1  -冷たい星-

 ずっと友人だと信じていた。
 もうずっと、コイツなら信じていられると思っていた。
 俺の幼馴染みで、4つも年下の並木岳。
 誰も知らない俺の秘密を暴く…最大の脅威になるなんて。
 この時の俺は、まるで考えてもいなかった。

■ □ ■ □ ■

 神妙な顔つきで、たぶんきっと、コイツなりに悩んだに違いない表情をした岳は、夕暮れ時の公園のジャングルジムの前で俯いていた。もうじき斜めに光が差す太陽は、オレンジを空いっぱいに広げて、黄色と赤の微妙な混ざり合いを映し出している。
 こんな人気もまばらな公園の片隅で、まさか、そんな冗談言うなよと、俺は岳の顔をマジマジと見つめていた。

「…好きなんだ」

 ポツリと、ともすれば些細な風にも紛れてしまいそうな、よく聞いていないと聞き落としてしまいそうな掠れた声で岳はもう一度繰り返した。空耳だろうとか、聞き間違いであって欲しいとか俺が願ったその言葉を…

「…つっても俺、男だし。見て判らないのかよ?」

 内心の動揺を悟られないように、わざと不貞腐れた態度でそう言うと、岳は困ったように小さく笑って、それから真摯な双眸をして俺を見た。それは凝視のような鮮烈な眼差しで、どうしてだろう?その目つきに一瞬だが、不覚にも俺は怯えてしまった。
 なぜか…なんてこた判らないけど、俺は敢えてその眼差しを無視すると、怯えを悟られないようにわざと呆れたような口調で首を左右に振ったんだ。

「顔だって普通だ。なぁ、お前さぁ。目でも悪くなったんじゃねぇのか?つーか、たぶんそれは病気だ。病院に行ってよし。話はそれから聞いてやる」

「オレは病気じゃないよ、むしろ…」

 言いかけて、岳は俺を見つめてきた。
 そんな思いつめた表情は、女の子の前でやればいい。
 チビの頃から俺の後をついて回っていたあの並木岳が、まだ中学2年なんだぜ?そんな未来ある、バリバリ優等生でクラスの人気者な並木岳さまがだ、男なんかに惚れるのはおかしい。どうかしてる。俺の推察通り、お前は病気だ。病院に行け。

「なぁ、コウタロ兄ちゃん。オレのこと、おかしいって思う?本当に、オレが好きだって言ったら気持ち悪い?」

 思いつめた表情で首を傾げる岳のその顔に、俺はなぜかドキッとして、本来ならこういう場合は穏やかに、やんわりと断らなければってのは良く判ってるってのに…この時の俺はどうかしていた。
 幼馴染みの、いつも俺の後を弟のように追っかけ回していた岳が、そんな男の顔をして見つめてくるもんだから…どうかしたんだろう。

「気持ち悪いに決まってんだろ!?お前が異常じゃなくて正常だってのなら、やっぱどっかおかしいんだよ。病院行って出直して来い」

 たぶん、岳は傷ついた。
 恐ろしく不快そうに傷付くように言ってやったから、ヤツもすっぱりとこれで諦めて、何もかも忘れて元通りの岳に戻ればいい。
 軽くそんなことを考えていた。
 岳は大人しくて優等生で、俺はどちらかと言うと拗ねたタイプだったから、多少の身長差とウェイト差は別としても、たぶん軽く見ていたんだと思う。
 風が吹いて、誰もいない、昼だって人通りの少ない公園はどこか寒くて、初夏だって言うのに俺は肌寒さを感じて知らず拳を握り締めていた。
 岳もそうだったのか、思いつめた表情で俯き加減に視線を伏せたヤツは、唇をキュッと噛んで、噛み締めて無言だった。

「…オレのこと、嫌いなのか?」

 いつにも増して強い口調で呟く岳の、その真に迫った双眸で上目遣いに見つめられて、俺は膨れ上がる不安をどうすることもできなくて、呆気に取られるほど明るく言ってやったんだ。

「バッカだな!別に嫌いになんかなるわけないだろ?俺は近所の優しいお兄さんだぜ。幼馴染みで弟のように可愛いお前を嫌ったりなんかするかよ。ま、その程度ではあるけどな。もう判っただろ?はい、終了!あの同級生の子とでも大人しく付き合ってるんだな」

 …普通、たぶんこれが精一杯の答えなんじゃないかと思う。
 異常か正常かなんて、そんなのは俺の計り知れない部分の問題だから、取り敢えず、今は岳のその強烈な視線から逃げ出したくて、俺はそう言い残して足早にジャングルジムを後にした。
 でもたぶん。
 それが拙かったんじゃないかと思う。
 特に最後の件のところなんか、よりによって俺は、逃げ出したい為だけに岳が告白されて困っていると言っていた、あの副委員長の名前を出したんだからな。
 救いようがない。
 もうじき夕暮れがくるし、それでなくても人通りが少ないんだ。
 岳の双眸の中に見え隠れするあの揺らめきを、俺は別の学校の連中と喧嘩をするたびに見てきた気がする。もしかしたら…アイツは優等生だからそんなことはないと思うけど、アイツの暗い光を放つあの揺らめきは…何かヤバイことが起こる前兆かもしれない。
 俺は、岳が好きだ。
 小さい頃から弟のように慕って懐いてくる岳を疎ましいと思ったこともないし、嫌うだなんてとんでもないことだ。ただ、たぶん、同性愛者…ってことには魂消たけど、それでも岳が好きなんだ。可愛い俺の弟を、ぶん殴りたくはない。
 喧嘩なんかしたいワケがない。
 だから俺は、精一杯にアイツを遠ざけるつもりでそう言ったんだ。
 何が間違えていて、何が正しいのかなんて、俺に判るはずがない。
 誰かを好きになる気持ちを…誰にとめられるって言うんだ?

「…ッ!?」

 ガクンッと身体が一瞬ぶれて、気付いたら俺は岳に引き寄せられていた。
 わき目もふらずにサッサと暗くなる公園を足早で通り抜けようとしていた俺に、岳は敏捷な動きで近付いてきて、背後から腕を引っ張りやがったんだ!

「な!?…が、岳?」

「酷いよ…」

 ポツリと呟いた。
 風が吹いて、誰もいない公園、岳は俺の身体を愛しむように抱き締めて、悔しそうに呟くんだ。

「ずっと、小さいときから好きだったのに…光太郎の何もかも、俺のモノになればいいって」

「んなこと!できるワケがないだろう!?何を言ってんだ、岳!おい、しっかりしてくれ…」

「うるさい!」

 必死で逃げ出そうと抗う俺をギュッと、どこにそんな力を隠してたんだと瞠目するような力強さで拘束して、岳は耳元で怒鳴りやがった。
 ビクッとして、その見上げた双眸の暗い煌きに一瞬でも怯えた俺に、岳は悟ったようにニヤッと笑った。あの嫌な、暗い笑い顔で…

「言うこと聞かないよね。こんなに好きなのに…だったらもう、強硬手段しかないんだ」

「なに言って…ッ」

 口付けられた。
 口唇を重ねて触れるような、あんな生易しいキスじゃなくて…誰に見られたって構うものかと、岳はそんな決意をしていたんだろう。俺がどんなにもがこうと足掻こうと、一向に構う気配すら見せずに押し付けた唇の、その口唇の隙間から舌を捻じ込んできて、深く、もっと深く吸い尽くそうとでもするようなキスをした。

「…んッ、…ふ、…んぅ!」

 逃げ惑う舌を肉厚のソレで追い回し、絡み付いて、ねっとりと唾液を混ざらせる。濃厚なキスは、想像していたよりも強烈で、腰の力がカクンッと抜けるような錯覚…或いは現実だったのか、朦朧とする意識で俺は岳に縋り付くようにして抱きついていた。

「…ぅあ…、ッ、…はぁ」

「光太郎、やっぱり綺麗だ…」

 唾液に濡れて、公園に設置されている街灯に浮かび上がる俺の唇を舐めながら、岳のヤツが堪り兼ねたようにそんなことを呟くから、俺は唐突に現実に戻って慌ててそんな岳の身体を引き剥がそうと試みた。

「…ッに!バカなことを抜かしてるんだ、お前は!!こんなことしやがって…!いくらお前で

も許さないぞ!」

 キッと睨みつけたところで、岳に動きを封じ込められたように押さえつけられている情けない姿じゃ迫力も半減以下で、なんの効果もないだろうけど…岳は見透かしたようにニヤッと笑うと、俺の足の間に膝を割り込ませて耳元で囁いた。

「ココをこんなにしてちゃ、真実味に欠けちまうぜ。なあ、光太郎?オレが本気でいい子ちゃんのままでいると思ってたのか?オレは…この時をずっと待っていたんだ。この時のために、親父を丸め込むよう優等生でいたんだぜ」

 …コイツは何を言ってるんだ?

「何を…」

「何をだって?笑わせるなよ、光太郎。何もかも知ってるって言ったら…お前はどんな顔をするのかな?」

 ギクッとした。
 ギュウッと抱き締めながら膝でグリグリと悪戯をする岳は、街灯の明かりの下で、今まで見たこともないほど凶悪なツラをしてニッと笑いやがったんだ。その表情は雄弁で、何も言わなくても、何を伝えようとしているのか手に取るように判って、俺は胃が痛くなった。
 優等生で可愛くて、デカイ図体のワリには大人しくて、なんでも俺の言うことを聞いていたあの笑顔の岳が…そんな表情を浮かべないでくれ。
 何もかもが崩れ去るような違和感を覚えて、俺は思わずその場に倒れそうになってしまった。
 いや、もしかしたら、俺がそんな態度さえ取らなかったら、全ては杞憂で終わっていたのかもしれない。
 でも、紛れもなくソレは、足音を立てて近付いていたんだ。

「お…とと。こけるなよ、バカだな。オレがいないと立っていられないのか?まあ、そりゃそうだな。これから夫になる相手だ、頼ってくれてもいいんだぜ」

「…な、…何をバカなこと…」

「バカだって!?」

 不意に大声でそう言って、コイツは参ったと大笑いしながら岳は俺の身体を引き寄せると、嫌がって背けようとする俺の頬に手をかけて無理矢理上向かせやがるんだ。

「…ッ」

「…イイ顔するよな、マジで。チビの頃に聞いたんだよ、お前のお袋さんと親父さんがオレんちの両親に話してるところを…で、その時に決意したね。絶対に、光太郎をオレの嫁にするってな」

 …バレ…てたのか?そんな、いったい、いつから…
 信じられないものでも見るように瞠目する俺の双眸をキッチリ捉えて、岳は覗き込んできながら呟くように囁いた。

「両性具有なんだろ?それも極めて珍しい、男のナリをしてるくせに子宮の方が発達してるんだってな。既成事実…って知ってる?」

 もう、俺はバカみたいに、酸欠の魚か何かみたいに口をパクパクさせるだけで、言葉らしい言葉も言えずにいた。そうすると岳は、そんな俺にお構いなく、いきなり俺の手を引いて歩き出しやがったんだ。

「が、岳。も、もちろん、その、冗談だよな?俺はどうみたって男だし、その日はエイプリルフールか何かで、お前、ただ担がれただけなんだよ。な?」

 歩きながら、俺はできるだけ気分を落ち着けて、唐突に弟だと思って可愛がっていた幼馴染みに突き付けられた『現実』ってヤツを、どうしても受け入れ難くてそんな馬鹿げたことを言ってみたりした。岳はほんの少し鼻先で笑っただけで、前を向いた視線を戻そうとしない。その横顔は、付き合ってくれるまでずっと待つから…と言って、ほぼストーカー状態のあの副委員長があれだけのめり込むのが判るほど、男の表情をしていた。優しいだけじゃなく、どこか皮肉げに見えるのは、こんな状況じゃなかったら男前になったなと誉めてやりたいぐらいだった。
 そんなことを考えながらあれやこれやと模索していると、どうやら岳の目的地に着いたようで、俺はその場所を見て改めてギョッとした。
 ラブホにでも連れて行かれた方がまだマシだったか…いや、それと同じぐらいには衝撃的な場所だった。

「初夜はホテルのベッドで…とか夢を持ってたけどな。あれから月日が経って光太郎も聞き分けのないヤツに成長しちまったから、ま、初めてはどこでもいいよな。それこそ女じゃあるまいし、手っ取り早く、公衆便所で用を済ませようぜ」

 そこらでコーヒーでも飲もう…ぐらいの感覚で、岳のヤツは俺の腕を引いて、いつ掃除したとも判らないような汚れた公衆便所の中に入って、鼻を突くアンモニアに顔を顰めながら俺を個室に向かって突き飛ばした。

「…ッ」

 こんな公園なら蓋とかないだろうに、運が良かったのか悪かったのか、俺は埃が積もって汚れきった便座の蓋の上に腰掛けるような形で座り込んでしまった。ハッとして、慌てて立ち上がろうとした時には、もう岳が狭い個室に身体を滑り込ませて、後ろ手で鍵をかけているところだった。
 ま、マジかよ…
 男2人で入るにはあまりにも狭いそこで、岳は俺に覆い被さるようにして文句を言おうと開きかける口にキスをして塞いでしまう。

「…ッ、…う、…く…ッの野郎!」

「…ッ!」

 舌を割り込ませてきたその瞬間を狙って噛み付いてやると、岳のヤツは顔を顰めて、それから嬉しそうにニヤッと笑うんだ。うう、コイツ絶対に狂ってる!

「が、岳!こんなのはおかしい!絶対に間違ってるッ。今なら元に…」

「戻られるとか思うワケ?そんなことあるワケないだろ。これが、本来の並木岳なんだぜ?」

 舌を噛まれて、そりゃ、結構力を入れたんだから痛かっただろうに、岳のヤツは殊更なんでもないかのようにサラッとそんな恐ろしいことを抜かして、極上の笑みを浮かべながらペッと床に血液混じりの唾液を唾棄したんだ。

「ずっと手に入れてやろうと思ってたんだ。どうしてやろうか…って、それを考えながらマスかくのって結構気持ちよかったぜ。お前の泣き顔とか想像して…ケツマンやマン●にたっぷりとぶち込んでやれるって思ったら、3発は余裕で抜けたもんな」

 そんなゾッとする台詞を余裕で吐けるお前もどうかしてるけど、あの喧嘩上等で中指立てていたこの俺が、どうしてこんな変態野郎に怯えて竦んでいるんだ?強姦されるって言う、初めての恐怖に『女の部分』が怯えてるとでも言うのか?
 ふざけるな!

