさずにスルーで追い越して行った。
 誰もがハッとするスポーツカーに都築の容姿が乗ってれば、振り返った人たちがみんな驚嘆と憧憬の入り混じった不思議な表情で見つめるなか、俺は窓から腕を出して偉そうな仕草で当然のように命令する傲岸不遜な都築をちら見しただけで、スタスタと帰宅の途を再開した。

「おい、何無視してんだよ。乗れ!」

 ウアイラのドアはガルウィングだからヒョイッと上がる。車道のほうが思い切り助手席なのに、ガードレールを乗り越えて、命を危険に晒しながら助手席のドアをヒョイッと開けて乗れって言うのか。大馬鹿野郎か。
 無視する俺の横顔を食い入るようにジックリと見上げてくる都築は、イライラしたようにガードレールすれすれをノロノロ走っている。

「…」

 それでも無視してたら、突然、癇癪でも起こしたようにクラクションが派手に掻き鳴らされた。
 ビックリしたのは歩行者もそうだが、走行中の車に乗車してる人も、何事が起こったのかと慌てたようにこちらを見るから…でも、俺はガードレールを越えなかった。
 都築が漸くその事実に気付いたようで、クラクションを力任せに叩きながら、ちょうど車道と歩道を区切るガードレールが途切れたところからウアイラを乗り上げたからだ。

「とっとと乗れ!!」

 都築の剣幕もさることながら、周りからの視線の痛さも十分ヤワなハートを縮み上がらせるから、俺は溜め息をひとつ零して、それから助手席まで行ってドアをヒョイッと上げてからウアイラに乗り込んだ。
 都築は俺がシートベルトを嵌めるのを確認もせずに、急スタートでスキール音を響かせて車道に躍り出ると周囲をさらにビビらせたみたいだ。
 そうだった、都築の運転するウアイラには二度と乗らないって決めてたのに。

「…どうして俺がここにいるって判ったんだよ」

 愛用のデイバッグを膝の上に置いて窓の外に流れる夜景を眺めながら、苛々している都築が何も言わないから口を開いた。
 実はあの繁華街から北…つまり今の反対方向に行った先がホテル街だから、都築がこっちを捜してくるとは思ってもみなかった。
 まあ、探すとも思わなかったんだけど。

「GPSだ」

「ふうん……え?スマホに勝手にアプリを入れたのか?」

 頷いて、それから俺はハタと気付く。
 まあ、都築はいつも俺んちに来ると、まずベッドにごろんしてから俺のスマホの履歴とかメールのチェックとかしてるから、その時にでもスパイアプリとかなんだとかを入れまくってるんだろう。俺、あんまりアプリとか見ないし、パズルゲームとかソリティアぐらいしかしないからなぁ。

「…アプリはモチロン入れてるけど、お前のデイバッグにも入れてる。トップスとボトムス、それから下着にも興梠に指示して超小型を取り付けた」

 どれを俺が穿くとか着るとか…ああ、そう言うことか。
 俺が大学かバイトに行っている間にでも全部に取り付けたんだろうな。
 下着か…そこまでは考えつかなかった。つうか、なかなか気持ち悪いな。

「お前自身にもピアス型を付けようと思ったけど、痛いの嫌がるだろ。だから仕方ない」

 奥歯とか皮膚の下に埋め込むのもいいんだけど…と都築はぶつぶつ言いながら、それでも俺がホテルに行かなかったことでほんの少し、機嫌を直したみたいだった。

「そこまでしてんのに、何を居酒屋で焦ってたんだよ」

「はあ?別に焦ってねえよ。確認する必要もないと思ってたからさ」

 とか言いながら、メールがダメなら平気でバイト中でもなんでもお構いなしに電話をしてくるヤツが、俺の傍らにいるかもしれない誰かの存在を意識するのが嫌で、面倒でもメール攻撃にしたんだろ。

「ホテルに行きそこねたな」

「……お前、本気であの男と寝るつもりだったのか。俺には男なんて絶対に好きにならない、都築なんか絶対に好きにならないとか言っててさ」

 ポツリと窓の外の夜景を見ながら呟いたら、都築は酷く嫌そうな嫌悪感丸出しの顔付きをして、運転に集中しながらもちらちらと俺のことを気にしてるみたいだ。

「寝るわけないだろ。顔射だよ顔射!あんなクソつまんないこと、他のヤツにもやらせたら、お前の拘りがなくなるんじゃないかと思ってさ」

「そんなワケねえだろ!」

 不意にガツンと速度が上がってビビる俺に向かって、都築はそれこそ暗雲たらしめる嵐に巻き込まれて散々な目にあった人みたいな、腹の底からくる怒りにどうしたらいいのか自分自身でも判らない、なんだかバラバラの感情に苛まれたような、手っ取り早く言うとメチャクチャ怒ってて、走行中だと言うのに俺を睨み付けてきた。
 やめて、死にたくない!

「他のヤツにやらせるならオレだっていいはずだ。じゃあ、オレでいいじゃねえか。なんであんなに怒ったんだよッ。バカじゃねえのか」

「じ、冗談に決まってるだろッ!お前があんな嫌味な返信を寄越すから、意地悪したくなっただけだよッッ」

 それよりもともかく前を見ろ!
 俺の悲痛な訴えに漸く溜飲を下げたのか、都築は大人しく前を見て運転を再開したけど、怒りの炎はまだ治まっていないみたいだ。

「お前は二度と他のヤツにやらせようとか思うなよ」

 はいはい、もうこんなにおっかないんなら意地悪なんかしないよ。

「じゃあ、もう二度と、お前もあんな嫌味なメールは寄越すな。もし寄越したら今度は意地悪しないで着拒するからな」

 ぶうぶう怒ってるのは俺だってそうなんだから、プッと頬を膨らませてわざと怒ってるアピールしたら、都築のヤツはそんな俺をチラッと見てから、不機嫌そうに眉根を寄せてブツブツと「クソッ!忌々しいな。いっそのことチンコでも喰い千切ってやろうか。復元できねえように咀嚼して喰ってやろうか」とかなんとか変なことばっかぶつくさ呟いているけど、実際に着拒したところで、その日の夜に何事もなかったみたいに俺んちに来て、それからベッドにごろんして俺のスマホを弄り倒すんだから意味はないんだろうけど。
 でもやっぱり、少しぐらいは威嚇も必要である。
 俺んちに帰る気もマンションに戻る気も起きないのか、都築はウアイラを心ゆくまで走らせて夜のドライブを楽しんでいるみたいだ。

「よし、ホテルに行きそこねたって拗ねてるみたいだから、オレの定宿に連れてってやろう」

 仏頂面はいつものデフォルトの都築だから、どうやら機嫌が直ったんだろう、それどころか上機嫌でそんな気持ち悪い提案をしてきた。
 定宿ってことは男女ともなく連れ込んでエッチする宿なんだろ。そんなラブホまがいなところになんか行きたくないっての。
 あ、でも俺もラブホに行きそこねたって言ったんだったか…ヤバイ。

「ホテルなんか行かなくていい。家に帰りたい…それより都築さ、合コンなんか暇人の下らないお遊びだとか豪語してたのに、どうして最近よく来るようになったんだ?みんな嬉しそうだけど不思議そうにしてたぞ」

 ホテルを断固として拒否る俺に、あの男とは行くような冗談が言えるくせに、どうしてオレとホテルに行くのは嫌がるんだよと不機嫌に怒りを滲ませたオーラの都築に言い募ると、ヤツは少し考えていたようだけど、憤懣やる方なさそうに吐き捨てた。

「お前みたいなお子ちゃまが肉食女どもがうじゃうじゃいる合コンに独りで行ってみろ、あっと言う間に食い散らかされるに決まってる。お前をガードするためだろうが。そもそも、お前がセックスする相手はオレが吟味して決めてやるって言ってんだろ」

 …そっか、お子ちゃまの俺が悪いのか。だったら、都築が尽く合コンの邪魔をしても仕方ないんだよな。今後、俺が参加する合コンの情報は一切漏らさないように徹底的に根回しするって決めた。
 都築のお目に叶うヤツなんて、この地球上にいるのかな。
 たぶん当分の間、俺は童貞なんだろうなと覚悟した。

□ ■ □ ■ □

●事例6:合コンに内緒で行っても必ずいる(帰り道で物騒なことをブツブツ言う。もちろん、お持ち帰りはできない)
 回答:お前みたいなお子ちゃまが肉食女どもがうじゃうじゃいる合コンに独りで行ってみろ、あっと言う間に食い散らかされるに決まってる。お前をガードするためだろうが。
 結果と対策:そっか、お子ちゃまの俺が悪いのか。だったら、都築が尽く合コンの邪魔をしても仕方ないんだよな。今後、俺が参加する合コンの情報は一切漏らさないように徹底的に根回しするって決めた。

5.泊まりに行って風呂に入ったら顔射される(逃げ出しても回り込まれてしまう)  -俺の友達が凄まじいヤンツンデレで困っている件-

 都築はそれでも今まで遠慮はしていたようで、ソフレになるって決めてから大っぴらに抱き着いて眠るようになった。前までは後ろからこっそりと抱き着いている感じだったのに、今では後ろからでも正面からでも抱き着きまくる。
 とは言え、やっぱり後ろから抱き着くのが一番落ち着くのか、俺をすっぽりと包み込んでから安心したように眠る…んだけども、都築んちに泊まった翌朝、目が覚めたらほぼフルおっきしてる朝立ちをゴリゴリと押し付けられるのは何時ものことだけど、それに足が絡まるが追加要素として導入されたみたいだ。正直、完全に身動きできない。
 このソフレってのは男女間で行われるらしいんだけど、みんなよく平気でこんなことできるよな。同性同士ってなら、若干朝の生理現象を除けば許せる範囲だけど、俺が女で都築にこんなことされてたら、間違いなくレイプされるんじゃないかって一晩中眠るどころの問題じゃない恐慌状態になると思うんだけどなぁ。
 それはやっぱ、都築みたいな性欲魔人のうえ無節操なヤツだから感じることであって、他のヤツだと大丈夫なんだろうか。女の子はいいとしても、野郎は朝の生理現象をどうしてカバーしてるんだろう?
 もしかして、ソフレってこんな風に抱き着いて眠らないのか??
 女の子も朝のメイクなしの顔を見られるのは大丈夫なんだろうか…友達だからいいのか。
 まるで絡みつくみたいにぴったりと身体を寄せて、何処にも隙間がないんじゃないかと言うほど都築の体温に包まれた気持ち悪い朝を迎えた俺は、目が覚めても身動き取れずトイレにも行けない状態に激しく困惑しながらも、そんなどうでもいいことをぼんやり考えていた。
 都築とエッチしている連中はこんなに苦しく拘束されて目覚める朝に耐えられているんだろうか…耐えられているから続いてるのか。俺だったら遠慮したい。
 まさかここまで強く拘束されるとか思ってもみなかったから、今更ながら都築とソフレになったことを後悔し始めていた。

「…起きたのか?」

 俺の溜め息に反応したのか、寝汚い都築は身動ぎしてキツく俺を抱き締めると、「んーっ」と掠れた声で伸びをしてから、俺を抱え直すようにして抱き着きながら欠伸混じりに聞いてきた。
 離してはくれないのか。

「都築、俺、トイレ行きたい」

「んー?うん…ここでしたらいい」

 むにゃっとワケの判らないことを呟いているところを見ると、どうやら掠れていても覚醒しているように感じたのは気の所為で、思い切り寝惚けているみたいだ。
 まさかとは思うけど、そう言う羞恥プレイとかこの部屋でしたことがあるんじゃないだろうな…都築なら有り得そうだから気持ち悪い。
 やれやれと溜め息を吐いてから首を巡らせて室内を見渡してみた。
 ハウスキーパーに毎日掃除をさせている部屋は綺麗で、厚めの遮光カーテンの隙間から零れる朝陽に浮かぶ室内は広くて、邪魔にならない機能美を備えた家具のデザインと配置は、日頃だらしない都築にしてはセンスがあってお洒落だと思う。
 清々しい朝っぱらから嫌な予感を思い付かせる台詞を吐く背後の男に、軽い肘鉄を食らわせて呻かせると、怯んだ隙きにさっさと身体を離してベッドからサクッと降りてトイレに向かった。
 夜見た時はキングサイズだと思っていたベッドはそれよりもっと大きいようで、そのベッドを置いていても広いスペースがある、もしかしたら俺の部屋がこの主寝室だけでまるっと収まるんじゃないかと思える室内には、ウォークインクローゼットと主寝室用のシャワーブース、それからトイレが併設されているから凄い。
 廊下に出なくてもここだけで身支度は完了できるって仕組みだ。下手なワンルームマンションみたいだな。
 感心しながら用を足して戻ると、都築のヤツが呻きながら両手で頭を抱えるようにして、ベッドの上で胡座を掻いている。
 そんなに肘鉄が痛かったか…と言うとそう言うワケじゃないらしく、低血圧らしい頭痛に顔を顰めて呻いているだけらしい。

「お前、相変わらず起きるのが早いな。まだ6時過ぎだぞ」

 ヘッドボードに作られた棚の上に無造作に投げ出していた、数百万はする腕時計を無造作に掴んで時刻を見ると、青褪めたまま顔を顰めて首を左右に振っている。

「何時もならこの時間から弁当を作るんだよ」

「…今日は休みだ」

 恨めしそうに俺を睨み据えて言う都築に、俺は思わず噴き出してしまった。
 そんなに眠いもんかな。

「判ってる。でも、もう癖になっちゃってるからさ」

「じゃあ、もう少し眠ろう。来い」

 来い来いと両手を差し出されれば、ソフレになると約束した舌の根も乾かないうちに嫌だと言うワケにもいかないし、俺は不承不承頷きながら、キングサイズよりももっと広いベッドにもそもそと上がって、都築が差し出す腕の中におさまってやった。
 そうすると漸く都築はホッとするのか、俺を抱き締めたままもう一度ベッドにダイブすると、すぐにスースーと寝息が聞こえ始めた。
 俺は一度起きるとなかなか二度寝ができない質だから、仕方なし、目の前の温かい大きな壁を見据えて今朝の朝食はどうするんだろうとか、そんなどうでもいいことを考えながら遅々として進まない時間を過ごしていた。
 …都築を起こしてから1時間ほどした頃、誰かが主寝室と隣りにあるベッドルームを繋ぐ廊下に入って来たみたいだ。
 完全防音の室内だから気配を感じる筈はないのに…と首だけを起こしてドアの方を見たら、ほんの僅かに扉が開いていて、気配の人物が開けたんだろうと言うことは判った。
 入って来ないと言うことは都築の身内だとかセフレだとか恋人ではないんだろうな。
 あ、それとも都築が俺なんか抱き締めて寝てるもんだから、セフレだって勘違いして入って来れなかったんじゃないのか?!
 熟睡すると都築は腕の力が緩む、とは言え、意識がないからその腕は力が抜けて重くなっているので十分重しにはなるワケだけど、完全に覚醒している男の俺ならその下から抜け出すのは一苦労でも無理な話ってことでもない。なので、うんしょと腕を持ち上げてのそのそとその下から這い出ると、今度は都築を起こさないようにソッとベッドから降りて主寝室を後にした。
 今回は足が絡んでいなかったから抜け出せたけど、べったり纏わり付かれていたら今も抜け出せてなかっただろうなあ…とどうでもいいことを考えながら、お泊りセットで持って来ていたスウェットの上下の俺には不似合いな広い廊下で一旦立ち止まってみたけど、どうやら廊下にもトイレにももう1つのベッドルームにも、もう誰の姿もないようだった。 この家ってトイレが3つもあるから凄いよな。
 主寝室に1つ、主寝室と同じ空間にあるベッドルーム用のトイレが廊下に1つ、それから玄関に続くドアを開けて出たところに1つ。つまり、それほど親しくない客用って言うか、プライベートエリアに入って欲しくない、もしくは入る必要がない連中は、この玄関の横にあるトイレで済ませろってことなんだろうな。
 お金持ちの家って凄いけど、よく考えられているな。
 まあ、俺みたいな庶民の実家にはプライベートエリアも応接も全部リビングだから、トイレだって共同が当たり前だけどさ。同じマンションでもワンルームだとプライベートもクソもないけどな。だから都築に我が物顔で占拠されても追い出さない限りは逃げ出す場所がないってワケだ。
 でも、最近はトイレが2つってのも当たり前になってるから、お金持ちはこれくらいじゃないと駄目なんだろうな。しかも都築んちのトイレって、自動で蓋が開いて自動で流れるんだぜ。最初はビックリしたけど、手を触れずに全部できるから、清潔感はあるよね。
 そんな夢みたいなトイレのことで頭を埋めながら、俺は玄関に続くドアを開いた。
 そして、開いた先にユキと呼ばれた都築の彼氏とはまた違った、ハッと目が醒めるような綺麗な男がエプロン姿で立っていた。
 相手も驚いたようにあたふたと手にしている掃除道具を壁側に寄せて、それから薄っすらと頬を桃色に染めながら控え目に笑ったみたいだった。何から何まで、どの動作をとっても見ても無駄がないのに騒がしくもない。
 俺とまるきり正反対の雰囲気だなと思った。
 第一印象は控え目な美人だ。

「初めまして。ハウスキーパーの塚森と申します」

 そう言えば都築が通いのハウスキーパーがいるって言ってたけど、こんな美人なハウスキーパーがいるんなら、俺なんか雇う必要はないんじゃないか。いや、男だけど。
 あ、きっとアレか。さすがに働いている人に手は出せないから、添い寝のメリットで俺を雇いたいのかな?

「俺、別に都築の恋人とかじゃないので、掃除とか必要ならチャッチャとやっちゃってください」

 そう言ってから塚森さんが目を瞠ったので、あ、アイツが男もいけるバイ野郎ってことは言われてないのかな。言われてるんだったらこれだけの美人なら警戒するだろうから、しまった、都築の秘密を一方的に暴露しちゃったかもしれない。
 うう、後で謝罪しろって言われそう。その内容が怖い。

「そうだったんですか…一緒にいらっしゃる方がいない場合は私が起こしに行かないといけないので、すみません、寝室を覗いてしまいました」

「あ、そうだったんですか!アイツ、たぶんまだ寝てると思うので起こしに行っていいですよ」

「あ、でも…」

 不意に桃色だった頬が朱色に染まり、何をそんなに照れているんだろうと首を傾げたところで、背後から大柄な男がガバッと抱き着いてきた。

「…何時も独りで起きるよな。お前が起きる時はオレも起こせ」

 理不尽な悪態をぶうぶう言う都築の寝惚け声に呆れていたら、頬を朱色に染めた塚森さんが恭しく都築に向かってペコリと頭を下げた。

「おはようございます、一葉様」

「塚森か。来い」

 片手で俺の肩を抱いたまま、塚森さんに気付いた都築が片手を振った。
 一瞬、嬉しそうに双眸を瞬かせた塚森さんは、でもすぐに俺の存在に気付いて躊躇ったように二の足を踏んでいる。

「コイツのことは気にしなくていい。早く来い。目が覚めない」

 その台詞で嫌な予感がしたから、俺は極力見えないように目線をずらして…と言うか、顔を背けて何かするなら早くやっちゃってくださいと心の中で願った。俺のことを気にしないでいいなら、まずはこの手を離そうか。それで、俺がリビングに入るなりしたらおっ始めてくれないかな。
 そんなことを考えていたら、すぐ耳許で濡れたような湿った質感の音がちゅ、くちゅ…っと聞こえてきた。
 やっぱ、チュウしてんのか。横で。
 見なきゃいいのにチラッと気持ち悪いモノ見たさで視線をくれると、塚森さんの綺麗な横顔に覆い被さるようにして大柄の獣が喰らいついている…そんな錯覚を見せるワイルドなキスにやっぱり気持ち悪いと思った。
 男女でも十分気になるって言うのに、男同士って偏見は持ってないけど、節操なく他人の横でどうこうしてるコイツ等は本当に気持ちが悪い。
 ふと、塚森さんとのキスに夢中になったのか、都築の腕の力が弱まったのを感じて、俺はその隙きを見逃さないようにして腕から逃げ出すと、そのまま2人を放置してリビングに飛び込んだ。

「篠原!」

 バタンと閉じた扉の向こうで都築の声がしたけど聞かない。
 思う様、玄関先で俺抜きで貪り合ってください。
 勝手知らない他所様の家だし、勝手にキッチンに行って冷蔵庫を漁って水を貰うとか失礼かな…あ、あの綺麗なハウスキーパーさんが冷蔵庫の中身を補充してたのか。キッチン周りもきちんと整頓されていて、使い心地がよかったよね。
 そんなことを考えながら入って来た勢いでソファに向かおうとしたんだけど、すぐにドアが開いて都築が俺を追っ掛けて来た。