「いい加減にしやがれ、岳!俺は男なんだ!おーとーこ!俺の家族が悪ふざけしたことは悪かったって謝ってやる。でもこれは、こんなことは絶対に許してやらん!」

「悪ふざけ?何をバカなこと言ってるんだ。光太郎の両親は男でありながら、女の器官が発達しているお前の今後についてかなり悩んでいたんだぜ。当時、母さんは大反対したけどな。ソイツも死んでいなくなったワケだから、今は完全に俺主体で動けるんだ…」

 その先は聞きたくなかった。
 おおかたコイツのことだ、厚顔無恥の顔をして、屈託なく笑いながら俺の両親に言ったんだろう。『コウタロ兄ちゃんをオレにください』…ってか?戸籍上、俺は長女だから別にさして問題もない。
 でも!この18年間、ただの一度だって疑ったことなんかなかった。
 俺は男だ、男なんだってな!
 こんなツラして、誰が女だなんて思うかよ。
 実際、当の本人だって鏡を見ても何度も首を傾げて、風呂に入ったって疑ってるくらいだ。
 そりゃ、月に一度は股座からたらたら血が流れることがあって、それがたまらなく気分が悪くて貧血起こしてぶっ倒れそうになったけど、それでも、それが終わる頃にはやっぱり俺は男なんだって思っていた。
 それを、よりによって弟だって可愛がっている岳から『嫁になれ』なんて言われるとは思ってもみなかった。正直、かなりヘコみそうになる。
 一人でさめざめと泣きたい気分になって唇を噛み締めていると、気付いたらいつの間にか岳のヤツが覆い被さったままで股間に手を伸ばしていたんだ。
 ギャーッ!

「や、やめろ!岳、嫌だ、やだって!やめ…ッ」

「うるせーな。もうギャアギャア言うなよ。それでなくてもくせーんだ、さっさと終わらせて帰ろうぜ」

 なんでそんな風に平然としていられるんだ?それはやっぱり、犯られてるのが俺で、犯ってるのがお前だからか…とか、そんなどうでもいいことばかりを考えながら、俺は岳が伸ばしてきた腕から逃げようと、必死で便座の上で無駄に足掻いていた。
 と。

「…ッ!」

 バシッと頬が鳴って、激痛が走る。
 岳に殴られたんだと気付いたのは、ヤツの空いている腕がシャツの裾から滑り込んできて乳首を弄んでいる時だった。

「うるせーつってんだろ?聞き分けがないとそのまま突っ込むぞ」

 恐ろしかった。
 初めて、生まれて初めて『男』が怖いと感じた。
 口調は酷く冷静で、俺を見る双眸もどこか感情の窺えない虚ろなものだったから、それが却って恐ろしかった。
 このままだと、本気で犯される!
 いまさらになって身体が硬直して、俺は恐怖に震えながら岳から逃げ出そうと懇親の力でもがきながら振り払おうとした。すると、今度はもっと強い力で頬を叩かれて、ゴツッと鈍い音を立てながら汚らしい唾とか、なんか奇妙な液体が茶色いシミになっている壁に強かに頭を打ち付けてしまった。目から星が出るような衝撃を受けてクラクラしている間に、岳は俺のズボンのジッパーに無造作に手をかけた。
 キチキチ…っと音を立ててジッパーが下がるのを感じて、俺は、なんて言うか、本気で女にでもなったかのようにハラハラと泣いてしまった。

「怖がるなよ。大丈夫だ、最初は優しくしてやるから。お前がご主人さまに奉仕するのはそのあとからでいい。達く方法だとか、どうしたらオレが気持ちよくなるのかとか、片っぽは同じ男なんだ。よく判ってると思うけどな」

 奉仕の仕方を軽く説明されても、ハイそうですか、なんて言えるワケがねぇ…涙腺は馬鹿みたいに壊れてるし、なんか急に身体に力が入らなくなって、俺はグイッと岳に両の頬を片手で掴まれて強引に口をこじ開けられた。顎の蝶番の部分を強く押されれば、誰だって口が開く。そんなこと、賢い岳なら知ってて当たり前だ。

「うう…」

 苦しそうに眉を寄せると、岳のヤツは自分のズボンのジッパーをこれ見よがしに引き降ろして、トランクスから半勃ちしている陰茎を取り出したんだ。

「苦しいだろ?待ってろって、まずは慣らしとかないとな。なんだってスムーズにはいかないさ。取り敢えず濡らすだけでいいから咥えろよ」

 軽く扱いて、涙目で必死に首を左右に振って嫌がる俺をクスッと鼻先で笑った岳は、端からやめる気なんか毛頭ないだけに問答無用で捻じ込んできやがった。

「ふーん、思ったよりも滑らかで気持ちいいモンなんだな。こう見えてもオレ、きっちり純潔は守ってるんだぜ?」

 クスクスと嫌味ったらしく笑いながら、そんな嘘をサラッと言ってしまえる岳は、俺の何の取り柄もない黒い髪を指先で梳きながら頭を押さえつけて、空いてる方の手で小器用に肌蹴させた胸元に戯れかかるから…俺は思わず咽そうになった。
 男の陰茎を咥えたことなんかモチロンなかったし、ましてや胸元を触られたこともない。必死に舌先で鈴口の辺りを舐めたり吸ったり、それこそ早くこんな苦しみからは解放されたくてありとあらゆる、AVで見た真似事をしていたんだ。突然、何の前触れもなく素肌の乳首なんか弄られたら咽て、もうちょっとで窒息しちまうところだった。いや、マジで。 恨みがましく涙目で見上げると、頬を上気させた岳のヤツが、何が嬉しいのかうっとりと双眸を細めて俺を見下ろしていた。切れかけたような電灯が浮かび上がらせる岳の姿は、それこそ間抜けなんだろうけど、その顔立ちは獲物を狩り終えて満足している野生の獣のような雰囲気がある。ここが便所じゃなかったら、きっと、女はこう言う部分に惹かれるんだろう…

「……ッ、…ぅ、……ん」

 舌先で必死に陰茎を舐めてる自分の姿の方が、いっそ間抜けなモンだけど…そう考えたらまた泣きたくなって、こうなったらもう涙腺は本気で蓋をする気はないようだと思えた。

「泣いてんのかよ?ったく、だらしねーな。濡らすだけ、とか思ってたけどさ。結構、気持ちいいからこのまま出しちまうぞ…今から泣いてたら、この後はどうなるんだろう?」

 さらに、何が可笑しいのか咽喉の奥でくく…っと笑う岳が、今更ながら怖かった。
 亀頭の一番太いところが一番厄介で、かと言って、それを飲み込んでも高々半分ぐらいが収まった程度だった。それでも咽喉の奥を突くような圧迫感は拭えなかったし、わき起こる吐き気も我慢しないといけない。嘔吐に必死で耐えていると生理的な涙が目尻に浮かんで、舌を動かすことを怠ると岳は短気を起こして俺の頭を股座に押し付ける。

「ぅぐッ!!……ぅ、…ッ…!」

 舌の表面のザラッとした部分が滑り込んでくる陰茎を撫で上げ、無理に飲み込まされた先端が問答無用で咽喉の奥を突き上げるから、粘膜が押し込まれるような感触がして、俺はまた吐きそうになった。身体を支えていた手がズルッと滑って、慌てて岳の太腿を掴むと、この息苦しさから逃げ出したくて身体を引き離そうと腕を突っ張ろうにも背後はすぐに汚れて埃の被ってるタンクだし、逃げ出すこともできなくて、俺は岳の手が促すに任せて瞼を閉じた。
 目を閉じたって嘔吐感は拭えないけど、そうして諦めることで、岳は気を良くして押さえつける手の力を緩めてくれた。嗚咽のように咽喉を鳴らして、それから咽喉を突き上げる肉の塊にほんの僅かでも退去してもらおうと奥の方で外に押し出すように舌を動かしていたら、口許から唾液が零れて顎を伝って胸元を濡らしやがった。

「近所のお兄さん…ね。ホント、あんたって笑わせてくれるよ。いつオレがあんたのことを『近所のお兄さん』なんて目で見たって言うんだ?いつだって犯して、オレだけのモノにしてやろうって企んでたってのにな」

 馬鹿にしたように鼻先で笑って、岳は俺の苦しそうな表情を楽しむように見下ろしてくる。
 男の逸物で口腔を穿たれて、そりゃあ、面白いだろうよ!…うう、クソッ。

「ホラ、早く舌を使えよ。さっきみたいなチロチロじゃちっともカンジねーんですけども」

 クスクスと笑って髪をグッと掴まれて、もう条件反射でビクッとした俺はそれでものろのろと舌を這わせて裏筋の辺りを舐めてみた。硬度を増すソレを持て余して、口いっぱいに頬張ってはみたものの、唾液の嚥下が思うようにいかなくて、気付いたら口の端からたらたらと含みきれなかった唾液が零れていた。
 尿道口に先端を尖らせた舌先を突き入れて、ぐにぐにと愛撫してから、唾液をねっとりと亀頭に塗り込める仕種をすると、岳は少し切迫したように荒い息をついた。
 …バーカ、俺だって野郎なんだぞ。
 どこをどうすれば感じるのかぐらい、半分女でも判るんだ。
 両性具有をなめんな。

「…ふ、……ッ、………んぅ」

 眉を寄せて、自分が舐めてるモノを見る気にもならなかったから双眸を細めていたら、肩で息をついたらしい岳が俺の髪を撫で梳きながら少し、なぜかムッとした口調で呟いた。

「…あんた、巧いんだな。どこで覚えた?もしかして、オレ以外のヤツとヤッたことあるとか?」

 …こう言うところが、子供なんだよ。岳は。
 俺はただひたすら岳が達ってくれることを願いながら奉仕を続けて、それでも首を左右に振ってそれを否定しておいた。もちろん、こんな行為は初めてだったから、嘘じゃない。ただ、岳の語尾に孕んだ剣呑な雰囲気が、後で厄介なことになるのはどうしても避けたかったから…ってのが、正直な理由だ。

「だよな。見てくれもイマイチだし、オレ以外にあんたを抱きたいなんて酔狂は他にいないだろうから…」

 呟いて、でもまだ信用ができないのか、胡乱な目付きで見下ろす岳は、テメーの逸物を咥えて必死にご奉仕している俺の姿を見ても、そんなこと抜かせるだけおめでたいヤツだと思うよ。
 無駄なことを詮索されてこの状態を長引かせられるのも嫌だし、持て余すほど膨張してきたその若い肉の塊を、先走りの苦味に眉を寄せながら俺はできる限り敏感な亀頭を集中的に舐めてみた。その刺激がどれぐらい強いのか、実際に誰かにしてもらったことのない俺には判らないけど、岳は気に入ったのか、フッと溜め息をついて少し情けない声を出した。
 慣れない愛撫がどれだけヤツを刺激してるかなんてこた判らないけど、その調子から、もうじき岳が達くんだなと言うことは判ったんだ。

「イイ感じじゃん。じゃ、出すよ」

 息をついて、それから俺の頭に置いていた手に力を込めて注意を促す岳にビクッとなる。当たり前だ、同じ男として生きてきた俺が、どうして野郎のモノなんか飲まなきゃいけないんだ?動きを止めて口に咥えたままで上目遣いに見上げると、やけに色っぽい目付きをした岳がニッと笑った。薄っすら滲んだ汗で前髪が額に張り付いて、少し厚めの唇が形良く笑うと…それだけでなぜか俺はドキッとした。
 そんな風に気を取られていた俺が悪いんだけど、ハッとした時には咽喉の奥に灼熱の飛沫が叩きつけられていた。

「…ん!……ぅ、…ッ、……」

 口の中に注がれた灼熱の体液は、苦くて火傷しそうで、その青臭い匂いだけで吐き気がした。

「…ふ」

 低くうめいて、岳は俺の髪を掴んで小刻みに腰を前後させると、最後まで出そうとしているようだった。その匂いと味に、俺は嗚咽して体積が減らない膨張したソレが引き抜かれたとほぼ同時に、薄汚れた便所の床に吐いていた。

「ぅ、おえぇ…」

 吐き出した体液は白く濁っていて、口許と胸元、床にボタボタと零れ落ちて汚していった。

「あーあ、失礼だなぁ。まあ、いいか。別に飲んだからってどうなるってワケでもないし…」

 ゲホゲホッと酷く咽て便座の上で身体を縮こめて蹲る俺に、肩で息をしていた岳は前髪を掻き上げてそう言うと、言葉も終わらない間にヤツは俺を抱き寄せるようにして引っ繰り返したんだ!…つーのはつまり、便座を跨いでタンクの方を向くってカタチで…

「ぅあ!…ててて…」

 グイッと強引に腰を引かれて、俺は狭い個室の中で岳に尻を差し出すようなカタチでこけてしまった。いつ掃除したのかも判らない、少し黄ばんだタンクに縋りつくようにして抱きつきながら、俺は恐怖の色を隠せずにヤツを振り返っていた。 

「が、岳…」

「怖い?まあ、心配するなよ。痛いのは最初だけ、って言うだろ?案外、最後は自分から腰振ってねだるって言うしな」

 どこのAVビデオでそんな台詞を覚えたんだと頭を抱えたくなったけど、それよりも現実は目の前に押し迫っているワケで、岳の股間部に猛々しく反り返ってるソレは少しも硬度を失っていないし、ましてや膨張率も下がっていない。その気になれば、一気に貫くことだってできるだろう。

「岳、やめ…頼む、もうやめてくれ」

「やめる?」

 俺の素肌を確かめるようにシャツを捲り上げて腰を撫でていた岳は、獰猛そうな目付きで俺を見ると、グイッと覆い被さるようにして俺の耳元に唇を寄せてきた。熱く猛った灼熱の塊が、俺の唾液と先走りに濡れたままで尻の割れ目を撫で上げた。

「…ッ」

「やめるだと?あんたバカか?これから既成事実ってヤツを作って、あんたを縛り付けるんじゃないか。妊娠しても、ご愛嬌だな」

 そんな恐ろしいことを…俺は絶望的になって泣いてしまった。タンクに縋りつきながら、もう、恥も外聞もなく声を出して泣いてしまった。
 どうして、どうして岳はそんなに俺を追い詰めようとするんだろう。そんなに俺のことが…嫌いだったのか?だったらいっそ、殴って喧嘩でもしてくれたほうが今よりも何倍も救われるのに。こんなのは卑怯だ。