「や、存分にキスしてきてください。俺抜きでお願いします」

 うんざりして変な敬語を使う俺を不機嫌そうに見ながら、イヤイヤしてんのに都築のヤツが腕を掴んで引き寄せようとするから、足を出してゲシゲシと蹴ってやった。
 都築の後を追うようにして入って来た塚森さんは、ディープキスの余韻で目尻を色っぽく染めて、それから濡れ光る唇をぺろりと舐めながら都築の背中を期待したように見ているみたいだ。
 なんか判った。コイツ等もできてるんだ。
 そりゃそうだよな。天下の性欲魔人がこんな綺麗な人に手を出さないワケがない。もしかしたら、この人も容姿で選ばれて都築んちのハウスキーパーになってるのかもしれないし。
 うわ、爛れてる。一刻も早くこんなところからはおさらばしたい。

「塚森は朝立ちの処理をするヤツなんだよ。何時もは寝たヤツにさせるんだけど、なかなか穴の締りが悪くないから独りの時は使ってる」

 人間を道具みたいに言う都築も都築だが、その台詞に頬を赤らめながらも、うっとりと見つめている塚森さんも塚森さんだ。俺の許容範囲を超えてる。
 朝立ちなんてただの生理現象で、そのままにしてたって自然と萎むだろ。

「だったら今からお願いすればいいだろ?俺は帰るから」

 都築の腕から逃れながら、昨日ソファに置きっぱなしにしていたデイバッグを引っ掴み、きちんと畳んでいたシャツとジーンズを持って着替えに行こうとする俺に、都築はしつこく追い縋って結局力の差で負けた俺が抱き竦められちまう。クソ。

「なに言ってるんだ!今夜はバイトも休みだろ。今日は1日、うちにいるんだ」

「はあ?そんな約束してないだろッ」

 不機嫌と言うよりは怒っている都築の顔を、俺だってぷりぷり怒ってんだぞと見上げる格好が癪に障るけど、ジトッと睨み据えて言い返すと、ヤツはフンッと鼻を鳴らして言いやがるのだ。

「オレがうちに来いと言ったらそういうことなんだよ。確認しなかったお前が悪い」

 ホント、御曹司とかじゃなかったら人格破綻者だってレッテル貼られまくるようなヤツだよな、都築って。思い切り、お子様の言い訳じゃねえか。

「お前のことなんて知るかよ。俺は帰るんだッ」

 両手を突っ張って都築の抱擁から逃れようとする俺を、塚森さんは不思議そうに見つめてくる。おおかた、どうして素敵な都築さんから、あんなに必死で逃げようとするんだろうとでも、そのお目出度い思考で考えてくれてるんだろうな。

「まだ一緒に風呂だって入ってないんだぞ。何時も朝飯喰って大学行くからってそこで追い出されるんだ。続きがあってもいいはずだ」

 何を言ってるんだ、お前は。

「一緒に風呂は入らないって言ったはずだ」

「ソフレなんだから風呂も一緒に入るべきだ」

「何いってんだ、ソフレは添い寝するだけだろ」

「オレのソフレはそうじゃない。風呂に入るところまでがワンセットだ!」

 …。
 ……。
 だったら、ソフレなんかになるかよ。

「じゃあ、お前のソフレにはならない」

「駄目だね。もう言質は取った。一度了承したのはお前なのに、撤回するとか男らしくないにも程があるぞ」

 理不尽だ。もの凄く理不尽だと思う。
 でもこんな節操なしのだらしないヤツから、男らしくないとか言われたら我慢ならない。最初に条件を聞いておけば良かったんだ。畜生ッ。

「…判った。ソフレは辞めない。でも、風呂は一緒に入らない」

 一瞬勝ち誇ったような顔をした都築は、すぐに胡乱げな双眸になって、唇を尖らせる俺を覗き込んできた。

「どうしても嫌なのか」

「どうしても嫌だ。都築だってこんな綺麗なハウスキーパーさんがいるんだから、一緒に入ってもらえばいいじゃないか。ソフレも彼に頼めばいいんだ」

 ついでにハウスキーパーも俺なんか誘う必要ないだろう…とまでは言えなかった。背後に嬉しそうな塚森さんを従えたまま、都築がこれ以上ない怒りのオーラを纏ったからだ。
 一度も殴られるとか乱暴されたこととかないんだけど、そのドライアイスを何重にも冷やしたような凍てつく雰囲気を、サラッと笑って過ごせるほどヤワなハートは強くないんだよ。

「…判った。オレはこれから塚森と寝るから、お前は風呂に入れ」

 俺をぎゅうぎゅう抱き締めている間、確かに勃起したまんまだったから辛いんだろう。俺が風呂に入っている間にコトを終わらせてくれてるなら有り難いし、都築家の風呂ってどれだけ広いか見てみたいって言う誘惑が、俺の警戒心を弱めたんだと思う。
 だって都築なんだから、美味しい塚森さんみたいな美人の獲物が目の前にいて、どうして平凡を絵に描いたような俺との入浴を優先すると思う?

「それなら入る。昨日、風呂入ってないから気持ち悪かったし」

 腕を離されてニコッと頷く俺を、都築は剣呑とした双眸で見下ろしていた。

□ ■ □ ■ □

 都築家の風呂は確かに広かった。
 男が3~4人ぐらいまとめて入れるんじゃないかと思うほどの広さで弟たちが見たら感激するんだろうなぁと思う。それに浴槽も広いし洗い場も広い。オマケに浴室の前にサウナまで完備されている。このサウナが凄くて、ミストと遠赤とスチームを備えているスグレモノなんだ。できれば入ってみたいけど、流石にそこまで図々しくはなれないから、今度来ることがあったら都築に頼んでみようと思う。
 スウェットの上下を脱いで下着を脱ぐと、脱衣室のお洒落な籠に入れさせてもらって、それからお泊りセットで持って来ていた替えの下着を用意してから、俺は改めて都築家のご自慢の広い浴室に足を踏み入れた。
 俺んちでは判らなかったけど、都築は朝風呂を好むのか、いや女の子や男といちゃいちゃしたりするから好まざるを得ないのか、どちらにしても塚森さんは毎朝風呂の準備をしているようだった。今も綺麗な湯がなみなみと浴槽を満たしている。
 広い浴槽なんて銭湯とか温泉旅行で行った先の旅館ぐらいでしか味わったことがないから、個人の家でこの広さってのは本当に贅沢だよなと思う。
 身体も洗わず浴槽にドボンは一度もやったことないし、他所様宅の湯船にそんな行儀悪いことできないから、俺はウキウキしながら逸る気持ちを一旦落ち着かせて身体を洗うことにした。
 都築が使っているソープは高級なのかそうじゃないのかよく判らない、いや、そもそもメーカーとか教えてもらっても判らないし、俺は男だからあるモノを有り難く使わせてもらうだけだ。
 思わず鼻歌なんか鼻ずさみながら身体中をいい匂いにして、シャワーで流してから、早速頭も洗ってしまう。折角だしゆっくり入りたいし。
 やっぱり鼻歌を鼻ずさみながらシャワーで濡らした髪にシャンプーを適当に貰って、それからアワアワと泡立てながら指先を髪の中に滑り込ませていい感じに髪を泡だらけにした時だった。
 何時の間に入り込んでいたのか、不意に都築のヤツが背後から抱きしめてきやがったんだ!

「う、わッ、え?!なんッッ、え?!なんで??!」

 裸体を弄るように確かめてくる都築の指先にビビりながら、俺は泡が目に入りそうになって慌ててシャワーに手を伸ばそうとしたけど、何故か都築に阻まれてしまう。これは何やら危険な匂いがするぞと思って、俺は慌ててシャンプーで頭がアワアワしたまま逃げ出そうとした。
 でも、都築の方が視界もいいしガタイもいいしで案の定すぐに捕まってしまって、こんなに広い浴室なのに隅っこに追い詰められてしまった。
 折角広い浴室を満喫してるのに、どうして都築みたいなデカイ男と狭っ苦しく隅っこでグチャグチャしてないといけないんだっ!

「なんなんだよ?!え、なんだ、騙したのか??!」

 俺の肩を片手で掴んで膝立ちしている都築は、ほぼ無言で、壁に押し付けられたまま半分以上身体が沈んでいる俺を不機嫌そうに見下ろしてくる。でもその双眸は、今まで見たこともないほど雄臭くて、野性的で、目尻を染めて興奮しているみたいだ。

「なんだ、これ?!え、なにするんだ。おい、なんか言えよッッ」

 俺の肩を壁に押し付けるようにして片手で動きを封じて、それから足でも暴れる俺の足を押さえつける、それから、俺は見たくないモノを目にしてギョッとした。
 泡で視界を遮られるなか、都築のヤツが空いている方の片手で自分のフルおっきしてるチンコを擦ってやがるんだ。
 なんだ、そのバッキバキにそそり勃ってる子供の腕ぐらいもありそうな逸物は。
 え?なんで俺の方に向けてるんだ??!

「やだ、都築やめろって!俺だぞ、平凡な俺なんだぞ?!」

 自分でも混乱しすぎて、ちょっと何を言ってるか判らない状態だったけど、都築はそんな俺を傲慢に見くだしながら煩そうに舌打ちなんかしやがった。

「うるせえな。ちょっと黙ってろよ。お前が我儘言うから塚森と犯れなかったんだ。ちょっと出すだけだから我慢してろ」

 なんだ、その言い方は。つーかなんだ、ちょっと出すだけって。

「ど、何処に出すつもりだよ?!その角度はダメだ!嫌だってば、嫌だ都築ッ」

 泡が目に入って痛くて涙が出るし、違った意味でも涙が出ちゃう男の子だけど、そんな俺をハァハァと息を荒げてシゲシゲと見据えながら、都築は血管が浮いて今にもはち切れそうな自分のチンコを擦り上げている。たぶん、もうすぐだ。

「お前、思った以上に腰が細いな。後ろから見てて興奮した。肌も綺麗だし…出そうだ」

 ぎゃああぁぁぁ…ッッッ、声にならない悲鳴を上げる俺の顔をじっくりと見つめながら、都築の表情が少し切なそうになる。嫌だ、そんな顔は見たくない!

「ほら、目を閉じるな。顔をよく見せろ」

 そんなこと言われても、決定的な瞬間を目の当たりにして絶望するよりは、目を閉じてる間に終わってくれたほうがいいに決まってるだろ。但し、出す場所を絶対に言わないのな。

「…くッ」

 噛み締めるようにして小さな声が都築の口許から漏れた瞬間、泡と涙に塗れた顔でイヤダイヤダと頭を振っている俺の顔を押さえつけていた片手で固定して、固定して…それからビュッビュッと、断続的にドロッとした液体を顔面に叩きつけられた。
 男なら誰だって嗅いだことのあるあの独特の異臭が纏わりついて、もう何がなんでも目が開けられない俺が、レイプされた処女みたいにシクシクと泣いていると、まだビクビクしてる何かやわらかいオブラートに包まれた灼熱の棍棒みたいな、何か得体の知れないモノの先端で頬に擦り付けられた。
 判ってるよ、判ってます。チンコだろ。こんちくしょうッ。

「…目、開けろって」

 ハッハッと荒い息が浴室内に響いていて、たぶん、今目を開けたら獰猛そうな目付きをした色気ダダ漏れの都築と視線があって、しかもヤツは俺の顎を掴んだまま、たぶんまだ自分のチンコを離していない。と言うことは、射精してパクパクしてる尿道口ともこんにちは~をする羽目になる。
 絶対に嫌だ。
 ブンブンと頭を振って拒絶する俺を暫く見下ろしていたらしい都築は、それから仕方なさそうな溜め息をひとつ零して、いきなり頭上から適温の水飛沫を叩きつけられてしまった。

「ったく、こんなことぐらいで怒んなよ。洗ってやればいいんだろ?」

 ドロリとした白濁の精液に汚された頬とか鼻とか唇から水の勢いに流された糸引く液体が零れ落ちるのを、何か大事なモノを汚されてしまった絶望的な気分で見下ろしていた。

「こんなことぐらいって何だよ?!俺はソフレであってセフレじゃねえんだぞッ!こんなことがしたいなら塚森さんと犯ってればいいんだッッ!塚森さんだけじゃない、あのユキとか言うヤツとか、他にも相手してくれる女の子なんかいっぱいいんだろうがッ」

 シャワーで顔や頭を流されながら、もう何がなんだか判らなくて、俺は殆ど泣きながら都築の胸元を殴って喚き散らしていた。裸だから痛かっただろうけど、知るかよ。
 俺の心はもっと痛いんだ。

「…顔射は初めてか?」

 何いってんだ、こらッ。

「顔射する男はいても、される男なんて一握りだろッ!一般的に考えてだぞ。お前の常識を一般常識だと思うなッッ」

「そうか、初めてか。百目木とか柏木とは掻き合いもしたことないのか?」

 俺の赤裸々な性事情に関して話してるんじゃない、お前の異常な性事情に関して問い詰めてるんだぞ。なに唯我独尊なこと曰ってんだ。

「なんだ、勃ってないな」

 想像を絶することをされると人間の身体はオーバーヒートするのか、ぐったりと力が入らずにぐにゃぐにゃする俺の身体を嬉々として抱き起こして、ついでのようにチンコに触ってきやがる。都築に比べたらかなり小振りな俺の逸物は、牙を抜かれた獣のように、そして今の俺の身体のようにだらりと力なく揺れている。それを都築は面白そうに握って扱いてくる。
 全然、これっぽっちも感じない。
 当たり前だ、心理状態は恐慌してんだぞ。

「さ、触るなよ、気持ち悪いッ!もう、なんなんだよ?!俺をどうするつもりなんだよッ」

 勃起するはずもないチンコをまるで玩具みたいに興味本位で扱かれながら、もうコイツとは絶対に友達にはなれない、こんな意味不明の関係にも終止符を打つ時が来たんだと確り自覚して、俺は両手で顔を隠しながらさめざめと泣いた。

「別に。ただ、勃ってたから出した。それだけだろ。たまたま今回は相手がお前になっただけだ。細い腰して背中を向けていたお前が悪い」

 こんなのこの家にいれば誰だって経験する…なんて、冗談だろとあんぐりしたように思わず都築を見た、都築を見て、常識的に考えている俺が間違っているのかと鼻の奥がツンッとしてまた泣きたくなった。

「…そっか、俺が細い腰をして背中を向けていたから悪いのか。だったら嫌がる俺が顔射されても仕方ないよな。今後、絶対お前と一緒に風呂は入らないって決めた」

 ギリッと睨み据えて宣言する俺に、一度一緒に風呂に入りさえすれば満足するんだろうと思っていたのに、都築はキレたように額に血管を浮かべると声を上げやがって俺をビビらせた。

「はあ?!なんでたった一回、顔射したぐらいで一緒に入らないんだよ?お前の穴に入れたんだったら拒絶されても仕方ないけど、たかが顔射で意識しすぎだろ。バカじゃねえのか」

 なんだ、何いってんだコイツ。
 えっと、ちょっと言葉が理解できない。なに、コイツ宇宙人だったのか??
 都築にとって穴に入れる入れないが問題なのであって、顔射はそれほど問題視されるプレイじゃないとでも思ってるんだろうか。

「顔射されれば誰だって拒絶するよッ!もう、お前とは友達やめるッッ」

「なんだ、オレたちって友達だったのかよ?」

「ソフレだろ!添い寝フレンドって言うだろッッ…って、なんだよお前、バカにしてんだろッ!もういい、やめる!もう絶対に辞める」

 巫山戯たことに小馬鹿にしたように俺の背に回した両手を逃さないぞとでも言うように組んでニヤつく都築に、ぐにゃぐにゃだった俺の根性が据わったのか、都築の腕の中で再度暴れながらギリィッと奥歯を噛み締めて吐き捨ててやった。
 そもそも、折角広い風呂に入れてご機嫌だったのに、何が悲しくてマッパの2人でこんな途方もない異常な話を喚き散らして罵り合わないといけないんだ…って、一方的に喚いてるのは俺だけど。
 俺の言葉を聞いた途端に都築の顔色が変わったけど、もうそんなことどうでもいいと、温もりもしなかった浴室から飛び出して服を引っ掴む俺を追って来た都築に、無理やり腕を掴まれて顔を顰めてしまう。
 相変わらず、体格に似合った馬鹿力だと思う。

「ヤダよ、離せよッ!」

「ソフレも一緒に風呂に入るのも絶対に辞めない!辞めさせない。もし辞めるって言うなら…」

「なんだよ!金の力で脅すのか??大学を辞めさせるってか!好きにすればいいだろッッ」

 イヤイヤして暴れる俺なんか片手で封じ込めることができる都築に抱き竦められて、聞き分けのないガキをあやそうとでもするようなその態度が、またしても俺のナケナシの自尊心を傷付けてくれる。酷いヤツだ。

「大学なんか辞めさせるかよ…お前のオヤジは町工場の社長なんだろ?不景気なのに学生2人と幼児を養うなんて大変だな」

 青褪めた面で俺を見据えるその冴え冴えとした色素の薄い双眸は、それが都築の本気の台詞だと物語っていて、俺は一瞬、呆気に取られたようにポカンとした間抜け面で見上げてしまった。
 都築グループの息のかかった会社が取引先だし、都築がその気になればあんなボロッちい町工場は10分で潰れるだろう。そんな容易く他人の人生を左右できてしまうお前が、俺なんかのことで、たった十数人しかいない零細工場を脅すのかよ。

「酷い…お前は酷い」

 思わず眉が寄った、それから目が瞑れる、口許が歪む。
 ポロポロと気付けば涙が頬を滑り落ちていた。
 声を出して泣けずに俯いて肩を震わせていたら、少しはバツが悪くでもなったのか、都築は俺の頭に頬を寄せながら不機嫌そうにぶっきら棒に言いやがる。

「別に潰すとか言ってるワケじゃない。お前がオレの言うことを聞けば、悪いようにしないってだけだ」

 つまりは言うことを聞かなければ潰すって脅してるのと一緒じゃねえか。
 なんてヤツなんだ、この傲岸不遜の俺様お坊ちゃま野郎は。
 だいたいどうしてそこまでして俺と一緒にいたいんだ。お前、俺なんかタイプじゃないんだ、自惚れるなって言ってたじゃないか。

「…都築は俺のことが好きなのか?」

 俺がポツリと聞いたら、都築は怪訝そうに眉を顰めて、それから呆れたような表情で涙を零している俺を見下ろしてきた。

「はあ?好きなワケないだろ。お前はタイプじゃないんだよ。好きなヤツに腰が似てるから傍に置きたいだけだ」

 腰が似ているだけで俺は顔射されたのか。
 腰が似ているだけで俺は脅されたのか。
 腰が似ているだけで、この奇妙な執着に付き合わないといけないのか。
 なんなんだよ、それは。

「判った、ソフレは辞めない。風呂も一緒に入ってやる。飯だって喰いたければ作ってやる」

 俺の最大の譲歩に都築の地獄の底みたいだった憂鬱のオーラがパッと晴れて、ヤツは嬉しそうに「やっぱそうだよな」とワケの判らない納得で頷いている。
 俺はぼんやりとそんな都築を見つめながら言葉を続けた。

「でも、絶対に俺を好きになるなよ。俺もお前を好きになったりしない」

 まあ、これはたぶん有り得ないだろうけど、念のため言っておく。
 俺は男を好きになることなんて絶対にないからな、万が一にも都築が俺に惚れることがあっては一大事なんだ。ソフレを辞めるってだけで親父の会社を潰すとにおわせるようなヤツなんだぞ。念には念をだ。

「はあ?そんなの当たり前だろ」

 案の定、都築はあっさり頷いた。それどころか、また例の小馬鹿にした顔でコイツまた自惚れてんなとでも思っているみたいだ。クソ。

「そっか、良かった。じゃあ、もう二度と顔射とか俺の身体に触るなよ。添い寝で抱き着くのは大目に見て許してやる。あと」

 俺の矢継ぎ早の台詞に都築の顔色がどんどん曇っていって、さらに言い募る俺にまだあるのかよと大袈裟に肩を竦めるんだ。

「俺に好きな人ができたら、この関係は解消すること。その時に親父の会社を脅すようなことはしないでくれ」

「…好きじゃないヤツを好きだって言う可能性だってあるだろ」

 少なくとも俺が拒絶しているのは判っているのか、そう言うズルはどう判断するんだよと不機嫌そうに唇を尖らせて都築は少しだけ困惑を浮かべた双眸で見下ろしてきた。

「大丈夫。ちゃんとセックスしてから報告するから」

 クスッと笑って言ったら、途端に都築の眉根が嫌そうに寄ってしまった。
 バカだな、そんなこと心配する必要とかないのにさ。ちゃんと寄り添って生きていけるヒトを見つけたら嘘吐かずに教えるっての。大威張りでさ。