「お、俺を嫌いなら、嫌いって言ってくれよ。こんなのは嫌だ…うぅ…どうせ卒業していなくなるんだ…こんなことしなくたって…」

 しゃくりあげながら首を振る俺に、岳は、なぜか耳元に唇を寄せたままで動こうとしなかった。俺は怯えていたし、岳のちょっとした動きにだってビクビクしていたから、その些細な変化に気付かなかったんだ。小刻みに震えて、岳が怒り出したんじゃないかって、それに対してもビクついていた。でも。

「嫌いだって!?…ったく、救いようのないバカだな、あんたは。さっきから何を聞いてるワケ?なんだってこのオレが嫌いなあんたのケツマンとマン●に執着してるってんだよ。オレはそんな変態じゃないって」

 小刻みに震えていたのは怒ってるってワケではなくて、笑っていたんだ。岳は声を立てて笑うと、ズボンを膝まで下ろされて無防備に尻を晒す俺に圧し掛かりながら、前に萎えたままでぶら下がっている陰茎を握ってきた。

「ひぁ…ッ!?」

 ビクッとして身体を竦ませると、岳はクスクスと笑いながら握った陰茎を丹念に扱き出して、微かに潤んでいる女性器に唐突に熱く猛った陰茎を擦り付けてきた。

「ホントに女があるんだな。話だけだと信じられなかったけど…あんた、男性器の方の機能は殆どしてなくて、無精子なんだって?だから、オナッても自分の精液で受精することはないんだってな。てことは、ココを弄りながら女を弄ったりしてたワケ?」

 クックッ…と咽喉で笑いながら、岳は俺の陰茎を弄びながら女性器に這わせた雄をグニッと押し付けてきた。しっとりと濡れていた女の部分は、その刺激で岳を受け入れようと愛液を漏らして雄を包み込んでいる。そんな浅ましい行為に、正直慣れていない俺は、それが恥ずかしくて恥ずかしくて唇を噛み締めて両目を閉じているしかなかった。

「ん?けっこう、濡れてないか?」

 そう言われて、俺は多分、耳まで赤くなっていたと思う。
 そう、俺は濡れている。だって、俺は別に、岳を嫌いじゃないから…アイツが男らしく笑うと、俺の女の部分はそれに惹かれていた。男の俺が岳を可愛い弟だって認識していても、女の俺が岳を1人の男だと認めてしまっていたら、女の部分は岳を受け入れようとしてもおかしくはないだろう。
 でも!俺はこの18年間、男として立派に生きてきたんだ!たとえ半身が認めたとしても、半身の俺がそれを否定したら終了なんだ。俺は岳には、岳にだけは抱かれたくない!

「男と女か…両方あるってのはどんな気分なんだ?どっちの快感も味わえるワケなんだろ。羨ましいとは思わないけど、オレとしても得した気分にはなれるよな」

 冷たい台詞をズバリと言って、岳は俺をその気にさせようと亀頭の部分を揉み解すようにして尿道口に爪を立てると、ビクンッと身体を震わせて唇を噛み締める俺の、無防備になっていた尻に唐突に陰茎を突き入れてきたんだ!

「…ッ!!」

 声にならない悲鳴を上げて仰け反ると、岳のヤツも予想していなかった俺の反発に眉を寄せて顔を顰めているようだった。でも、その時の俺はそんなことにまで気を使っている余裕もなくて…つーか、あ、当たり前だ、そんな突然、なんの前触れもなく、ましてや潤ってもいない、本来出すべき器官に硬い灼熱の棍棒を捻じ込まれたんだ。俺じゃなくても苦痛の絶叫を上げただろうと思う。
 声は咽喉の奥に引っかかって奇妙な感じで拉げると、咽喉を潰した蛙みたいなうめき声しか出せなかった。全身にビッシリと嫌な汗が浮かび上がって、縋り付いていたタンクから指が滑って額を強かに強打してしまう。でも、その額で身体を支えていないと崩れ落ちてしまいそうで、括約筋は岳の陰茎を捻じ切るような力強さで縛り付けたみたいだった。

「…ッ!あんた、バカだろ?ちったぁ、緩めないと進めないよ」

 バカはお前だ!
 ゆ、緩められたらとっくの昔にそうしてるッ!!

「が…岳、お願いだから、ちょ、抜いて…くれ…じゃないと、し、死ぬ…」

 ガクガクッと身体を震わせて全身で拒絶している俺に、岳のヤツは諦めたのか、仕方なく身体を引いて悲鳴を上げる肛門からずるりと陰茎を引き抜いてくれた。微かにてろ…っと生温かい何かが内股を伝って、肛門が切れたんだと思った。
 肩で息をしていると、不意に冷たい何かがヌトッと尾てい骨の付け根に落ちて、それは滑るようにして収縮を繰り返す熱を持った蕾に流れていくと、微かにその部分を疼かせた。

「!?」

 ギョッとしたら、岳の少し太くて、でもピアノを弾いたりと繊細な動きを見せる人差し指が滑りに助けられるようにして蕾を穿って入り込んできた。

「やっぱり潤滑剤が必要なんだな。女の場合は自分で潤ってくれるけど、尻は潤わねーもんな」

 グチュグチュッと人差し指をクの字に曲げて、抉じ開けようとするように縦横無尽に動かされると、切れた部分が沁みて疼いても岳はやめてくれようとしなかった。萎えた陰茎にも指先が這わされて、気付いたら俺は、岳が施してくる陰茎の刺激と後孔を穿つ指先が触れる前立腺の辺りへの刺激にビクンッと身体を震わせていた。

「……ぅ、…ッ、……ぁ」

 捏ね繰り回されて、いいように弄られた陰茎は体温よりも幾分か高い熱を帯びていて、腰の動きを岳の指の動きにあわせて揺らめかせていることに、我に返った瞬間にそれに気付くと恥ずかしくて俯いてしまった。岳はその姿が可笑しかったのか、咽喉の奥でくっくっ…と、あのちょっと特徴のある笑い方をして、さらに指を奥に進めて前立腺の辺りの、こりっとしたシコリのような部分を指先の腹で押し上げた。そうしたら、陰茎が固さを増して、俺は小さく喘いで首を左右に振っていた。
 ネトッとしていたモノは岳の指が腸壁を擦る摩擦に温もって潤いを増したのか、何時の間にか後孔には指が2本に増えて押し開くような動きをしても、先ほどのような痛みは起こらなかった。それどころか、ねだるように絡み付いて収縮を繰り返すと、指を突き入れる動きにあわせるようにして尻が微かに浮いていた。

「イイ感じになったきたみたいだな。まあ、後ろぐらいは血を見ないですむようにしないとね」

 『血』と聞いてギクッとしたけど、首を捻って見た先には、少し腫れて熱を持つ蕾から引き抜いた指で自らの陰茎を扱いている岳の姿があって、俺はそれを挿れられるのかと観念して俯いた。尿道口に人差し指の爪を食い込ませるようにして、親指と中指の腹で亀頭の括れを揉み解すようにされてしまうと、それまで考えていたことが真っ白になっちまうような快感に脳みそがスパークしそうになる。
 岳は、最初から俺を犯そうと思ってこの人気もない公園に呼び出したのか…とか、ローションまでご丁寧に用意していたってことは、話し合いなんか端から考えてもいなかったのか…とか、そんなどうでもいいことは、やっぱりどうでもいいことなのか、綺麗さっぱりと俺の脳みそから剥離されてしまった。
 わざとらしく陰茎の先で尻の割れ目を擦り上げた岳の仕種に、俺は唇を噛み締めて耐えていた。カリの部分が蕾の襞に引っ掛かったりして、奇妙な快感を呼び起こしては、俺の腰を淫らに揺らめかせて岳のヤツを喜ばせたりする。
 俺は…何がしたいんだろう?
 クソッ!こうなったらもう、早いところ突っ込んでくれたらいいのに。そうしたら岳も、それで2発目なワケだから、俺に飽いてアッチまでは犯したりしないかもしれない…
 そんな、浅はかな考え事をしている間に、陰茎がツプッ…と後孔に挿入された。

「…ッ、あッ!」

 でも、それはスムーズに挿入されたワケではなくて、一旦飲み込んだものの、亀頭の一番太い部分でちょっと引っ掛かって、岳は焦れたように腰を前後に揺するようにして小刻みに陰茎を前に押し進めたんだ。
 ハアハア…と、男2人分の荒い息が狭い個室に響き渡って、強烈なアンモニア臭に麻痺したおかげで匂いに気を取られない分、周囲の気配が凄く気になっていた。たった一つある小さな窓から覗く月が、そろそろ夜を迎えることをポッカリと浮かんで教えていた。
 こんな場所で、4歳も年下の、ましてや中学生で、それまで弟のようだと可愛がってきた幼馴染みに犯されるなんて夢にも思っていなかった。
 何時の間にか成長していた岳は、大きくて太い陰茎で、擦り上げるようにして排泄にしか使ったことのない後孔を貫いて少し息をついている。
 一番太い先端部分のカリ首を突っ込まれると、腸壁の抵抗に俺は低く呻いて、吐き気がして眉を寄せた。

「…ッあ、……ぁう!…ん、……ッ、が、……岳…」

 涙目で懇願するように振り返ろうとすると、岳はなぜか俺の首を掴んでタンクに押さえつけると、無理に腰を押し進めて、それまで弄んでいた陰茎から手を離すと圧し掛かるようにして俺の背中に上体を預けてきた。岳の下半身が俺の尻にぴたりと密着して、幾度か落ち着けるように腰を揺らめかした後、満足したようにその腕が首筋から離れていった。

「全部、入ったよ。凄いな、光太郎のケツマン。思った以上に熱くて…よく締まるし。泣き顔もサイコー」

 はあ…と息をついて、岳は少し引き抜いた陰茎をグイッと突き入れて俺を喘がせると、今度は満足したように笑ったんだ。

「気持ちいいんだろ?ホントのところは。嫌よ嫌よも好きのうち…か。ところでどお?バージン犯られるってのは。これが終わったらホントのロストバージンになるワケだけど、心の準備としてはOKってカンジ?」

 咥え込むことで必死の俺はそんな台詞に気を留めることもできなくて、岳の陰茎の先端がシコリの部分をグイッと押し上げる刺激に首を左右に振って、その奇妙で強烈な快感から逃げ出そうとして夢中でもがいていた。
 前立腺を集中的に攻撃するように抜き差しされて、のっぴきならないところまで追い詰められて、俺はバカみたいに開けっ放しの口許から唾液を垂れ流していた。そんな俺を、もう、何がなんでも満足しきっている岳のヤツは心ゆくまで視姦すると、不意に腸壁の弾力を楽しむ余裕も忘れたかのように激しい勢いで抜き差しを始めやがったんだ!

「…ん!……ぁ、…う、……ひぁ!…ぁ、……は、ぅあ!…ッ、……あぁ…」

 腫れぼったく熱を持った粘膜が擦れて快感を脳天に叩きつけると、前立腺を突き破るような突き上げに悲鳴のような声を上げる俺を押さえつけて、岳のヤツはグイグイッと腰を突き動かして快楽を追っているようだ。汚らしいタンクに何度目かのキスをしたとき、俺は我慢できずに喘ぎながらビクンッと身体を震わせていた。緊張したように身体を強張らせて、それから痙攣するように小刻みに身体を震わせながら俺が吐精すると、後孔がギュッと強張るように収縮して括約筋が岳を締め付けた。その締め付けを楽しむように腰を前後させていた岳は、それから勢いよく俺の体内に精液を吐き出したんだ。あまりの勢いを受け止めた俺がひくんっと身体を震わせて、ヒクヒクと後孔を収縮させると、岳はその余韻を味わうように小刻みに腰を動かしていたが腰骨を押し上げるようにして陰茎をずるりと引き抜いた。便座の上で脱力してタンクに凭れるように額を押し付けた俺の、ヒクついている後孔はまだ岳を咥え込んでいるつもりだったのか、暫く閉じることも忘れているようにとろ…っと体内に吐き出された白濁を便座の蓋に零していた。
 ハァハァ…と肩で息をして呼吸を整えていると、いきなり顎を掴むようにしてグイッと身体の向きを無理矢理変えられて、俺は痛みに眉を寄せて岳を見た。こんな狭い場所で無理はしてくれるな…と口を開きかけたら、頬にグイッと陰茎の先端を押し付けられてギョッとした。

「舐めて綺麗にしなよ。あんたのケツマンで汚れたんだよね。コレでマン●に突っ込んで病気とかになられたら困るし」

 ガツンッと脳天をハンマーか何かで殴られたぐらいの衝撃的な台詞に、俺は眩暈を覚えながら、それでも抵抗したところで頬を叩かれるだけだと学習していたから、震える瞼を閉じて岳の陰茎に唇を寄せたんだ。

「ふーん、素直だな。あんたもやっぱりその辺のこと心配してるってワケだ」

 クスクスと笑って、岳が素直な俺の頭を撫でながらそんなことを言うから、俺は今更ながらまた泣きたくなっていた。精液とか汚物とか、確かに汚れた陰茎に舌を伸ばして舐めて清める俺の姿が、この、チビの頃から可愛がってきた弟分にはどんな風に映っているんだろう?そんなことを考えていたら、涙が頬を伝い落ちていた。

「泣くほどムカツクって?怒ってもいいよ、いまさらだ。別に怖くもねーしな」

 頬に零れる涙を掬い取って、指先を濡らすソレを舐めながら、岳は凶悪なツラをして俺を見下ろしてきた。上目遣いに睨みつけながら、その胡乱な雰囲気を孕んだ双眸を見返してやると、狙った獲物は逃がさない、鋭い爪で引き裂いて、内臓を引き摺り出したら骨までしゃぶり尽くしてやる…野生の肉食獣のような獰猛さで、俺を震い上がらせた岳。俺はきっと、岳に負けるんじゃない。
 …『女である俺』に負けるんだ。
 諦めたように双眸を閉じると、達くまでは舐めさせる気はなかったのか、ある程度綺麗にしたら岳は自分から陰茎を引き抜いた。双眸を閉じていた俺はそれに気がつかなくて、口腔から抜け出した陰茎を追うように伸びた舌には唾液が名残のように糸を引いていた。