「そう言う相手がいるのか?」

「今はまだいないけど…そのうちな」

 都築は今までに見たこともないほどの嫌悪感を丸出しの顔付きをして、そのくせ確り抱きしめている腕の力は抜かないまま、何事かを考えているみたいだった。

「判った、その条件をのむ。但しひとつ訂正したい」

「? 何を?」

「お前を好きにはならないし、お前に恋人とやらができたら解消してやる。でも、お前のことは触る。触らないと一緒にいる意味がない」

 触るために一緒にいるのかよ…なんか、それって都築本位の考え方だよな。都築にはメリットがあるけど、俺には何一つない。却って気持ち悪い思いばかりしないといけない…親父の会社を犠牲にしてでもこれは断るべきんなんじゃないだろうか。なんつってな。

「…顔射は嫌だ。お前も1回セフレの男にされてみればいいんだ。あんな臭いの絶対に夢に見る。きっと悪夢だ。もう絶対に嫌だ」

 毛を逆立てた猫みたいに全力で拒否すると、都築のヤツはしぶしぶと言った感じで頷いたんだけど…お前、またやる気だったな。

「判った。顔射はもうしない。でも、触るぞ」

 思った以上に気持ち良かったし、屈辱に震えるお前の姿が最高だったのにとかなんだとか、とんでもないことをブツブツ言いながら了承する都築に、かなり失敗したんじゃないかと後悔したけども仕方ないと溜め息を吐いた。

「…範囲にもよるけど、了解。これで今後のルール決定だな」

 都築は本当は俺の条件なんて何一つ了承する気はないようだった。ただ、その条件を全部飲まないと、本気で俺が都築を投げ出して、もう二度と戻ってこないらしいと理解したようで、ヤツは不本意ながら頷いたんだろう。
 何はともあれ、俺の恋人探しが始まりました。

□ ■ □ ■ □

●事例5:風呂に入ったら顔射される(逃げ出しても回り込まれてしまう)
 回答:勃ってたから出した。それだけだろ。たまたま今回は相手がお前になっただけだ。細い腰して背中を向けていたお前が悪い
 結果と対策:そっか、俺が細い腰をして背中を向けていたから悪いのか。だったら嫌がる俺が顔射されても仕方ないよな。今後、絶対お前と一緒に風呂は入らないって決めた。

4.泊まりに行ったら強制的に添い寝される  -俺の友達が凄まじいヤンツンデレで困っている件-

 今日は興梠さんを従えた都築が何やら道具やら食材やらの一式を持って来たなーと思ってたら、いきなり「チーズフォンデュを食いたい」と言い出したので、この鍋やら何やらはどうやらチーズフォンデュを家で作るための一式だったようだ。
 とは言え、俺は洋食の知識はほぼゼロだから、どうしたらいいのかよく判らずにいると、初老のキツイ顔立ちをしているはずの興梠さんが、とても人の好い笑顔を浮かべて俺を見ていることに気付いたから、この人が準備するのかとちょっと驚いた。
 実は俺はチーズフォンデュというモノを食べたことがない。
 名前だけは聞いていたけれど、家でやってみよう!なんて勇気はクリスマスにだって起きてこなかったぐらいだ。
 興梠さんは実に手際よく準備を始めたけれど、説明を聞くうちに下準備ぐらいなら俺もできるかなって、狭いキッチンで大柄の興梠さんと並んで、俺史上初のチーズフォンデュ作成がスタートした。
 スタートしてみたものの、PS4で相変わらずモンスター狩りをしていた都築は、チーズフォンデュを作る興梠さんと、下準備をする俺がキャッキャウフフフしているのが面白くなかったのか、何もできないくせに監視するみたいにして「全部、興梠に任せておけばいいんだ」とか「何を笑ってるんだ」とかあれこれブツブツと口を挟んできて煩かった。黙ってモンスターを狩ってればいいのに。
 もう一つ煩わしいのは大柄な男に挟まれて身動き取れないのも問題だけど、興梠さんと同じぐらいの身長の都築が背後にべったりとくっ付いてきて腰を抱く動作だ。それでなくても狭いのにと苛々していたら、満面の笑みで同じぐらい苛々していたんだろう興梠さんが下準備の邪魔をする都築共々、あっちでゲームでもしてろとでも言わんとばかりの強さで俺たちをキッチンから押し出してしまった。
 ブロッコリーと里芋の塩茹で、プチトマトのボイル、ジャガイモは蒸して、マッシュルームは塩コショウでグリル、アスパラのベーコン巻きにバゲットはトースターでこんがりとガーリック風味でトースト、変わり種は昨日俺が仕込んで今日大学から帰って来てすぐに揚げた唐揚げ、それから定番らしいウィンナー。あとはデザートとか言って都築が自分で購入したらしいバナナとイチゴとモモがあったりする。オマケはリンゴだ。
 その下準備の整った食材を前に、興梠さん特製らしいチーズフォンデュが湯気をあげている。
 興梠さんが曰くには、白ワインに刻んだニンニク、胡椒やナツメグのスパイス、それからエメンタールチーズにグリュイエールチーズを投入する一般的なものに、彼個人的な隠し味が、サクランボから作られたと言う蒸留酒の『キルシュ』とコーンスターチをよく混ぜてチーズに加えると言うもので、「風味が良くなるんですよ」とのことらしい。
 キルシュってなんだ。何処にでも売ってんのかな。
 実に手際よく邪魔者(都築)を俺を餌に追い出してから作り上げたチーズフォンデュは、とても美味そうで、モンスター狩りを横で見ていろと言っていた都築も、出来上がりを待っていたのか、「腹が減った」と言って食卓を大人しく囲んだ。
 てっきり興梠さんも一緒に食べるんだろうと思っていたのに、彼は支度が終わると早々に俺んちのエプロンを外して…ってそう言えばこの人、真面目な面してスーツにエプロン姿で料理していたんだ。
 スーツは戦闘服なのかな?

「それでは、どうぞ楽しんでください。一葉様よりご連絡を頂き次第、後片付けに伺わせて頂きます」

 初めて会った時は人間を3人は殺しているような面構えだと思っていたのだけど、何度も(基本都築のせいで)顔を合わせてるうちに、こんな風に胡散臭い満面の笑みを浮かべてくれるようになったのは嬉しいけど、うん、やっぱり胡散臭い。
 深々と一礼してからサッサと部屋を後にする興梠さんを呼び止めなくなったのは、都築が毎回、彼の任務は此処までだから連絡するまでは自由にさせてやるんだと上から目線であんまり何度も言うから、都築家ルール発動だと思って声を掛けなくなった。
 でも、その方が興梠さんも気を遣わなくて良さそうなんで、まあ彼が良ければ問題ないんだけどね。

「でも、なんで突然チーズフォンデュなんだ?」

「…オレは野菜が嫌いだ。大嫌いなんだけど、チーズフォンデュでは食えるんだよ。最近、姫乃から野菜を食わなかったら罰金を徴収するって言われて、興梠に作らせることにしたんだ」

 姫乃と言うとひめのと読みがちだけど、正解はしのさんらしい。
 都築姫乃は都築家の長女で、面倒見の良いお姫様な外見をしている、何処か浮世離れした美人さんだ。一度、何かの用事だとかで大学に都築を迎えに来た時に見たんだけど、男女問わず、その美貌にうっとりしていたのは激しく印象に残ってる。
 目鼻立ちのハッキリしている都築と違い、どこかおっとりしている面立ちの印象は儚げで淡い感じなんだけど、ふとした時に思わずハッと目を惹く和風の美しさがあって凛としている、本当に日本のお姫様みたいな容姿の人だ。
 どうやら都築が言うには、最近、篠原飯でだいぶ野菜を取るようになったものの、実家に帰るとやっぱり自分の好きなモノしか食べない、つまり肉食しかしなかったせいで流石に弟の食生活に不安を覚えたらしく、興梠さんを監視人として罰金を設けることにしたようだ。

「マジで面倒臭いんだ。一食に必ず野菜を食う。食わなかったら月々の小遣いから10万引くんだとよ」

 親父さんが目に入れても痛くないほど溺愛している姫乃さんの指示とあっては、たとえ都築家のたった1人の王子様とは言え、お姫様には敵わないらしくぶうぶう文句を言いながらも興梠さん特製チーズフォンデュには目がないのか、満足そうにモリモリと口に運んでいる。
 10万となると俺にしてみたら死活問題になるけど、遣ったら遣った分だけ即座に入金されるキャッシュカード、それに一般人ではお目にかかったこともないパラジウムカードとその下のブラックカード、それからプラチナ、ゴールドと、4種類のカードは常に常備しているってんだから、10万引かれても痛くも痒くもないだろうに、所謂都築家の絶対君主が猫可愛がりに溺愛している(都築自身も大事にしている)姫乃さんの命令だから渋々でも従っているんだろう。
 以前、薬か何かで具合を悪くした都築を俺んちに連れてくる時、タクシーの支払いの時に都築がカード払いを要求して、どのカードを使えばいいのか迷っていたらゴールドにしておけと言われて支払ったんだけど、その時にどうして何枚もカードを持っているんだと聞いたら、パラジウムやブラックは巷では何でも買えると言われているけれど実際はそんなに使える場がないらしく、専ら普通に買い物する時は現金かゴールド、プラチナを使うんだそうだ。
 都築が言うにはカード会社と契約している店舗がどの部分までなら使えると細かく指定していることが多くて、特定のカード会社をOKしていてもその会社のブラックカードは使えませんなんてこともザラにあるらしい。
 お金持ちも意外と大変なんだなと思ったもんだ。

「あとは、お前の作る献立を姫乃に言ったら感心してたぞ。お前の食事を摂るとボーナスが貰える」

 余りある小遣いがあるくせにこれ以上ボーナスまで貰うのか。
 俺が呆れたように細いフォークみたいなもので刺しているブロッコリーを口にしながら肩を竦めると、都築はちょっと不機嫌そうにムッとした顔で唇を突き出した。

「何でも買っていいとは言われててもな、限度ってものがあるんだよ。たとえばマンションは上限がないけど、車は幾らまで…とか」

「そうなのか。それは不動産は増やしてもいいけど、動産は駄目だよって財産的な価値が基準とか?」

「あー、そうかもな。オレさ、車が好きなんだよ。今はウアイラに乗ってるけど、本当はヴェネーノも欲しかったんだ。けど、駄目なんだってさ。で、ボーナスが出ると好きな車を買えるようになるってワケ」

 ヴェネーノってなんだ。

「ふうん、なんかお金持ちも大変なんだな」

「今はウアイラでも満足してるから、もういいんだけど。だから、ボーナスは何に使おうか?」

 とろりとしたチーズが絡まる唐揚げが気に入った都築が嬉しそうに咀嚼しながら、何か最後の方で疑問符付きの質問をされたような気がしたけど、ウズラの卵もいける!とホクホクしている俺は華麗に無視していた。

「お前の好きなモノでいい。旅行なら行きたいところとか…そうだ、秋にフィンランドに行ってみないか?オレの母さんの故郷なんだけど、寒い冬に入る前の秋頃が一番綺麗で、ベリー系の露天なんかもあって楽しめると思うぞ」

「…」

 なんで俺がお前と旅行しないといけないんだ。
 お母さんの故郷なら家族で行ってくればいいだろうが。
 言いたいことは山ほどあるけど、あっついチーズフォンデュはこの時期にするべきものじゃないなと思いつつ、仏頂面には変わりなんだけど、クソ暑くても何処か楽しそうな都築を見て俺は溜め息を吐きながら肩を竦めてみせた。

「…都築の勝ち取ったボーナスなんだから、都築が好きに使えばいいよ」

「バカだな。やっぱりお前はバカだ。お前が料理するからオレはボーナスにありつけるんだぜ?謂わばこれはお前が勝ち取ったボーナスでもあるんだ。仲良く半分個が一番だろ。一緒にできることで考えようぜ」

 話だけなら気軽に友達と旅行しようぜ!と言った感じに聞こえなくもないが、そこは都築のことだ、国内旅行は論外、但し温泉は吝かじゃないらしい、なんだそれ。移動はプライベートジェットとウアイラ、都築は基本気に入った車以外乗らない主義らしい。あんな狭苦しい車内だと移動が苦痛になりそうだし、海外にも愛車を持っていくのか、それとも買うのか…価値観が違いすぎる。あと、部屋がスイートとかだったら激しく嫌だな。

「ハネムーンみたいな旅行ならお断りだ」

 全身拒絶の態度で全て要約して言ってみたら、都築は非常に嫌そうな顔をしてブロッコリーをトロトロのチーズに潜らせながら首を振って不快そうな目付きで見据えてくる。

「なんでオレとお前でハネムーンなんだよ。ただの旅行だろ」

「そうか、じゃあ国内旅行でいいよな?もちろん、移動もプライベートジェットやウアイラじゃないんだろ?ホテルはまさか、スイートなんかじゃないよね?」

 俺のニッコリ笑顔の問い掛けに、都築は見る間に不機嫌に磨きをかけて、それから言葉もなく日本酒を口にしてから何かブツブツと言っている。
 俺には口当たりの良いシャンパンを呑めと勧めるくせに、自分は焼酎か日本酒を呑むんだよな。明らかなハーフ顔をしているくせに、呑む酒はワインや洋酒じゃなくて焼酎や日本酒ってのも見た目を裏切る都築の変なところだと思う。それに強いしな。
 顔色も変えずに不機嫌そうなのは…やっぱりハネムーンみたいな旅行を考えてたんじゃねえか!

「フィンランド、サウナもあって楽しめると思うけど。プラベートジェットは考えてたかな…流石にウアイラは持っていかないけどさ。ホテルは…」

 ブツブツ言ってる内容はやっぱりお金持ちコースまっしぐらだった。猫だってビックリするほどの徹底ぶりじゃねえか。

「ホテルはオレの所有してる別荘を考えてた。ラップランドの森のなかにあるんだ。冬に行くのが一番だけど、秋もいいと思う」

 フィンランドなんて北欧デザインとかでしか耳にしたことがない国なのに、ラップランドとか言われても判らない。あとでググるか。

「都築さぁ、そんな簡単に他人を別荘とか招待して大丈夫なのか?」

 コイツは都築家の長男で都築グループの正当な跡取りだ。とは言え、俺には判らないお金持ちのイザコザとかもあるだろうし、こんな知り合って数週間しか経ってない人間を無闇に信じて別荘に招待するとか危機管理能力が低すぎるんじゃないか?
 あ、興梠さんがいるからいいのかな。

「それに俺、海外旅行ができるだけの貯金なんかないよ。国内旅行ぐらいなら大丈夫なんだけどさ」

 果物がチーズに合うなんて!!と、その感嘆たる味に頬を落としまくりながらチーズと苺の微妙な味わいに舌鼓を打って唇を尖らせると、都築はバナナをチーズに潜らせながら首を左右に振ってみせた。

「ラップランドの別荘はオレの隠れ家なんだ。誰にも言ったこともないし、招待したこともない。それに警護は厳重だ。だから2人で静かに過ごせると思う。費用は全部オレ持ちで構わない。ほら、ボーナスで行くから」

 何時も通り不機嫌な面で言う都築は、それでも少し嬉しそうだ。
 費用関係が解決できれば、俺が一緒に旅行に行くと思っているんだろう。
 まあ、別に一緒に来いってんなら行ってもいいんだけど…

「そうだなぁ、じゃあ、夏の終わりに計画でも立てようか」

「おう。時間に振り回されたくないから移動はプライベートジェットにするぞ。そこだけは譲らない」

 果物は好物なのか、バナナ、リンゴ、桃や苺を次々とチーズに潜らせながら、都築が仏頂面のまま嬉しそうに断固とした態度でキッパリと言い切るから、俺は何故か笑ってしまった。

□ ■ □ ■ □

 本日最後の講義が終わった後、構内を珍しく独りで暢気に歩いている都築を見掛けたから声をかけたら、思い切り不機嫌そうな面で見下されてしまった。

「…なんだよ」

 特に用事がないと言ったら殴られるんじゃないかと思う凶悪な面で見下ろしてくる都築に、どうして他のヤツには愛想よく笑うくせに俺にはそんな態度なんだ、一宿一飯の恩を忘れてるんじゃないだろうなと言いたいところをグッと堪えて、俺の身長より20センチぐらい上にある顔を見上げて口を開いた。

「お前、今日はヒマなのか?」

「? ヒマと言えばヒマだけど…」

「今日、バイトがなくなったからお前んちに行こうかと思うんだけど」

 ディバックを肩に下げる俺を驚いたようにシゲシゲと見下ろしてきていた都築は、すぐに頷いてポケットから車の鍵を取り出した。

「判った。じゃあ駐車場に行こう。オレと一緒に帰れば…」

 都築がそこまで言った時だった。

「え?なにそれ、ソイツも交えて3Pでもするつもり?」

 不意に大柄の都築の傍らから凄く綺麗な男が顔を覗かせて、あからさまに機嫌が悪そうな態度で唇を尖らせて抗議してきた。
 都築の身体の影に隠れていて気付かなかったけど、この綺麗な男は確か都築が前にウアイラの助手席に乗せていたヤツだ。

「あ、ごめん!先約があったんだな」

 なんか、もしかしたら都築は初めてお家訪問をする俺を優先するんじゃないかって、そんな自惚れたことを考えていたんだと思う。
 だから、断られるとか夢にも思わなかったんだろうな。

「ユキ…そうだったな。今日は駄目だ。ユキと一緒にいる約束をしてたから、また別の日だな」

 細い腰を抱き寄せて機嫌を取る都築に、ユキと呼ばれた男は途端に満足したようにご機嫌になって、それからヤツの腕に身体ごと絡まるように抱きつきながらフフンと何故か見くだされてしまう。
 まあ、そりゃそうだな。
 ただの友達より、恋人のほうが大事だよな。

「そっか。じゃ、それだけだから」

 バイバイと手を振って仲が良さそうな2人に別れを告げると、さて、今日は暇になったから柏木でも誘って映画でも行くかなと思って歩き出した途端、またしても何時かの再現のように腕を掴まれてしまった。

「…なんだよ」

 今度は俺が眉を寄せて振り返る番だ。

「お前、この後はどうするんだ?」

 そんなことお前には関係ないだろと喉元まで迫り上がっていた言葉を飲み込んで、俺は仕方なく胡乱な目付きの都築に答えてやる。答えなかったら、たぶん何時までもこのままの状態で、その綺麗で怖い面した兄ちゃんからずっと睨まれたままの居心地悪さを感じるぐらいなら、喜んで個人情報を手放すつもりだ。

「柏木を誘って映画に行こうかと思ってる。その後は、村さ来いで呑んで、それから泊まりかな」

「…ッ」

 久し振りに篠原の手料理食べたいってこの間、柏木からメールが来てたんだよな…と言ったところでどうやら都築が舌打ちしたみたいだった。
 不機嫌度マックスの都築の面が超怖いことは知っているけど、その上を行く仏頂面に息を呑む俺と都築を交互に見ていたユキってヤツが、ブスッと苛立ったように腕を組むと、自然が生み出した綺麗な形の唇を歪めて都築の服の裾を引っ張った。

「ちょっと、もういいんじゃない?ボク、お腹減ったんだけど!」

 何時も都築が腕に下げてる女とか男とかは、ヤツの機嫌が悪くなって相手にされなくなることを凄く怖がっているから、都築の好きにさせているもんなんだけど…なるほど、コイツが都築のお気に入りで大事にしているってヤツなんだな。
 だから思うように我儘を平気で言えるんだ。
 確かに、ハッとするほど綺麗で華奢で護りたくなるように可愛い男だけど…男なんだよな。都築が俺に自分の護りに入れとかってワケが判らないことを言ってたけど、それはこんなヤツに言う言葉なんじゃないかって思う。

「ほら、連れが怒ってるだろ。腕を放してくれよ」

 やんわりと気遣いながら…ってなんで俺が気を遣わないといけないんだと理不尽さに腹も立つけど、こんなところで喧嘩とかも嫌なんで、それでなくても注目を浴びているワケだから、掴んでいる腕に触れて言ってやったってのに、都築のヤツは不機嫌そうに眉を寄せてとんでもないことを言いやがったんだ。