「えっちぃ顔しちゃって…ドキドキするね。可愛くってさ、滅茶苦茶にしたくなる。こう言うの、嗜虐心を煽るって言うんだぜ?光太郎は罪なヤツだよな」

 クスクスと、嬉しそうに笑う。
 俺は絶望したように岳を見上げた。
 相容れない俺たちは、食い違う思いに翻弄されて、きっと、冒してはいけない禁断の境界線を踏み越えてしまうんだろう。
 岳は、さてと…と呟いて、俺をまたしてもタンクの方に向けようとした。

「ちょ、待て、岳!」

 でも俺は、今度はそう簡単には言うことを聞いてやるもんかと、力の限りで抵抗しながら岳を睨みつけてやった。

「お前、ちょっと冷静になって考えてみろ!」

「オレはいつだって冷静だよ」

 シレッと言い切る岳に、その通りだけど、俺は必死で食い下がったんだ。

「お前はまだ中学生なんだぞ!?俺がに、…妊娠するってことは、お前は中学生で親父になるってことで…ああ!クソッ!責任とかそう言うことはどうでもいいんだ!…お前、まだ若いんだ。他にもっとイイ奴とか現れたら…」

「何、親父臭いこと言ってるワケ?光太郎以外はいらないって言ってるでしょーが」

 鼻先で笑って、岳は呆気に取られる俺を引き寄せて、唐突にキスしてきたんだ。

「んぅ!」

 舌先が触れ合うようなキスから、段々と深く唾液が交じり合う濃厚な口付けに変わって、キスなんて岳ほどには女とも付き合ったことのない俺は、ただ促されるままに舌を絡めているので精一杯だった。そのせいで、息をすることを忘れていたらしい。
 岳が言うように馬鹿な俺は肩で荒く息をしながら、酷く咽て、驚いた岳の肩口に額を押し付けながら酸欠の金魚か何かのようにパクパクと新鮮な空気を求めて口を開いていた。

「オレを心配する前に、自分の身の上を心配したらどうなんだ?高3…いや、もうすぐ社会人か。社会人1年生でもうママになるんだぜ」

 酸欠状態で縋るようにして抱きつく俺の頭に頬を摺り寄せながら、岳はニヤけた調子の声でそう言って、それから抱き起こすように俺の腰を浮かせたんだ。

「あ…ダメ…だッ!」

 ハッとした時には一瞬遅くて、その時を待ち侘びたように、絶倫野郎の岳の逸物は既に先走りを零しながら、ねっとりと愛液を漏らす女性器に陰茎の先端を押し付けてきたんだ。

「ナニがだめ?言ってる意味が判んないよ」

 クスッと笑って、さらに深い部分まで捻じ込もうとする岳の、その背中を思い切り叩いたり爪で引っ掻いたりしても眉を寄せるぐらいで別に怒ったりはせずに、そろそろと忍び込ませようとしていた。だがすぐにそれにも焦れて、無理矢理捻じ込み始めたから大変なのは俺だった。
 まだ女としては未熟らしいその器官は、突然の硬くてグロイ逸物の進入に悲鳴を上げて、受け入れようと努力するように愛液を溢れさせていた。粘るそれが潤滑剤になったのか、まだ入り口付近で右往左往している陰茎の進入を助け、そのくせ、進入を拒むように収縮を繰り返す器官は許しを請うように閉じようとして無理矢理抉じ開けられた。悲鳴が、咽喉の奥に引っかかって奇妙な呻き声しか出せなかった。

「…ひぐッ、……ぐぅ!……ぅ~ッ!!」

 痛烈な痛みに唇を噛み締めて、もう岳を殴るとか引っ掻くとか言う芸当はできなくなっていた俺は、息も絶え絶えにその苦痛をもたらす張本人である目の前の陵辱者に縋るように抱きつくしかなかったんだ。
 ただ、痛みを堪えるために立てた爪が、岳のシャツ越しの背中に鋭い痕を残したことを、後にヤツは、ちょっと嬉しそうにフフンッと胸を張ったりして喜んだ。
 だが現実は未熟な子宮に中学生にしては立派な陰茎をグイグイと押し込めるようにして突っ込んでくる岳の、その座位のような体位にそれでなくてもセックスをしたことのない俺の身体が悲鳴をあげる。

「……ッ!…ぅ、……あ、アァ……、や、嫌だ…ッ…い、痛えぇぇッ!!」

 やたらめたら突っ込んでは定位置を探していた岳は、不意に一瞬動きを止めて、それからさらに奥を目指すようにして嫌な汗でジットリと濡れている俺の身体を抱き締めながら、身体をもっと交じわらせようとでもするように密着させてきた。
 その瞬間、胎内の奥深い部分で何か、繊細で壊れてしまいそうな硝子細工が弾けたような、実際にはそんな音はしなかったかもしれないのに、奇妙な視覚を伴うような音が違和感として胎内に響いた気がしたんだ。
 岳の陰茎が突き破ったその辺りから、不意に溶岩か何かのような熱さを持った粘り気を帯びた液体が洩れ始めると、大切にしてきた何かが、儚い音を立てて崩れてしまったような…その奇妙な焦燥感に一瞬だけど痛みを忘れた俺は、岳から身体を離すようにして恐る恐る下腹部を見てしまった。

「…」

 内部から伝い落ちたその流れは、熱を持って俺の内股を濡らしていた。
 岳にもソレはすぐに判ったらしく、上気した頬に汗の雫を零しながら、軽い尻上がりな口笛を吹いて具合を確かめるように腰を揺らめかしやがったんだ。

「やっぱ処女だったな。破瓜の血なんてオレ、初めて見たよ。犯った女ってみんなヤリマンでさ、ガバガバなのね。でもさすが『近所のお兄さん』、なんでも教えてくれてありがとう」

 おどけたように言われて、でも、俺はそれに傷付いたんだろうか?それとも、失ってしまったものの重要さが、今更ながら圧し掛かってきて怖いだけなのか…ただ、無性に泣きたくて、泣いてしまっていた。

「なんだよ、泣くこたねーだろ?オレは、最高に気持ちいいのに…」

 お前が気持ちよくてもこっちは死ぬほど辛いんだ!
 それでなくてもケツを犯されたばっかりで、まだジーンと沁みるように痛んでるってのに、今度は女の方なんだぞ!?どうかしてるって叫びたいよ。
 しかも、辺りはアンモニア臭が漂う便所の個室だし、こんなところで純潔を失って、ここで身篭ってしまうだろう子供が真剣に可哀相な気になってきた。

「…が、岳…ッ、……願い…だから、…ッ、……う、…外に、……外に出してくれ…」

 嘆願だったと思う。
 コンドームでも付けてりゃ中出しされても諦めるしかないけど、今はダメだ。俺はきっと、女の遺伝子の方がなぜか発達しているから、強い意志を持っているこの並木岳の子供を残そうと腹に宿すだろう。そんなの、岳や俺が良くても、子供が可哀相だ。
 尻に放たれた白濁が、岳の動きに合わせるようにしてたらたらと垂れ落ちては真っ赤な鮮血と交じり合うようにして便座の蓋を汚していた。その体液がたまに岳の腿に飛んだりして、それがニチャニチャと厭らしい音を立てている。

「バーカ!ホント、なに考えてるんだよ?子供作ってるんでしょ?妊娠しなかったら意味ないじゃん」

「…バ!…ッ、……ああ!!…ぃ、…ヒィ!」

 オブラートで灼熱に焼かれた鉄を包み込んでいるような先端が、破瓜されたばかりの胎内を思うさま蹂躙するのは気持ちのいいもんじゃなくて、でも岳は恍惚とした顔をして俺の締まりを堪能しているようだった。
 それが悔しくて、俺は痛みに霞む目で岳の肩を見つけると、そこに口付けるようにして噛み付いてやった。

「…ッ!」

 俺の痛みはそんなモンじゃないんだぞ!もっと大事なモノを失って…ああ、子供を作るときってのは、女は大事なモノを失って、さらに大切なモノを手に入れるんだな。
 それは凄く荘厳で神秘的な行為のはずなのに…うう、俺ときたら、やっぱ両性具有という禁忌を冒している罪なのか、こんなところで無理矢理犯されてその大事なモノを失って、可哀相な子供を作ろうとしてるなんて…

「…ぁうッ!」

 激しい突きをくれられて、俺は悲鳴に近い声を上げていた。
 突き解すように腰を揺すって激しく動く岳の、その動きにはどうしても追いつけなくて…そのくせ、岳の尻上がりのふざけた口笛にビクッとしてギュッと閉じていた双眸を押し開いていた。

「なんだ、感じ出したんじゃん。気持ちよくなった?」

 そんなはずはない!
 叫びたくて、でも、岳と俺の腹の間で擦れている陰茎は確かに熱を持ってガチガチに筋だっている。よく見りゃ快感に先走りの雫まで零していて…精神的な場所で感じる女の部分はこんなに悲鳴を上げてるってのに、本能と直感で感じる男の部分は男を受け入れた女性器のヌメリにあわせるように屹立している。感じているのか?こんな状況下で!?
 …俺、確かマゾじゃないはずだけど…
 そんな馬鹿らしいことを考えながら痛みをやり過ごそうとする俺の陰茎を、岳が興味深そうに握りやがったから、ギクッとしてヤツの顔を見上げてしまった。
 上気して興奮している濡れた双眸の、匂うように雄を感じさせる岳の鋭い視線に射抜かれてビクつきながらも、俺は広げさせられた腿を必死で閉じようと今更ながら画策したがもう後の祭りだった。

「女を犯されながらチン●を弄られたら…どんな感じ?400字詰め原稿用紙2枚分ぐらいで説明してよ」

 興奮したように上ずる語尾に、半分以上嫌気がさして涙ぐんで岳を睨むと、ヤツは殊の外あっさりと『冗談だよ』と呟いて鼻先にキスしてきた。そのくせ、ちゃっかり掴んでいる陰茎には悪戯を嗾けてくる辺り…嫌なヤツだと思うよ。
 でも双方を弄られていると、さすがに頑固な女の部分も蕩けたように受け入れる方を選んだらしく、頭の中がボウッとしてきて、痛みよりも違う何かが生まれてきた。
 たぶん、快感だと思う。
 下腹部と性器が蕩けるように脳みそも崩れ始めて、思考回路もままならない。
 子供のこと、ちゃんと岳に説明しないと拙いってのに…俺は惚けたみたいに快楽を追うことに専念してしまった。…痛いのはもう、嫌なんだ。
 岳の背中に限界まで広げさせられた足を絡めて、首には両腕を回してしがみ付くように抱きつくと、岳は俺の身体を支えるようにして抱え直すと挿入を深めてきた。ゴツゴツした先端が胎内で擦れるような感触は痺れるような快感を呼び起こしたし、たまに忘れたように鮮烈な痛みが襲ってきて、それがまた俺を興奮させた。痛いし、気持ちがいい。
 泣きながら、もうどっちの感情に犯されてるのか判らなくなった。
 岳の荒い息に自分のソレが重なると、どこまでも深く落ちていくような気がして、俺は必死でしがみ付いていた。

「好きだよ…なんて、今更だな」

 呟くような岳の声がよく聞き取れなくて、俺は泣きながら首を左右に振って溜め息をつく。岳の陰茎が一瞬胎内で膨れ上がったような錯覚がして、詰めた息を吐き出すように白濁としているだろう体液が奔流のように注ぎ込まれたんだ。

「…ッ、……ぅあ、……ぁ、…い…ッ!」

 土石流かと思うような激しくて熱い流れが子宮を叩きつけ、その熱は俺にダイレクトな衝撃を与えるには充分だった。愛液と混ざり合ったソレが、とろり…っと岳と俺の素肌を汚して零れたとき、とんでもないことをしてしまったと重罪に後悔してしまった。
 岳が達くのとほぼ同時に俺も果てていたワケだから、まざまざと女性器を濡らして漏れる体液を感じることができてしまう。
 岳は荒く息をつきながら俺をギュッと抱き締めていたけど、便座に2人して腰掛けるように座ったままで互いに向きあっている格好だったからか、まだ繋がったままで余韻にヒクヒクしている自分の性器と収縮を時折繰り返す俺の女性器を見下ろして、何を思ったのか突然その部分に触りやがったんだ!

「…ッあ!」

「…すげ、マジで、スゲーよ。ここヒクヒクしてる。オレの咥えて、オレの精液を零しながら…胸も平らだけど思ったよりも柔らかいし。女なんだな、光太郎…」

 感動したように呟いて、クチュクチュと粘液を擦りつけるように女陰に塗り込める岳の指先を、俺は慌てて制しながら軽く睨んでやった。

「も、もうやめろよ!早く、早く抜いてくれ…」

「妊娠したかな?」

 不意にギクッとするようなことをサラッと呟いて、岳は抜く気がないように陰茎を具合よく収め直してから息をついて、ニッと底意地が悪そうな顔で笑って俺の顔を覗き込んできた。

「もう一発ぐらい犯っとかないと、まだ安心できねーんだけど…ま、光太郎がオレの嫁さんになるって約束するなら抜いてやってもいいよ」

「…お前が18になったら考えてやるよ。それまでは成長…ッん!」

 グリッと先端を動かされて、俺は突然襲ってきた快楽に怯えて慌てて岳にしがみ付いた。

「そんな答えを待ってるワケじゃないっての。男は18からしか結婚できない…なんて法律なんかクソ喰らえだ」

「…俺はお前のモノに…」

 何を言ってもダメなのかと諦めて、溜め息のように呟いたら…

「オレのモノに?」

 岳は期待にキラキラと双眸を輝かせて、ワクワクしているように俺の次の言葉を待っている。そう言うところが子供っぽくて…俺は好きなんだよ。

「なるつもりはない」

 断言すると、それまでキラキラしていた子供のような輝きは一瞬でナリを潜め、あの凶暴で獰猛そうな、俺を犯すために公衆便所に引き摺り込んだあの時の双眸に取って代わった目付きで覗き込んできたんだ。

「なんだと?」

「何をされたって、これから何度犯されてもお前のモノになる気はない、って言ったんだよ」

 キッパリ言い切ると、一瞬、躊躇うように眉を寄せて切なそうな表情をした岳は、それでもすぐに負けん気の強いあの凶悪な双眸をして俺の胎内から荒々しく陰茎を引き抜いて立ち上がった。
 狭い個室の便座に腰が抜けたようにへたり込んでいる俺を冷やかに見下ろしながら、軽く身繕いをする岳は鼻先でフンッと笑ったんだ。

「別にどうだっていいよ、そんなこと。結局、オレはあんたの初物を頂けたらそれでいいワケだし。股から血ぃ流してさ、いい格好じゃん。腰抜けてんだろ?帰れないならこのままココにいればいい。物好きが口コミで何人でも来てくれるよ」

 クスクスと残酷な子供の浮かべる悪魔みたいな笑いに、俺はゾッとした。
 そうだ、確かに岳の言うように俺は腰が抜けて暫く立ち上がれない、こんなところを物好きな変態が見れば犯されるかもしれない…口コミ、と言った岳の台詞は、そのままココに俺がいるってことをコイツが吹聴するって言ってるようなモンだ。

「が、岳…」

 それはやめてくれ、と伸ばしかけた手は軽く払われて、よろけたところをグイッと顎を掴まれて強引に上向かされてしまった。

「頑張って逃げ惑えよ」

 ククッと笑った岳に突き放すように突き飛ばされて、俺は馬鹿みたいに下半身丸出しでタンクにぶつかってしまう。そんな俺を一瞥しただけで、岳は何も言わずに鍵をかけないままで出て行ってしまった。
 ああ、どうしよう…
 岳だけなら、アイツの子供を妊娠したんだったら…俺がなんとかして育てる気にもなれる。でも、他のヤツは…嫌だ!絶対に嫌だ!!
 立ち上がって逃げ出そうにもやっぱり腰が抜けていて、へなへな…っと便座の蓋の上にへたり込んでしまった。ついでのように下腹部がズキッと痛んで、俺はボウッと霞む頭を左右に振ってアンモニア臭が漂う汚い便所の小さな窓から無情に輝きを落とす冷たい月を見上げていた。
 岳が好きだ。
 アイツが好きだ。
 …でも俺は、こんな俺は…
 岳と結婚なんてできるはずがない。
 誰かを好きになる場合、いつだって何某かの条件は必要になってくるわけで…
 その条件すらもクリアしていない俺が、前途ある岳を愛していいはずがない。
 いっそ殺されるなら、その方が楽かもしれないな…
 ずいぶんと待ち焦がれていた深い闇が訪れて、俺は何時の間にか意識を失っていた。

■ □ ■ □ ■

 ふと、温もりを感じて目が覚めた。
 誰かに犯される!…恐怖にビクッとして飛び起きたつもりだったけど、身体中が痛くて、気持ちしか起き上がれなかったようだ。
 ビクビクしながらよくよく辺りを見渡してみたら、薄暗いそこは見慣れた部屋で、ちょっと染みがある天井も見慣れた本棚も…ここ、俺の部屋だ。
 ホッとしたのも束の間で、ハッと我に返ってタオルケットの下にある自分の身形を見てパジャマ姿であることを確認すると、そこで漸く本当に詰めていた息を吐き出した。
 ゆ、夢だったのかな…?
 まさか、そんなはずはないと下半身の痛みが如実に物語っているし、俺自身、まだ幾分か胎内に残っている残滓を感じて吐き気がした。
 岳に犯された…その事実は救いようがない真実で。
 タオルケットをギュッと握り締めると涙が出そうになって、俺は唇を噛んでその感情を押し留めた。
 どこをどう歩いて帰ってきたのか、そんな俺の姿を見た母さんがどう思ったのか…考えればキリがないことだったけど、何もせずに鬱々と寝てるワケにもいかなくて、身体が落ち着くのを待って起き上がることにした。
 股間部に違和感があって、歩き方がぎこちない蟹股だったとしても気に留める気にもなれなくて、仕方なく階下に下りていくと、柱に掛かった時計を見たらまだ9時を回ったばかりで、それほど長く寝ていたわけではないと言うことが判った。リビングに行ったら父さんが新聞を読んでいて、母さんはお茶の用意をしていた。

「…っと」

 どう切り出したらいいんだろうと悩んでいたら、母さんがそんな俺に気付いて声をかけてくれたんだ。

「光太郎!…寝てなくて大丈夫?」

「ああ、目が覚めたのか。貧血だってな、大丈夫か?」

 新聞を読んでいた父さんもそんな俺に気付いたのか、気遣うように眉を寄せて新聞を片付けた。
 この人たちはこんな風に、両性具有という稀有な体質に生まれた俺を心配して、それから放っておいてくれた。恨んだりなんかしてないけど、たまに『ごめんね』と謝る母さんの涙はさすがにちょっと辛い。
 貧血?…と首を傾げながらも頷いた俺に、母さんはホッとしたように人数分のお茶の準備をしていそいそとソファーに腰掛けた。

「お隣の岳ちゃんがね、公園で貧血を起こしたからって言っておんぶして連れてきてくれたのよ。あの子、ちょっと見ない間に大きくなって男らしくなったわね」

 母さんが、弟分のように俺が岳を可愛がっているのを知っているから、ニコニコ笑って説明してくれた。でもその時の俺は、アイツの名前が出てきただけでもビクッとして身体を強張らせてしまったんだ。

「岳が…そう、それでアイツ、何か言ってた?」

 居心地が悪くて居住まいを正しながら、できるだけ気のない素振りで呟く俺に、母さんは父さんと目線を合わせて…拙い。この合図は、何か悪いことの前触れだ。俺が両性具有について尋ねたときも、この人たちは2人で目線を合わせて人生最大級の引導を渡してくれたんだ。
 ハラハラして、次の言葉を待っていたら…

「岳ちゃんがね」

 口火を切ったのは母さん。

「まだ中学生なのに…光太郎、あなた学校を卒業してから地方に就職するじゃない?」

「…ああ」

 掠れた声で頷いたら、もう一度困ったようにチラッと父さんに目線を送った母さんの言葉尻を受けて、今度は父さんが口を開いた。

「岳くんがね、お前について行きたいと言い出したんだよ。あちらのお父さんも近々再婚なさるそうだし、今度のように誰もいないような公園でお前が1人で倒れるのが心配なんだと言っていてね。何よりも、岳くんのお父さんも岳くんを1人にするよりは、お前に預けた方がいいと仰っているんだ」

 咽喉がカラカラに渇いて、俺は何度も舌で唇を濡らしながら、誰もいない公園に俺が1人でいたことよりも岳が俺について来ると言う話に重点を置く辺り、なんとなく両親の魂胆が見えたような気がした。
 両親も…そして岳の親父さんも、実は俺と岳をくっつけたいのかもしれない。
 1つ屋根の下にいれば、嫌でもいつか俺が両性具有だと岳のヤツが気付く…いや、知っていることを端から両親は知ってたんじゃないだろうか?それで、そうこうしてる間に俺たちがくっつけば、この人たちは一安心ってワケなんじゃないだろうか…そこまで考えて、俺は眩暈がした。
 結局、何も知らなくてボサッとしていたのは俺だけで、岳も岳の親父さんも両親も、端からこの計画を立てていたんだ。
 まさか岳が俺を犯したことまでは知らないだろう2人は、俺が就職で地方に行くと言ったとき、一度は困惑して反対したけれど、何時の間にか賛成してくれていた。それはきっと、あの小狡賢い岳が裏で手を回したんだろう。

『地方の方が、コウタロ兄ちゃんを手篭めにしやすい』とかなんとか、そこまで直球ではなかったにしろ、そんな感じの言葉で両親を誑かしたんだろう。
 俺は小さな溜め息をついて、薄いレースのカーテン越しに見える隣家の灯火を見つめていた。
 腹には受精した卵子が眠っているかもしれない…なんとか両親に内密で、父さんの知り合いが院長を務めている俺の主治医のいる病院に行って、先生に調べてもらわないと。
 悩み事は沢山あるし、このまま妊娠していれば地方への就職は断念せざるを得ないだろう。もし妊娠していなくても、地方に行けば岳がついてくる…嫌だと言っても、両親を味方につけたアイツは強い。
 にも関わらず、アイツが俺を抱いたのは…きっと、もし自分の父親の気が変わって、止められた時のことも想定していたんだろう。賢いアイツのことだから、離れた先で悪い虫が付く前に、自分の手で強烈な印象を、たとえば俺が岳を怖がって誰にも近寄らないようにするだとか…これには離れなくても充分な理由があるし、或いはセックスに恐怖を覚えるようにとか…そんな理由でアイツはアイツなりに中学生と言うハンデを消し去ろうとしていたのかもしれない。
 詳しいところまでは岳じゃないから判らないけど…1つ判ることと言えば、それは、岳が強い執念でもって絶対的に俺を手放さないと言うことだ。
 溜め息をついて、腹を擦った。
 心配そうに俺の様子を窺う両親の肩越しに見える隣家の灯火、まだ見ぬ未来を指し示す冷たい星のようなそれを、俺は下腹部に当てた手に力を込めながら暫く無言で見つめていた。

─END─

後編  -あなたのとりこ-

「うは~、ここが北条さんの家なんだ」

 嬉しそうに俺の後をついて来ていた虎丸は、ごっちゃごっちゃに散らかっている俺の部屋を見渡しながら、その人一人ぐらい平気で射殺せるんじゃないかと思う鋭い双眸をキラキラさせて室内を見渡してやがる。

「散らかってるからな。座れるようにそこらヘン片付けとけよ」

「あ、うん。判った」

 壁に掛けてあるエプロンを引っ手繰りながら指示すると、虎丸はハッとしたようにして急いでしゃがみ込むとテキパキと片付けを始めたんだ。
 コイツはなんか、こう言うところが敏捷なんだよなぁ。
 ヤレヤレと溜め息をついて、俺は狭いキッチンに入ると適当に夕食の準備を始めたんだ。
 今夜は何を食うかなぁ…そーだ、昨日の残りがあったな。
 ブツブツと献立を考えながら冷蔵庫から卵やら何やら、材料を取り出して下準備に入る頃、ふと、視線を感じてキッチンの入り口を振り返って思わずへたり込みそうになっちまった。

「…虎丸。何してんだ?」

「お!俺の名前を呼んでくれた♪えっへっへー、片付け済んだから手伝おうと思ってさぁ」

 ニコッと笑って見上げてくる虎丸は、どこをどう見たら手伝う体勢なんだと聞き返したいぐらい、しゃがみ込んだ姿勢で壁の向こうからジーッと見てやがったんだ。
 何を考えているんだか…
 溜め息を吐くと、虎丸はヨッと立ち上がって腰を叩きながら俺の傍までいそいそと寄って来た。

「なになに?今夜は何を作るんだ??」

「そーだなー、麻婆豆腐と昨日の残りとサラダでどうだ?」

「うっそ!マジ、うまそー♪」

 嬉しそうに虎丸が笑うと、それに応えるように腹もグーと返事をする。
 見た感じ、24、5歳といったところだが、言動や仕種は子供っぽさが抜け切れていないのか、どこか憎めないところがある。その並のヤンゾーなら裸足で逃げ出すような、凶悪な双眸さえなければどこかで立派なサラリーマンでもやれそうなのに…ニートっつーのもなぁ。
 そうの上、オマケにホモってのもあるから、コイツがこの先、明るい未来を歩めるのかどうか不安で仕方ない。

「…手伝うんじゃないのか?」

 俺がフライパンを片手にやれやれと笑ったら、虎丸はちょっと頬を赤くして、それからはにかむように笑ったんだ。

「うん、手伝うよ」

 鼻歌交じりで豆腐に包丁を入れる虎丸は、楽しそうに料理をしながらまるで大型犬が嬉しくって仕方がないと言いたげに転げまわるようなイメージすら浮いてくるほど、ご機嫌な様子だった。
 包丁で豆腐を切りながら嬉しそうに俺に擦り寄ってくる虎丸の、そのでかい図体を片手で押し遣りながら邪険にあしらう俺のことなんか、今の虎丸にはなんのダメージにもなっていないようだ。

「危ねーな、近寄るな」

「北条さん、冷たいなぁ。こうしてると俺たち、まるで新婚の夫婦みたいだね♪ぜってー、北条さんには裸エプロンしてもらうんだ」

「ブホッ!」

 思わず咳き込んでしまってシンクに片手を付いた俺を、慌てたように虎丸が覗き込んできやがるから、俺は思わずフライパンでその頭を勝ち割ってやろうかと思った。

「なな、何を突然お前は…」

「ええー?だってさっきもさ、こっち見ろこっち見ろ~!ってテレパシー送ったら、北条さん、ちゃんと見てくれたじゃないか。俺たちはもう、相思相愛なんだよ。これはもう、結婚するしかないね♪」

 咳き込む俺の背中を擦りながら、虎丸のヤツは事も無げに平然とそんなことを言いやがるから、開いた口が塞がらない。コイツはいったい、どんな教育を受けてきたんだ。

「…はいはい、もう判ったからこれ持ってあっちに行ってろ」

 レタスを手で千切って、プチトマトを乗っけただけのいたってシンプルなサラダらしきものを手渡しながら追い払うと、素直に受け取った虎丸はそれをジーッと見た後に笑って首を傾げた。

「ツナ缶ない?俺、シーチキン大好きなんだ」

「シーチキン?そう言えば買い置きがあったな…」

 屈み込んでシンク下の扉を開くと、ストックしておいたはずのツナ缶を探してみた。
 確か、この辺に置いていたはずなんだが…

「…北条さんて優しいよね」

「んー?」

 ふと、ポツリと呟いた虎丸の、それまでとは違った雰囲気の声色に俺は気付けなくて、バカみたいに無邪気に喜んでいる犬のようなヤツの為にツナ缶探しに没頭していた。
 それが、いけなかったのか。

「素性も知らない俺をさ、家の中に平気で上げるもんな」

「何言ってんだ。毎日毎日、コンビニに押しかけてきちゃ好きだ好きだ言いやがって!常連さんの間でお前を知らないヤツなんていやしねーよ」

「そっか…へへ、嬉しいな」

 ワントーン落ちている声が少し震えていることに、その時になって漸く気付いた俺が振り返ろうとした時だった。不意に、覆い被さるようにして虎丸が背後から抱き付いてきたんだ。