「ユキとは飯を食ってからセックスするだけだし、家で待ってろよ。4時間ぐらいしたら迎えに行く」

 何を言ってるんだ、コイツは。

「はー?!今日は泊まるってボク言ったよね?ロブションでご飯食べて、スイートでお泊りだって!セックスだけして帰るって何いってんの??」

 ご立腹ご尤もなんだけど、そのご立腹の意味が判らないみたいにジロリと見下されたユキは、途端に少し怯んで、小動物みたいに震えたみたいだった。けれど、都築から気に入られてる自信があるからなのか、彼は小煩そうに無表情に見下ろしてくる不機嫌オーラを漂わせる恋人を見上げて行儀悪く指を突きつけながら言ったんだ。

「なに、その目。もう、今日は怒ったから一葉とは遊んであげない!ボク、他の人と遊ぶからねッ」

「…」

 何時もはご機嫌を取るみたいにイケメン面でにこやかに笑って宥め賺しているんだろう、今回もそのつもりだったユキはハラハラしている俺とは違い、踏ん反り返って腕を組んで都築を睨んでいる。
 あー…っと、なんと言おうかと悩むように頭を掻く都築の表情は、誰の目にもハッキリと判るほど興味もなさそうに適当な感じだった。
 だから、ユキは軽くショックを受けているみたいだ。

「その顔はなに?ボクを蔑ろにしてもいいの??」

 今度は縋るみたいに眉を顰めて泣き出しそうな表情を作ると、確かに遊び慣れた感じではあるものの、自分の容姿の見せ場を心得ていてすげえなぁと思ってしまう。

「ユキ」

 ニコッと都築が、俺には見せたこともない笑顔を浮かべて、そんな風に駄々を捏ねる可愛い恋人の腰を引き寄せると、やわらかな栗色の髪に軽く口吻ながら呟いた。

「アイツには借りがあるんだよ。だから今日は食事とセックスだけで我慢して。いい子に聞き分けてくれ」

 いやいやいやいや、貸しなんてないし!…なんて言おうものなら、その頭越しにギリッと睨み付けられるのは判っているから、俺はこちらを見据えてくる色素の薄い双眸から冷や汗を背中に浮かべながら素知らぬ顔で目線を逸らした。

「んもう!今日だけだからねッ」

 何なんだ、この三文芝居は。
 結局、恋人の急な予定変更に甘えて駄々を捏ねて、それに恋人らしくイチャイチャと宥め賺すなんて学芸会宛らのポンコツ劇に、どうして俺が付き合わされなきゃいけないんだと業腹だ。こんなことなら、気軽に都築んちに行くなんか言わなけりゃ良かった。

「別に俺は柏木と映画のほうが…いや、なんでもないです」

 いいなと言いかけてすぐに否定して視線を逸らせたのは、腕に上機嫌のユキをぶら下げた都築が、不機嫌マックスの双眸で間近に見据えながら「なんか言ったか?」と脅してきたからってワケじゃないと強がりを言っておく。

「4時間後に迎えに行くから待ってろよ」

 そう言い残して、今日のお相手の美人で可愛いユキを腕にぶら下げたまま、何処と無く機嫌の良さそうな都築が去っていく背中を見送りながら俺は溜め息を零していた。

□ ■ □ ■ □

 4時間きっかりで我が家に来た都築は、ユキとのお約束どおりスイートで存分に遊んできたのか、高級そうなソープの匂いをさせて不機嫌そうだ。

「都築さぁ、今回は俺が悪かったけど、恋人を寂しがらせちゃ駄目なんじゃないか?」

 勝手知ったる俺んちの都築は、ノックするよりも合鍵で勝手に入ってくると、もう我が物顔でベッドに腰掛けた。俺んちには椅子なんてお洒落なモノはないんだ。
 胡乱な目付きで見据えてくる都築を見て…なんかこの間は実験だなんだと言われてちょっと凹んだり絆されてたけど、そう言えば俺、別に都築に来てくださいってお願いして来てもらってるワケじゃないんだから、この部屋を気に入ろうと気に入らないとどうでもいいんじゃないかな。しかも今回だって勝手に睨まれてるけど、都築が来い来い煩いから都築の家に遊びに行くことにしたのに、それは俺の善意なのに、どうしてこんな気遣いをしないといけないんだ。
 勝手に押しかけてきて、寝る前まで、いや寝てる最中にだって耳許で「なんで来ないんだよ」とかブツブツ言われてたらそりゃノイローゼにだってなりそうだっての。

「ユキは恋人なんかじゃない」

 都合のいいセフレとかなのか。爛れてるな。

「恋人でもセフレでもなんでもいいよ。ただの友達…ってか友達なのか俺たち。まあ、それはいいとして、友達と天秤にかけたら可哀想だろ」

 この場合、普通はセフレよりも友達を優先するのがいいヤツってもんなのかな。
 俺の友達でセフレ持ちとかいないからよく判らないや。

「ユキのことなんてどうでもいい。それよりお前だ」

 腕を組んで不機嫌そうにブツブツ言っていた都築は、不意に腹立たしそうに俺を睨み据えて強い口調で言ったから、俺は「なんだよ」と唇を尖らせて不服そうに言い返してやった。

「予定が空いてるなら朝に言えよ。そうしたらオレも予定を入れなかった」

 最近はもうほぼ毎日泊まりに来てるから、朝の連絡なんてものをさせられてるってことは内緒だ。

「朝にって…バイト先からの連絡が昼過ぎだったんだよ」

 不機嫌と言うよりは怒っている都築は、俺の言葉に納得がいかないとでも言いたそうに鼻を鳴らしてさらに言い募りやがる。

「だったらメールでも電話でもできるだろう?!なんで連絡してこないんだっ」

 どうやら本気でご立腹のような都築に、俺は痛くなる蟀谷をどうしたものかと擦りながらやれやれと溜め息を吐いた。

「…お前、柏木や百目木とか、他のゼミの連中にもメールや電話してるじゃないか。どうしてオレにだけしてこないんだ」

「…」

 ムッツリと黙り込んでいると、埒が明かないとでも思ったのか都築は急に立ち上がって、それから大きな身体で覆い被さるようにして俺の両肩を掴むと覗き込んでくる。何ていうか、事と次第に因ってはただじゃおかないとでも言うような陰惨なオーラが出ていて、これは慎重に対応しないとヤバイかもしれないと真剣に思った。冗談でも、お前がウザいからなんて言うと、何をされるか判らない。そんな雰囲気だ。

「どうして黙ってるんだ?何か言えない理由とかあるんじゃないだろうな」

 怒りを纏わらせた濡れ光る獰猛そうな肉食獣さながらの双眸で睨み据える都築に、俺は呆れたようにその顔を見上げて掴んでいる腕をポンポンッと叩いてやった。

「連絡先もメルアドも知らないのに、どうして電話したりメールしたりできるってんだ?俺は超能力者じゃないぞ」

 俺の台詞に怒りを滲ませていた都築のヤツは、呆気に取られるほどポカンッとした間抜けな面になって、それから動揺したように見下ろしてくるから、思わず噴出しそうになった。

「…教えてなかったか?」

「聞いてないな」

 肩を竦めると、都築は掴んでいた手を離して、それから参ったと言うように額に離した手を持っていく。

「なんだ、そうか…でも、だったら何故聞いてこない?」

 ハッと気づいて、それから途端に胡乱な目付きになりやがるから、まさかメルアドや電話番号なんか教えようものなら、毎日みたいに連絡されるんじゃないかって懸念してたからなんて言えないし、妥当なところを言ってみることにした。

「俺が聞いてもいいかとか判らなかったから。なんか、都築の連絡先って希少度が高すぎて…」

 そもそも都築の連絡先には高値がついていて、一般の学生には目にすることも耳にすることもほぼ不可能と言うほど、下手したらツチノコレベルの希少性があったりする。そのことを、この男が知っているとは思えないけど…なんか知ってそうな気もしてきた。

「なんだそんなこと…」

 漸くいつもの不機嫌面に戻った都築は、座るなり我が物顔の俺のベッドに投げ出していたスマホを取り上げると、ほらほら早くとそれを振って赤外線で番号交換をするぞと迫ってくる。
 内心、嫌だな…と思いながらも、ここで断るとさっきの食い殺すような目付きで睨まれるだろうから、俺は溜め息を吐くとちゃぶ台に置いているスマホを掴んで、都築がご機嫌になるように赤外線で番号交換をしてしまった。
 明日から頭が痛い…かもしれない。

□ ■ □ ■ □

 都築にせっつかれるようにして自宅アパートを後にした俺たちは、都築が運転するウアイラに乗ってヤツの高級マンションに来ていた。
 ウアイラの感想…何と言うか、都築に対する評価として、ヤツが運転する車には絶対に乗らないって項目が新たに追加された気がする。
 楽しみにしていただけにその危険レベルを大幅に超えた超高速の世界では、人間はなんて弱く儚く脆いんだと変な妄想で吐きそうだし、ますます速度を上げるウアイラは次々と他の車をぶち抜いていくんだけど、ビビッて突っ込んでくるんじゃとか…つまり命の危険に晒された十数分でした。
 どんなカーチェイスだよ。
 いつもはこんなに飛ばさないとかなんとかブツブツご機嫌に言ってたけど、じゃあ何時もどおりの運転でお願いしますと泣きを入れたかった。
 駐車場に滑り込んだウアイラを待っていたかのように駐車場係り(?)みたいな男の人がその速さに驚きながら近付いてくると、都築は俺に早く降りるように促して、俺のお泊りセットが入っているバッグを奪い取るとふらふらの俺がモタモタ降りるのを待ちきれないと言うように手荷物みたいに抱えながら、キーを慌てふためく男の人に放り投げた。
 大理石造りなのかなんなのか、ともかく高級そうなエントランスを抜けるとどんな時でも冷静な判断とスマートな態度が定評らしい顔色ひとつ変えないプロ然としたコンシェルジュの挨拶を軽く流して、まるで超高級なホテルのロビーみたいだなぁと平凡な感想しか言えない俺を連れたままどうやら最上階直通のエレベータに乗ったようだ。
 都築の住んでいる部屋はタワーマンションの最上階で、その階全部が都築の部屋になっているみたいだった。
 玄関を入ると靴を収納する作り付けの棚が幾つかある。靴を脱いでお邪魔しますと上がり込むと、左手にリビングダイニングがあって、右手の扉を開くと主寝室と2つ目のベッドルームに続く廊下が延びている。右手の扉と左手のリビングに行くための中継の通路、つまり玄関を入った真正面に3つ目のベッドムールがあるんだと。
 と言うのが、俺を小脇に抱えて一目散にリビングダイニングに行きながら都築がしてくれた簡単な説明だった。
 下ろしてくれて自分の足で見て回りたかったんだけど、まだ目が回っているから取り敢えず豪奢な革張りのソファに下ろしてもらって助かった。
 都築は仏頂面のくせにちょっと嬉しそうにキッチンに向かったようで…って、キッチンにスライド式の扉が付いてる。すげえなぁ。