「北条さんさ、絶対信じてないよね?俺がこんなに、毎晩眠れないほどあなたを愛してるってこと」

「お前なー…ッ」

 ツナ缶探してやってるのに何を言い出すんだと言い掛けたその言葉は、虎丸が首筋に口付けたことで途切れてしまった。
 首筋に口付けながら器用に背後から回した手でシャツのボタンを外そうとする虎丸に、顔を茹でタコよりも真っ赤にした俺は慌てて振り解こうとしたが…なぜか、腕に力が入らない。
 これじゃあ、自慢の柔道の腕前もみせられないじゃないか…
 そんなどうでもいいことを考えているうちに、虎丸の指先はどんどん有り得ない場所まで潜り込んでこようとして、とうとう俺は顔を真っ赤にしたままで言葉で抵抗する他に手段がなくなってしまった。

「や、やめんか!このバカが、俺は男だって何度も言ってるだろうがッ」

「知ってるよ、ずっと見てたし。北条さんは全く気付いてないみたいだったけど、俺、ちゃんとずっと見てたんだ」

「…ッ」

 背後から被さるようにして俺を抱き締めてくる虎丸の体温は、シャツを通していてもダイレクトにその熱さを伝えてくるから、その時になって漸く俺は、虎丸が強ち嘘は言っていないんじゃないかと思うようになっていた。
 恋や愛だなんて、厄介だとかなんだとか、まるで硬派でも気取るように嘯いて過ごしてきたこの28年間、本当は恋だ愛だに怯えていたのかもしれない。
 こんな風に必死にしがみ付くようにして、縋るように愛を囁く虎丸は、その子供染みた仕種とは裏腹に、素直な分だけ大人なのかもしれないなぁ。

「俺、初めて北条さんが叱ってくれた時、頭の上で鐘が鳴ったみたいな、ハンマーで頭を打ん殴られたようなショックを受けてさ。最初はうるせー、このジジーとか思ったんだけど、北条さん凄い必死でさ。こんな猛毒を吸って何が楽しいんだって、自分の身体をもっと大事にしろって…母ちゃんが死んでから、もうずっと誰も言ってくれなかった言葉を、北条さんはすらすら言っちゃったんだよね。その時から俺、もうずっと北条さんしか見ていないんだ」

 一気に捲くし立てた虎丸は、それから震えるような溜め息を一つ零して、真っ赤になって口をパクパクさせていることしかできない俺をそのままギュッと抱き締めてきた。まるで、長いこと欲しくて、やっと手に入れた何か、凄く愛しいものでも抱き締めているような、そんな優しい仕種だった。

「ねえ、北条さん。どうしたら、信じてくれるのかなぁ?俺、どうしたら北条さんと結婚できるのかな」

 震えるように呟いて、この図体のでかいきかん気の強そうなガキは、抑え難い衝動に突き動かされたようにしてそのまま俺の首筋に顔を埋めるようにして口付けてきたんだ!

「…ッ、め、ろ…そんなことして…ッぉまえ!」

 半分以上脱がしたシャツの開いた部分から指先を滑らせて、何もない平らなだけの胸元を辿るようにして触っていたが、ふと、胸にある突起物に気付いたのか、その部分をキュッと抓んできたんだ。

「ッ」

 舐めるように首筋に口付けられるその感触は、長いこと交渉のなかった身体には、ダイレクトな刺激を与えるには充分だった。
 ゾクゾクする背筋を持て余して、声すらも出せずに唇を噛み締めて俯くと、少し息を弾ませた虎丸が耳朶を噛むようにしてポツリと囁いてきた。

「北条さん。今、すげー…エロい顔してるよ」

「!」

 顔を真っ赤にした俺が、いったいどんな顔をしてるかなんてそんなこたどうでもいいんだ。この絶体絶命的なピンチをどう乗り切るかが今後の課題だと思う。
 空いている方の手を滑らせて、ジーンズのベルトを器用に外した虎丸は、そのままチャックまで下げて手を突っ込んでこようとするから、こればっかりは抵抗しないと本当に貞操の危機だぞ。

「や、めろ。やめないと…お前を嫌いになるからな!」

「!」

 不意にビクッとして、虎丸は唐突に悪戯を仕掛けていた手をバッと離したんだ。
 一瞬、こっちがポカンッとなるほどの素早さで、慌てたように身体を離した虎丸は、そのくせ、今にも泣き出しそうな、捨てられた犬のような目付きをして俺をジッと見詰めてきた。

「イヤだ、俺を嫌いにならないでよ」

 震える声で呟く虎丸に、狭いキッチンだってのに、なんで男二人でゴチャゴチャしてなきゃいけないんだと内心で吐き捨てながら俺は、体勢を整えながら振り返ったんだ。

「…お前ってヤツは」

「嫌いにならないでよ!俺、北条さんに嫌われたらどうしていいか判らなくなる…ッ」

 俺の言葉を遮るようにして、虎丸は片手で顔を覆いながら壮絶な目付きをしてキッチンの床を睨みつけたんだ。爆発しそうな感情の波を、いったいどうやって押し殺したらいいのか判らない、まるで駄々を捏ねる子供のような態度が、俺の内に凝り固まっている世間だとか常識だとか言った厄介なものを解きほぐしたのかもしれない。
 こんなさらな感情を剥き出しにするようなヤツが、冗談や遊びなんかで男を、それも年上のおっさんを口説こうなんか思ったりしないんだろう。恋愛ごとの駆け引きもよく判らない、ただただ、真摯で一途な思いだけを判ってくれとぶつけてくる。
 俺が女だったら…そんな馬鹿げた思いが一瞬脳裏に閃いたが、俺はそれを溜め息と一緒に吐き出していた。

「俺なんかを、北条さんは家まで上げてくれて…コンビニでも、ちゃんと婚約者だって言ってくれた。俺のこと、突き放そうとしたら絶対できるのに、でも、北条さんは優しいから付き合ってくれてるんだよね?俺、そう言うことちゃんと判ってたから、このささやかな幸せだけでいいって思ってた。でも、やっぱりダメなんだ!俺、俺は…やっぱりちゃんと、北条さんに好きになってもらいたい」

 努力するから…と、今にも人を食い殺しそうな強烈な双眸を持つ虎丸は、まるで怯えた猫のように身体を丸めて、そのくせ、縋るように俺を見上げてくる。
 そんな目付き、するもんじゃねぇ。
 お前はもっと、自信に溢れたように堂々と笑ってろ。
 それが一番、お前らしい姿じゃないか。
 俺が好きになった虎丸は、そんな死にそうな目付きをしたひ弱な猛獣じゃないだろう?
 気付いていなかっただと?
 毎日、コンビニの前で煙草をふかしながら、何をするでもなくボーッと突っ立てたお前に、この俺が気付かなかったとでも思ってるのか?
 そしてお前の、あの眼差し…

「…やれやれ」

「北条さん!俺は…」

 ビクッとして、俺の口を開かせないようにでもしようとしているのか、虎丸は必死にタイミングを計って口を開いているようだ。
 バカなヤツだ、それじゃあ何も聞けないじゃないか。

「俺を、薔薇色の世界に連れてってくれるんじゃなかったのか?」

「!…北条さん?」

 吃驚したように目を見開いた虎丸は、それでも不安そうに首を傾げてきた。

 何を言い出したんだろう?これは自分に都合のいい、ただの幻聴なのだろうか…とでも思ってるのか、虎丸は不安と微かな期待の入り混じる不思議な目付きをしてジッと見詰めてきた。
 この強い眼差しを、俺が忘れられるわけがない。
 気付いていたからこそ俺は、どんな時でもお前の視線だけは判っていたんだ。

「ったく、物好きもいいところだ。こんなおっさんなんか好きにならなくても、可愛い女の子はたくさんいるのに」

「女なんていらないよ。俺は、北条さんが傍にいてくれたらそれでいいんだ…それだけで良かったはずなのに、俺は」

 愛されたいと願ってしまった。
 言葉にならない思いを溜め息と一緒に呟いた虎丸は、キュッと唇を噛み締めて俺を見詰め続けている。そんな強い激情を、俺はいったい、何時頃から忘れてしまったんだろう。
 こんな風に震えるほど誰かを、俺は愛したことがあっただろうか…

「いいか、虎丸。結婚て言うのはな、お互いの心が寄り添いあって初めて成立するもんなんだぞ」

「…わ、判ってるよ」

 俺の言葉を否定だと受け止めたのか、虎丸は切なそうに俯いた。
 お前は、見かけ以上にバカなヤツなんだな。

「だから、初めはお付き合いするんだろ?」

「え?」

「それからだ!まあ、婚約して結婚するんだろ?まずは付き合ってみないとな」

「北条さん…」

 虎丸は、その時になって漸く、俺が何を言いたいのか気付いたようだった。
 渾身の力を込めて言ったんだぞ?
 さあ、あの自信に満ちたお前らしい顔をして笑うんだ。

「俺と付き合ってくれるの?」

「…そう言わなかったか?」

 俺は…虎丸は何かを呟きそうになって、それから、不意にこれ以上はない極上の笑顔をみせた。
 俺の好きな、あの自信に満ち溢れた男らしい笑顔だ。

「じゃあさぁ、北条さん!キスしていい?」

「グッ!…直球だな、おい」

「ずっと、我慢してたんだぜ。俺、北条さんとキスしたい」

「…ダメだ、っつってもするんだろ?」

 ポリポリと、キッチンの狭苦しい床に腰を下ろしたままで照れ隠しに頭を掻く俺に、虎丸はワクワクしたような顔をして同じように跪いままで頷いた。

「うん、だって俺」

 そうして身を乗り出してきた虎丸の、思った以上に柔らかい唇が少しかさついた俺の口許に押し付けられてくる。

「北条さんの恋人だから」

 嬉しそうに笑って虎丸は、それから深い深い口付けをしてきたんだ。

 煙草を取り上げたあの時から、恋に落ちたのはお前だけじゃないんだぜ。
 とっくの昔に俺はお前の、その眼差しのとりこだったのさ。
 そんなこと、お前には教えてやらないけどな。

おまけ。

  

 後日。

「北条さん!俺、やっぱり正規でバイトするよ。募集してる?」

「へ?ああ、いいけど。ニートはやめたのか?」

 少し伸びてきた前髪を、100円均一で売ってるようなファンシーなゴムで留めた虎丸は、はぁ?とでも言いたそうな顔付きをして首を傾げた。

「俺、高校生だよ。バリバリの17歳!宜しくね♪はい、履歴書」

「!!」

 手渡された履歴書の生年月日を見て俺は、11歳も年下の恋人からニコニコ笑いながら頬にキスされるのだった。
 ああ、それで。
 動作も敏捷なら、仕種も子供っぽかったわけだ。
 目の前がグルグルする。

「あれ?北条さん??大丈夫か!?」

 くらりと眩暈がしたことは言うまでもない。

─END─

前編  -あなたのとりこ-

 一目惚れって言うのは、きっと本当にあるんだと思う。
 たとえそれに全く縁のない俺だったとしても、ある日突然、まるで落雷するように襲い掛かってくるに違いない。
 恋だ愛だってのは、そんな風に凶暴で、ハッキリ言って迷惑以外のなにものでもない。
 いわば交通事故のように偶発的に、1人の人間と1人の人間がすれ違い様に思い切りぶつかるような、そんな確率なのかもしれないが…俺にはよく、判らない。
 ただ、迷惑で厄介なものだと言うこと以外は。

「…は?」

 思わず呆気に取られて聞き返すと、ソイツは小生意気そうな顔付きをしてニコッと笑った。
 笑えば少し子供っぽくなる双眸が、ともすればチャーミングなんて言うのなら、冗談じゃねぇ。
 剃った眉は細く、その下で煌く強い意思を秘めていそうな釣り上がり気味の双眸はいつでも喧嘩を売ってるような鋭さで、外見も見事な今時のヤンゾーってヤツだ。
 大方、ニートだとかしてるんだろう、俺より2、3コぐらい年は下なんだろうがな。
 こんなヤツとは一秒だって一緒にいたくはないのに、なんだって言うんだ。

「なんだと?」

 難聴でも起こしたか、はたまた、ただの空耳だったのか…どちらにせよ、耳に届いた言葉がするりと抜けて、鼓膜までは届かなかった。
 困惑して顎を掻いていると、ソイツはまた、勝気な双眸を細めるようにして笑いやがった。

「だから、俺のお嫁さんになってよ」

「…黙れ」

「はー?なんだと聞いてみたり黙れって言ってみたり、北条さんってばヘンな人だな」

 クスクスと、そのくせ全然気にした風でもないくせに、ソイツは呆れたように笑いながらカチリと音を響かせて、煙草に火をつけた。
 空に吸い込まれるようにして、猛毒の紫煙が立ち昇るのを目線で追うソイツの手から、気付いたら俺は煙草を?ぎ取っていた。
 こんなの吸いやがって!金と健康の無駄遣いだ!…ハッ、そうだった、それどころじゃなかった。
 親の仇でもあるように靴底で煙草を踏み消しながら、唐突に俺は自分の置かれている現状に気付いた。

「…ふふ、北条さんらしいや。煙草、相変わらず嫌いなんだ」

 ゆったりと、人影のない路地裏のビルの壁に凭れかかりながら、ソイツは鼻先で笑うように呟いて俺をジッと見るんだ。

「まあ、騙されたと思って俺と付き合ってみなよ」

 ふざけるなと食って掛かろうとしたその矢先、ソイツは凭れていた上半身を起こすなり、グッと下から俺の顔を覗きこんでニッと笑ったんだ。

「薔薇色の世界に連れてってやるからさ」

 ソイツはまるで小悪魔みたいにニヤッと笑ったが、どんな悪い夢なんだと頬を抓りたくなった俺の行動が言葉通りに伴わないのは、その射竦めるような双眸に、もしかしたら…完全に囚われていたからなのかもしれない。
 全く、冗談じゃないんだが。

◆ ◇ ◆ ◇ ◆

「北条さーん!」

 それから毎日のようにソイツは、俺のバイト先に現れては元気よく名前を連呼してくれた。

「ねね、まだバイト上がらないの?」

 ウキウキしたようにしゃがみ込んでレジに頬杖をつきながら覗き込んでくるソイツは、初めて声をかけて来たときの様に、クソ生意気な顔をして笑いやがるから…殴りたくなっても仕方ないよな。