「お前の気分が良くなったら冷蔵庫の確認をしろ。それで、何か作ってくれ」

 流石に気を遣ってくれているのかミネラルウォーターのペットボトルを持って出てきた都築が、全く俺のことなんか考えていないような俺様な注文をしてくるから、俺は呆れたようにぽかんとするしかない。

「お前、ろぶなんとかで彼氏と飯を食べてきたんだろ?」

「彼氏じゃない。ユキとフレンチのコースをな。でも、お前の飯は別腹だしさ」

 差し出されたペットボトルの蓋を開けながら、甘いものを別腹と言う女子はいたが、普通の夕飯を食べておいてもう一度夕飯を摂るのが別腹って言うのは、ちょっと普通に聞いたことがないな。
 あれ?でも夕飯を食べた後の牛丼は別腹だとか言ってたヤツがいたような…

「…判った。じゃあ、何盛りぐらいいけるんだ?」

「何盛り?」

「腹の具合だよ。八分目とかあるけど、簡単に大盛りか中盛りか小盛りか」

 俺の言葉に納得したのか、クソだだっ広いリビングには黒の革張りのソファが幾つかあると言うのに、都築は俺の座っているソファの背にわざわざ凭れたままで頷いた。
 シックな部屋に似合った黒革張りのソファは、何処か退廃的で自堕落な都築を孤独に見せている…ような気がした。この広さならパーティーもするだろうけど、みんながいなくなった部屋で都築はホッとするのか、それとも寂しがるのか、判らないけど俺はこんな広い家を欲しいとは思わなかった。

「大盛りもいけるけど、今夜は中盛りぐらいでいい」

 大盛りもいけるのかと一瞬目を瞠ったが、フレンチのコースって品数は多いけど量は少ないのかな…フレンチのコースなんかお目にかかったことがないからよく判らんけど、中盛りでいけるなら時間もまだ早いし、冷蔵庫と相談だけどアレを作ってやるか。

「冷蔵庫を見てからだけど、今日はお子様ランチを作ってやるよ」

「マジか」

 不意に不機嫌がデフォルトの表情をそれでもキラキラさせて嬉しそうな都築を見上げて、まあ…これだけ凄い家なら、冷蔵庫の中に入って無いものなんてないに違いないし、ご期待通りのお子様ランチを作ってやろうと思った。

□ ■ □ ■ □

「だから、一緒には寝ないって言ったよな?」

 冷蔵庫には通いのハウスキーパーが文句ない品揃えを提供してくれていたので、それなりのなんちゃってお子様ランチを作ることができたし、チキンライスに日の丸の旗を立ててやった時は本気で喜んでいた。
 それで満足した都築は、食べ終わった食器を軽く水洗いして初めて触る最新の食器洗い乾燥機に恐る恐る入れている俺を問答無用で抱き上げると…って、どうやら都築は車から俺を降ろした時に俺の体重が思ったより軽いことに気付いたらしく、暴れられると面倒だと思う時は抱き上げることにしたようだ。迷惑な話なんだが。
 俺の意思は何処へ…と、たぶん眠っている時に突然主人から抱き上げられる猫はこんな気持ちになるんじゃないかなと思うような、どんよりした気分で思い切りうんざりしながら肩に担ぎ上げられた俺は都築の背中をドンドンッと叩いて抗議した。

「何してくれてんだ!」

「風呂に入ろうぜ。うちの風呂は広いんだ」

 嬉々とする都築に反して蒼褪める俺は、できれば風呂は朝に入りたいと泣きを入れて、都築はメチャクチャ不機嫌になったものの、ウアイラの暴走で結構ダメージを受けているんだろうと素直に応じてくれて、仕方ないなぁと肩に俺を担ぎ上げたまま何食わぬ顔で主寝室に連れ込んだ。連れ込まれての俺の台詞が冒頭のものである。

「一緒に風呂には入らないし、一緒にも寝ないって、そう言う条件でお前んちに来ることにしたよな?」

 そりゃすげえ広いキングサイズのベッドに放るようにして降ろされた俺は、まるで初夜の生娘みたいに…初夜って何だ、都築から見れば生娘ではあるけど。蒼褪めたままで大柄な都築を見上げて眉を怒らせると、都築は不機嫌そうに呆れたようで、お前は何を言ってるんだと肩を竦めてくれたりした。
 お前こそなんだ、その態度は。

「お前はのこのこウチに来たんだ。ここはオレの城だぞ。オレが一緒に寝ろと言ったら寝るんだ。否は言うな」

 …こう言うのが巷で話題の俺様野郎って言うのか?まあ、確かに都築ぐらいの長身のイケメンで実家が大富豪で、住んでいる場所もこんな豪奢なタワーマンションの最上階ともなれば、庶民の俺に対する態度としては俺様で結構なんだろうけど。

「じゃあ何か?お前が俺んちに来た時は、俺の城なんだから、お前を叩き出してもいいってことだな」

 ギシッとも軋まない最高の寝心地のベッドに突き倒されて寝転んでしまった俺に、覆い被さるように顔の両脇に腕を付いて覗き込んでくる都築は「うッ」と口篭ってしまう。
 喋りながら押し倒すとか、どんなスペックだよ。
 俺だったら喋るのに夢中で、相手をどうこうしようなんて少しも頭に浮かばないと思うから、やっぱり都築は性行為に長けてるんだろうなぁ…って童貞の独白だけど、じゃあ今の状況は思い切り貞操の危機なのか?!
 いや違う。貞操じゃない、安眠の危機だと思う。
 都築は俺のこと、思い切りタイプじゃないって言ってたしね。

「お、前が悪い!オレは今夜はユキを抱いて眠るはずだったんだ。それをお前がウチに来るって言うから予定が狂ったんだ。だからお前が責任を持ってオレと寝ないといけない」

「そっか、お前と恋人の時間を邪魔した俺が悪いのか。だったら、都築が嫌がる俺と添い寝したがったって仕方ないよな。今後、絶対にお前んちに行くって言わないって決めた」

 思いつく言い訳がそんなものだったとは言え、完全に拒絶する俺の台詞に理不尽な怒りを滲ませていた双眸は途端に動揺し、俺が本気で怒ってフンッと外方向くと、都築は視線を落ち着きなく彷徨わせたうえで、ハッとしたように言い繕った。

「判った、じゃあオレはお前とソフレになる」

「…は?」

 だから何で添い寝したくないって拒絶してる俺に、強制的に添い寝する仲にしようとしてんだよ。しかも一方的に。

「お前、さっき自分のことを友達なのかって心配してただろ?」

 いや、心配じゃない。この関係がなんだかよく判らなくてなんとなく理不尽な気がしていただけだ。でも、都築は俺の話なんか聞いちゃくれない。

「ただの友達ではないと思うんだ。もっと関係性をハッキリした方がお前が安心するなら、オレはソフレでいいと思う。だからソフレになる」

 何にしてもお前は上から目線なんだな、もういいけど。

「別に関係性なんかハッキリしなくてもいいけど…」

「じゃあ、何か?お前はただの友達のくせにほぼ毎日男を部屋に連れ込んで同じベッドで寝てるのか。チンコを尻に擦り付けられてもただの友達だから許してるって言うのか」

 俺たちの関係性云々よりだんだん話の方向性がおかしくなっている気がするんだけど。
 都築は唐突にぎゅうぎゅうと俺を抱き締めてきた。
 ダウンライトの燈る室内は仄暗くて、男女が密接に寄り添うならとても雰囲気があるんだろうけど、男2人で何をやってるんだ、俺たちは。
 都築は俺の抱き心地がいいから抱き枕になれと前に上から目線で言いやがったけど、断固として拒絶しても背後から抱き締められて何時も息苦しくて目が覚めてた。
 セックスする相手と添い寝する相手は別もんなんだろうとは思うけど、できればセックスする相手をそのまま抱き枕にしたら良いのにと思う。女の子や男と遊んだ後も律儀に俺の部屋に来て、もちろん勝手に鍵を開けて入ってくるワケだけど、わざわざお気に入りになった部屋着のスウェットに着替えて既に就寝している俺の傍らに潜り込んで来ては、安心したみたいに息を吐いて眠る。ほぼ毎日そんな有り様だ。

「ただの友達なら柏木や百目木ともこんな風に眠るのか?!そうじゃないだろ!オレだけだ。だったら、オレをソフレにしろ」

 随分と強引で身勝手な言い分だけど…でも、俺はきっと頷くと思う。
 結局アレだ。断固として拒絶しようが嫌がって逃げようが、結局眠って意識を失くしたら、起きてる都築のターンにしかならないワケだ。眠って意識がなければ、結局添い寝されようと背後から抱き締められようと、都築が言うように朝立ちの勃起を尻にゴリゴリと擦り付けられて、不愉快な気持ちで目覚めた時に初めて発覚して自分を恨めしく思うんだ。
 判っていれば、またかで終わるんじゃなかろうか。終わらないか。
 いずれにしてもここで断ったとしても、明日からまた都築は俺んちに来るし、来たら結局一緒に眠るんだ。
 なぜ俺が同意しないといけないのかは今でもよく判らないけど、その時の俺は何もかもどうでもいいような気持ちになっていて、それなら、都築が言うようにせめて何か形が欲しいと思ったのかもしれない。

「…判った。都築のソフレになるよ」

 でもたぶん、都築がちょっと必死っぽく見えたのが、なんとなく気分が良かったからかもしれないけど。
 都築は俺の了承をもの凄く喜んだ。顔付きは相変わらずの胡散臭い仏頂面ではあるものの、それと判るほどあからさまに喜んでいるようだった。
 そんなワケで俺、都築とソフレになりました。

□ ■ □ ■ □

●事例4:泊まりに行ったら強制的に添い寝される
 回答:突然、お前がウチに来るって言うからセフレを抱いて眠るつもりの予定が狂ったんだ。だからお前が責任を持ってオレと寝ないといけない
 結果と対策:そっか、お前と恋人の時間を邪魔した俺が悪いのか。だったら、嫌がる俺と都築が添い寝しようとしたって仕方ないよな。今後、絶対にお前んちに行くって言わないって決めた。