「…あのな、俺はここの雇われ店長なんだよ。上がるのは夜だ」

「へー、夜か。んじゃ、それまでお店手伝ってやるよ」

 ヨッと、まるでおっさんのような掛け声をわざとらしく上げて、ヤツは敏速に立ち上がりながら伸びをして笑うんだ。

「はぁ!?そんなの構わん!いいから、帰れ」

「酷いなー…どうせ、バイトもいないんでしょ?独りじゃつまんねーでしょうし、別に俺、バイト料なんていらないよ」

「そんな問題じゃないだろ?…って、おい!」

 どんな問題だよ、とでも言いたそうに笑ったソイツは、そのくせ俺の言葉など聞いちゃいないんだな。
 勝手にレジの奥に続く部屋に入って行くなり、制服を引っ掴んで戻ってきた。
 その速さと言ったら…追いつけない俺のこの伸ばした手をどうすりゃいいんだ。

「よーし、じゃあ店長さん?まずは店内でも掃除しましょーかね?」

「…なんで、お前」

「なんでって…愛する婚約者が頑張ってるのに、夫になる者がボーッと見てるわけにいかないじゃん」

 思わず、ガックリと項垂れてしまいそうになった俺は、それでも只管落ち込んでいく思考を引き戻しながら、キョトンッとしているソイツの肩を掴んで溜め息を吐いた。

「…あのな、ちょっと頭に春が来てるのはよく判る。でも、これだけは言っておいてやるよ。俺は男でお前も男だ。男同士で結婚なんかできるわけないだろ?学校で習ってこなかったのか??」

「…情報遅れてんね!北条さん。外国には男同士でも結婚できる州があるんだぜ?大丈夫、ちゃんと俺、リサーチ済みだし。なんだ、北条さん。もしかしてそんなこと心配してたの?可愛いなぁ~」

 ニコニコと嬉しそうに笑うソイツの頭を、蒼褪めたままでニッコリ笑いながら打ん殴れたら少しは溜飲も下がるんだろうけど。仕方なく俺は、渇いた笑い声を上げながらソイツの肩をポンポンと叩いてやったのだ。

「は、はははー…そーかそーか、まあそんなこたどうでもいいんだがな。先月、煙草を吸ってるのを見咎めて勝手に取り上げたのは謝る。大方、それが原因なんだろ?」

 この嫌がらせは。

「はー?ああ、うん。あの時かな~、一目惚れしたのは♪」

「ブホッ!」

 思わず吐きそうになって、咽た俺はよろけながらキャッシャーの向こうにある椅子に腰を下ろした。

「…あのなぁ、冗談も大概にしろよ?お前、見た目なかなか男前っつーのにな、そんなバカみたいな冗談ばっか言ってると女の子にモテないぞ」

「はぁ?別に女にモテなくても関係ないし?だって俺、北条さんだけ!見ててくれたら満足だもん♪」

 ニコニコ笑いながらそんなふざけたことを抜かすソイツに、ズキズキするこめかみを押さえながら思い切り溜め息を吐いちまった。

「お前なぁ、だいたいどこで俺の名前を知ったんだ?」

 俺のことを嫁にすると言ってきかないそのふざけた野郎は、一瞬パチクリと目を見開いてから、キョトンッとしたままで俺の胸元を指差したんだ。

「ネームプレート。北条ってちゃんと書いてるじゃん」

「…あ」

 自分の胸元を見て、ああ、これだったのかと一人納得する俺を見ながら、ソイツは不意にケタケタと笑い出したんだ。

「やっぱ、すげーや。北条さんは♪」

「あぁ?」

 ムッとして眉間に皺を寄せて見上げると、唐突にソイツは抱き付いてきやがったんだ!

「なな、何を…ッ!?」

「無敵の可愛いさだもんな♪だから俺、もうメロメロなんだよ」

 嬉しそうに頬にチュッチュッとキスしてきやがるソイツの態度に、一瞬凍りついてしまった俺は愕然としたままで動けずにいたが、唐突にハッと我に返って慌ててソイツの身体を突き飛ばそうとして…ギクッとした。
 そう、思った以上にガッシリとした身体つきのソイツは、柔な外見とは裏腹に随分と身体を鍛えているようだ。学生時代に柔道で腕を鳴らしたこの俺が、さっさと払い除けることもできないんだ。 

「あ、そーか。北条さん、俺の名前知らないんだっけ?あんまり可愛くて大好きになっちゃったもんだから、一番大事なこと忘れてた。迂闊だな、俺!」

 ギュッと俺の首に抱きついたままでハタと自分の失態に気付いたとでも言うように呟いたソイツに、俺は蒼褪めたままで頬を引き攣らせながら見た目より逞しいその背中をポンポンッと叩いてやった。

「はははー、そうだったな。名前も知らなかった!ところで、俺は仕事に戻りたいんだが…」

「もー!そう言う大事なことは、北条さんもちゃんと言ってくれよなー」

 身体を起こして顔を覗き込んでくるソイツは、上目遣いに甘えるような仕種をする。
 瞬間、ドキンッと胸が高鳴ったのはたぶん気のせいだ。
 ドキドキするのは悪寒に違いない。
 顔が暑いのは熱が出たんだろう。
 そうだ、これは風邪なんだ!!
 …早く帰って寝よう。

「俺は南條虎丸!北と南で何か縁を感じるよね。これはもう、運命なんだよ♪」

 ニコ~ッとまるでガキみたいに笑ってそんなワケの判らんことを言いながら、虎丸と名乗ったソイツはまたしてもギューッと抱きついて来た。
 動悸も早いし、頭も暑い。
 こりゃ、いよいよ風邪だなと思いながら俺は、いつまでもコイツに抱き付かれていて、もしお客でも来たら事だなと思うとヤレヤレと溜め息を吐きながら背中を軽く叩いたんだ。

「…判った、なんか良く判らんが、判った。取り敢えず、仕事に戻らせてくれ」

「あ!そーだね、愛する婚約者の仕事の邪魔をしちゃいけないね。俺、手伝うとか言いながらごめん」

 エヘヘヘッと笑いながら身体を起こした虎丸は、その反動を利用するようにして俺の腕を掴むとグイッと引っ張って引き起こしやがったんだ。余計なお世話なんだが、立ち上がる気力もなかった俺には正直少し、有り難かった。
 そうして俺は、精神的にヘトヘトになりながら仕事に取り掛かったのだが、箒を持って軽く掃きながら店内をウロウロしている虎丸と、事あるごとに目が合うたびにドキドキしてしまって仕事が手につかない。なんなんだ、これは!?
 ふと、虎丸の姿が見えなくなったと思って店内を見渡して、防犯用の鏡を見たときだった。

「!」

 座り込んだままこちらをジーッと見ているキツイ双眸の男と目が合って、俺が見ていることに気付いた虎丸がパッと嬉しそうに笑って立ち上がったんだ。それから、レジをしめてる俺の許へバタバタと走って近寄って来やがるから、なぜか照れ隠しにぶっきら棒になってしまう。

「お前は何をやってんだ」

「えへへ。テレパシーだよ」

「…は?」

 いや、聞き返しちゃいけないとは判っていたんだが、虎丸のヤツはその凶暴そうな外見とは裏腹で、ニッコニッコと嬉しそうに笑いながら俺の手を取ったんだ。

「こっち見ろ、こっち見ろ、こっち見ろ~!…ってね。こっちを見たら、俺と北条さんは相思相愛だって思ってさぁ」

「…勝手に思ってろ」

 蒼褪めながらレジしめをしようとしたけど、気付けば虎丸のヤツから手を掴まれたままだった。

「離せよ」

「…嫌だ」

 ハァ、と溜め息を吐いて首を左右に振った。

「レジがしめられんぞ。婚約者を手伝うんじゃなかったのか?」

「!」

 バッと鋭い双眸で見詰めてきた虎丸の視線に、一瞬、怯んでしまった俺だったが、虎丸がどんな思いでそうやって俺を見たのかいまいちよく判らない。

「えへへ…俺ね」

「んー?」

 取り敢えず片手でレジしめをすることにした俺の、その握っている手に瞼を閉じてソッと口付けながら虎丸は幸せそうにうっとりと呟いた。

「北条さんのこと、ホントに好きだよ」

 腕を離してくれぇぇ…と、鳥肌を立てている俺の気持ちなんかまるで無視しやがって、虎丸のヤツは口付けたまま上目遣いで俺を見上げてきやがるのだ。
 その真摯で一途な目付きは、本気で俺のことを好きだとか言ってるのか。
 切なそうに双眸を細められても、それに応えられるほど俺は寛容な男じゃねぇ。
 もしコイツが、俺がその気になった途端に「ウソだよん!あったり前じゃん。キモイなぁ、バカじゃねぇ」とか言い出さないとも限らない。
 信じられるかそんな話。

「あー、判った判った。判ったから手を離せ」

 振り払おうとしたら余計強く握られてしまって、俺はムッとしたように眉を寄せながら虎丸を軽く睨んだんだ。そんな俺の目力なんか、悔しいが虎丸のキツイ双眸に比べれば牙のないライオンぐらいなんだろうがな、それでも虎丸はビクッとしたようだった。

「なんにも判っちゃいねーよ、北条さんは。俺がどれほど、アンタを好きなのか」

 判れと言うのか?
 28年間、男として暮らしてきたこの俺に?

「だって、俺は北条さんのこと───…ッ」

 語尾を言い終わらない間に、まるで被さるようにして虎丸の腹がグーッと盛大な声を上げて鳴いたんだ。

「…ぷ。そう言やお前、昼から何も食ってなかったな」

「…くそー、カッコつけてたのに」

 ブツブツ言ってるその間も、虎丸の腹はグーグーッとまるで田舎の蛙の合唱のように鳴り響いてる。仕方なさそうに溜め息を吐いた虎丸は、情けなさそうに眉を八の字にして上目遣いに俺を見上げてきた。

「北条さん、俺バイト料はいらないからさ。その、弁当貰って帰っていい?」

「…家で用意してるんじゃないのか?」

 あーあと、決め所を逃したとでも思っている虎丸は頭を掻きながら、なんでもないことのように言いやがったんだ。

「ウチ、母ちゃん死んでいないんだ。親父は今夜も夜勤だし。これから帰って飯作るの面倒臭いんだよなぁ」

 でも、弁当が貰えないなら仕方ないけどと、そのキツイ双眸の男はまるで待てと言われたワンコのようにジッと俺を見上げてその判断を待っているようだ。
 恐らくこの男は、その外見通り喧嘩っ早くてきかん気の強いヤツに違いないんだろうけど、俺の前ではまるで従順な犬のように静かで人懐こい。初めて煙草を取り上げた時は、何しやがるんだとそれはそれは恐ろしい目付きで睨みつけてきたのになぁ。
 あの迫力はどこにいったんだ。
 ははは、まさか本気で俺のことを好きだなんて言うよな。

「ダメかな?んー、じゃあ仕方ねーや。帰って…」

「弁当なんか身体に悪いだろ?今日は客も多くて手伝って貰って助かったし、よかったら俺んちで飯を食ってかないか?」

「…ッ」

 どーせ、いつも1人で食ってるんだ。どうせなら二人分作ったほうが旨いに決まってるからな…ん?
 どうして虎丸のヤツはこんなポカンとしてるんだ?

「あ、そっか嫌だよな。じゃあ、弁当持って行ってもいいぞ」

「あ、あ、いや。その、いいの?北条さん家に行ってもいいの??」

「ああ!いいに決まってるだろ?ヘンなヤツだな。味に保障はねーけどよ」

 ハハハッと笑ったら、虎丸のヤツはまるで極上の笑みを浮かべて、嬉しそうに首を左右に振ったんだ。

「俺、誰かの手料理なんて久し振りだ。久し振りが一番好きな人の手料理なんて、俺って幸せ者だよね?嬉しいなー」

 ニコニコと笑いながらそんなことを呟く虎丸に、またしてもドキッとしてしまう俺もどうかしてると思うが、それでも、たかが俺なんかが作る飯をこんなに喜ぶ虎丸もどうかしてると思うぞ。

「そうと決まれば早く帰ろうよ!俺、腹ペコペコだよ」

 嬉しそうにまたしても俺の腕を掴んだ虎丸は、着ていた制服を脱ぎながらいそいそと帰り支度を始めやがったんだ。
 なんだ、そんなに腹が減ってたのか。
 バカなヤツだな、あんなワケの判らんことをしてないで、パンでも食ってりゃいいのによ。
 俺はそんな暢気なことを考えながら、この虎丸と言う風変わりな男に促されるままに帰り支度を始めるのだった。

9  -狼男に気をつけて!-

 あれから辻波は俺の部屋に一泊して次の日の朝に帰った。俺はその日1日大学を休んでゴロゴロして体力を取り戻したから、次の日から大学に出ることができたんだ。
 殆ど熱を出して辻波は起きっぱなしだったけど、あんまり気にした風も、疲れた様子も見せずにヘンな言い方だけど元気に帰っていった。
 店長とは…あれっきりだ。
 来ても今度は撃退してやる!…と意欲満々の俺の殺気を感じてるのか、姿すら見えない。
 バイトは…辞めた。
 あの日は店長も休んでいたから、代理のバイト君に伝えてもらって、それで終了。
 そんなもん。あっさりしてら。
 が、あっさりしていないのは俺の日常で、店長のおかげで唯一の現金支給所を失ってしまった俺は、それでなくてもちょっと苦しくて家賃を貯めていたってこともあるからアパートを追い出されてしまった。
 なぜか?
 暴れたからだよ。店長との大立ち回りは安アパートだと壁も薄くて乱闘の音が筒抜けだったんだ。
 で、隣人と下の階の住人から苦情が大家にいって、アパートも終了。
 ああ、くそッ!

「なッ、桜沢!頼むよ、この通りだから!暫くでいいから置いてくれねーかな?」

 土下座せんばかりの勢いで両手を擦り合わせて拝む俺に、桜沢は困ったように眉を寄せている。

「でもなぁ、東城。俺、彼女と同棲してんだよなぁ」

「ゲ!彼女とかいたのかよ!?」

「失敬な!一昨日から一緒に住んでるんだよッ」

「えええ~」

 ガックリと肩を落として項垂れた俺は、隣に座っている枕崎に同じように拝んでみたがヤツの場合は狭い部屋に兄貴と二人暮しなんでペケだと抜かしやがった。他にも数人に頼み込んだがどいつもこいつも二人暮しだの実家だので無理だった。
 はぁ、今夜から野宿だなぁ…
 なけなしの生活用品一式は大家に預かってもらってるからいいけど、今夜は野宿だからもう少し預かっててもらうしかないか。

「東城」

 溜め息を吐いていると、不意に声をかけられて俺は驚いた。
 桜沢たちもそうだったみたいだ。
 なんせ、いつもは俺が追い駆けましてばかりいたあの辻波が、反対に俺を呼んだんだから、そりゃあ、みんなビックリもするだろうさ。
 講堂の出入り口になる扉の前で立っていた辻波は俺を人差し指でクイクイと手招きして、そのままそのドアから出て行った。

「辻波!」

 俺は慌てて辻波を追ってその後ろに追いついた。
 あれから辻波とは話していないから、なんかちょっと気恥ずかしくもあるけど、でも無視されるよりは随分幸せだから取り敢えずは現状の悪夢は忘れて辻波と歩きながら楽しく話をしよう。

「アパート追い出されたって?」

 ウゲッ、のっけからその話しかよ。
 どうやら現実は忘れるなと言ってるみたいだ、畜生。

「うー…まあな!」

「…東城さ、あの晩に言った言葉を覚えてるか?」

「へ?」

 えーっと、俺何か言ったのか?
 あの晩と言うと、きっと熱出して寝こんでいたときだよな?
 えーっと、えーっと。
 …思い出せん。
 まあ、でもここは話しを合わせておこう。

「あ、ああ。覚えてるさ!」 

 適当な返事で頷いてみたものの、いったい何を言ったんだ、俺よ!

「じゃあ…あの言葉は本当なんだな?」

「あの言葉って…う、うん」

 何か徒ならぬ雰囲気だけど、俺は辻波と肩を並べて歩きながら頷いたんだ。

「そうか…それなら、俺の家に来いよ」

「へ?いいのか!?」

 思わぬ方向転換した話しに追いついていなかった俺は、それでもここはチャンスだと思いきり食らいついたんだ。
 すると辻波は…まるで今まで見たこともないほど満面の笑みを浮かべて俺の好きな、あの呟くような低い声で言い放ったんだ。
 まるで宣言でもするように。

「もちろんだろ?東城は俺のモノになったんだから」

 …俺は何を言ったんだ?
 愕然としながらも、でも、それもいいかと思った。
 なぜか知らないけど、俺はずっと辻波が気になっていたんだ。これが恋なら、俺はそれを受け入れよう。
 どうせ俺にとってはいい方向に進むんだ。
 赤頭巾ちゃん、狼男には注意しなよ。
 と、辻波に言ってやらないとな。
 ニコッと笑って少し高い位置にある辻波の鬱陶しい前髪から覗くキリリとした双眸を見上げた。

「これから宜しく、東城」

 何も知らない辻波は微笑んで…そんな嬉しいことを言ってくれるから、俺も笑わずにはいられないじゃないか。
 だって、そうだろ?
 俺はきっと、もうずっと、辻波櫂貴のことを好きだったんだから…
 付き纏って付き纏って…この恋が成就するんだ。
 飛び切り最高の笑顔で笑わないでどうるすんだよ?
 なあ、辻波。
 そうだろ?

ところで、いったい誰がストーカーだったんだ?

***END***

8  -狼男に気をつけて!-

 グラグラ揺れる頭ではあんまり意識がハッキリしていなくて、何が起こったのか判らなかった。
 ただ、俺の視覚が状況として捉えたのは、藤沢が下半身丸出しの状態で鼻血を出して寝転がっているってことだ。
 限界まで開かれた足はだらしなくそのままで、切れた部分からはたまに何かぬるっとしたモノが零れるような感覚がある。な、何が起こったんだろう…?
 上半身を起こそうとして、眩暈を覚えた俺はそのまま吐きそうになった。

「…その、大丈夫か?」

 不意に頭上から聞き慣れた声が落ちてきて…落ち着いて、でも無愛想なこの声は…

「つ、辻波!?」

 あ、大声出したから頭がグラグラする。

「…桜沢に全部聞いた。おかしいと思ったからさ、その、来てみたんだ」

 遅くなってごめん、と呟いて俯いた顔は、下から覗き込んだこととかなかったから、長い前髪の隙間からいつも覗いていたあのキリリとした双眸が心配そうに俺を見下ろしていた。

「辻波!俺、酷いこと言って…ッ!」

 起き上がろうとして、腰に鈍痛が走った俺は奇妙な声でうめきながらズルズルとまた辻波の腕の中に凭れ込んでしまった。

「ムリするな。その、けっこう酷いことになってるから」

 だいたいどんな状況なのか、驚きで意識がハッキリしてきた俺は理解していたから、バツが悪くて唇を噛むしかできなかった。
 薄っぺらい毛布を被せてあったけど、でも下半身の不快感はある程度なくなっていた。痛みはまだあるけど、あのグチュグチュとした嫌なカンジはない。
 もしかして…コイツが始末してくれたのか?
 う!それはちょっと…どころかかなり恥ずかしいぞ!?
 あうあう言いながら真っ赤な顔をして辻波を見上げると、ヤツはほんの少し頬を赤くしていたけど、思ったよりも俺が元気そうだと思ったのか、安心したように小さく笑ったんだ。

「…アイツ、どうしようか?警察に突き出してもいいけど、だったら東城が…」

 辻波は俺の体裁を慮ってくれたのか、それだけ言って口を噤んでしまった。

「外、放っておいてくれてもいいけど…メンドイよな」

 チッ!あの野郎、よくも人をお、犯しやがって!!身体がまともになったら殴り飛ばしてケチョンケチョンにしてやるからな!…っと、今はそれどころじゃねぇな。
 どうしよう、アイツ。

「…外に出してもいいのか?一発殴ったらすぐに伸びたし、大丈夫だ」

 頷いた辻波が俺の頭をゆっくりと下ろして枕に置くと、立ち上がって伸びている藤沢をヒョイッと肩に担ぎ上げて部屋から出て行ってしまった。
 生ゴミに出しててくれ…
 でも辻波、こんな狭い部屋で余裕だな。
 意外だ、辻波って強かったのか。俺よりも弱いと思ってたのに…
 ああ、俺、辻波になんて言おう。
 ストーカーとか、みんながいる前で言っちゃったんだよなぁ。
 そんなことを考えているとドアが開いて、暗くてボーッとしてるように見える辻波が入ってきた。
 黒いタートルネックのセーターを着ていて、良く見ると男前なのにな。どうしてモテなんだろう。
 ハッ!だからそんなことじゃなくて!!

「辻波…その、ごめん」

「え?」

 首を傾げる辻波に、俺はなんとか上半身だけを起こしてヤツを見上げたんだ。

「みんなの前でさ、ストーカーとか言ったりして…あの」

「ああ、なんだそんなことか…」

 ホッとしたように軽く吐息を吐いた辻波は、狭い室内だけどなんとか胡座を掻いて座り込みながら首を左右に振ったんだ。

「俺の方こそ…疑われるようなことしたし。それに、謝らないとな」

「…?」

 俺が首を傾げると、辻波は小鼻の脇を人差し指で掻いて視線を泳がせた。
 何か…隠してんのか?

「なんだよ、辻波。言えよ」

「…その、あのテープを…」

「観たのか!?…みんなの前でとか?」

 自分はへっちゃらでなんでもしたくせに、いざ自分の番になると恥ずかしがる典型的な自己中野郎としては、ホントにどうしようかと考え込んでしまった。明日から、大学中の噂になってるだろうな。
 東城光太郎は変態ホモ野郎だって…自分じゃないのに、やたら似てるせいで自分のことみたいに思えてしまうんだ。あの男優。

「いや。俺1人で観たよ」

 ホッとしたのもつかの間。

「ち、違うんだからな!アレは俺じゃないから!!俺はあんな変態行為なんてしてないからな!!」

「…うん、判ってるよ。あれは東城じゃない」

 言い切られて、拍子抜けしてしまった。

「へ?」

「冒頭だけ観て、東城じゃないって思ったらホッとした」

「う、うん」

 モジモジしながら頷く俺に、辻波は不機嫌そうな仏頂面で首を左右に振ったんだ。

「確かに、俺は差し入れとか電話とかしてたし。ストーカーまがいだと思うよ。ただ、どうして東城がそんな俺の行動を受け入れてるのか判らなくて…きっと意地になってたんだと思う」

 そんな風に淡々と語る辻波の少し伏し目がちのキリリとした目が好きで、俺は思わず見惚れてしまっていて、訝しそうに眉を寄せた辻波と目があってハッと我に返った。

「や、いや!ほら、辻波さ。入学して間もない頃、俺親の反対押し切って上京したわけだから極貧でさぁ。飯もまともに食ってなかったとき、腹が鳴って。みんなクスクス笑ってんのに、お前だけ仏頂面で、無愛想にオニギリを2個くれただろ?あのとき、真剣嬉しくてさ。コイツ、いいヤツなんだって思ったんだ」

 辻波は呆気に取られたようにニコッと笑う俺を見下ろしていた。
 たぶん、そんな単純なことで?と思ったに違いない。
 そう、こんな単純なことで、俺は辻波を好きになったんだ。
 …ん?好きになった?
 不意にドキンと胸が鳴ったんだけど、俺はその意味が判らなくて胸元にかかる毛布を掴んで首を傾げていた。

「…東城って変わってるな。俺はそんなところが…」

 何か言おうとして、辻波はまた黙ってしまった。
 いつか、確か大学のあの並木道で見せたときのような、何か言いたそうなあの顔だ。

「辻波?」

「いや、それじゃあ俺は…」

 そう言って立ち上がりかけた辻波のズボンを、俺は無意識の間に掴んでいた。

「…東城?」

 不意に、ホントに唐突に、いきなり腰が抜けたと言うかなんと言うか、感覚がなくなったような気になって不安になったんだ。
 行かないでくれ…そう言いたくて、でも言えないから、俺は縋るように眉を寄せて辻波を見上げていた。立ち上がりかけていた辻波は再び腰を下ろすと、俺の手をズボンから離そうとした。でも、今更恐怖に全身を震わせている俺の手にはヘンに力が入っていてなかなか離せなくて、辻波は仕方なく諦めた。でも、そうしたらスッと力が抜けて、俺は思わず辻波の服を掴んで額をその胸元に押し付けていた。
 辻波はちょっと驚いたようだったけど、それは俺も同じことで、どうして自分がこんなことをするのか判らないんだけど、怖かったんだ。
 なんか、無性に怖くなって。
 独りぼっちになるって思ったらホント唐突で…

「辻波…俺…辻波…」

「コンビニに…その、何か栄養のつくものとか薬とか買ってこようかって思ったんだ。大丈夫、どこにもいかないよ。たぶん、夜から熱が出るだろうから…安静にしないと」

 呟く辻波に、俺は嫌々するようにギュッと両手で辻波の胸元の服を掴んで顔を埋めた。
 ええい、恥をかくならとことんだ!

「大丈夫だ。俺はここにいるよ…だから、安心して」

 呟く辻波に安心して、力の抜けた俺はそのまま意識を失ってしまった。

7  -狼男に気をつけて!-

「辻波か?」

 繰り返してもう一度聞くと、朝でも薄暗い俺の部屋の中央で腕を組んでる長身の男は、まるで何か面白そうに笑いやがった。

「辻波ってのは確か、君の同級生だったよね?」

 クスクスと笑いながら玄関から射し込む明かりに姿を現したのは…

「店長!?」

 ギョッとする俺にニヤッと笑った店長は、ゆっくりと近付いてきた。
 なんでここにいるのか、とか、さっきまで店にいたじゃないかって思いがグルグル脳内を回るけど、結局うまい表現が弾き出せずに、俺は思わずそのまま蹲って頭を抱え込みそうになってしまった。
 あ!…そうか、この人、バイクを持ってたんだっけ。
 混乱してパクパクと酸欠の魚みたいに肩で息をしながら立ち竦む俺に腕を伸ばすと、店長は人の良さそうな笑顔を浮かべて肌の質感でも確認するように少し汗ばんだ手で撫でてきた。背筋に冷たいものが走る。
 なぜか…なんてことは判らない。
 ただ漠然と、コイツはヤバイと本能が訴えてくる。

「て…店長!ど、どうしたんスか?なんか俺…」

 漸く吐き出した言葉もそんなもので、店長は小馬鹿にしたように鼻先で笑ってグイッと撫でていた手で顎を掴んで俺の顔を上向かせたんだ!

「しらばっくれるなよ。判ってんだろ?ったく、突然帰ってくるんだもんな、ビックリしたよ。でもま、それで良かったかも♪…コレで何回ヌけた?」

 ギリギリと掴んだ腕に力を込めやがるから、俺は痛みで眉を寄せながらい壁を角で軽くコツコツと叩く店長の手元を見たんだ。
 それは、その黒いケースは…

「ヌ…けるわけねーだろ!?この変態野郎!!」

 今更だけど自分が情けなくなった。
 そうか、あのストーカー行為はコイツがしていたのか。俺は馬鹿だから、てっきりあの電話だけで全部が辻波のしてくれてることなんだと思い込んでいたんだ。
 クッソ!なんて間抜けだ!!
 俺は自分の顎を掴む店長、藤沢の腕をバックを投げ出して両手で掴むと引き剥がしにかかる。
 と。

「ッ!?」

 ガツッと鈍い音がして、俺はビデオケースの角で思いきり頭を殴られてしまった。
 鈍い音がしたと気付いたときは、もうこめかみを何か熱いものが零れ落ちていて、一瞬だけ起こった立ち眩みで藤沢のヤツに引き倒されるようにして万年床に投げ倒されちまったんだ。
 クラクラする頭を振りながら見上げた藤沢は、ニヤニヤ笑いながら羽織っていたパーカーのジッパーを引き下ろしている。

「全く、いけない子だなぁ。あんな得体の知れない男にでもすぐに尻尾を振ったりして…僕の愛を疑ってるの?もっと、もっと身体に教え込んであげないとねぇ」

 クスクスと笑う。
 女どもがお付き合いしたいと黄色い声を上げる甘いマスクで。
 でも…コイツは狂ってる。

「な、何を言ってんだよ!何が愛だ!気持ちわ…ッ!!」

 鈍い音を立てて頬が鳴る。
 引っ叩かれたんだと知ったのはすぐで、それでなくても気分が悪いってのに…ったく、ホントに今日はツイてねぇ。
 遠退きそうになる意識の中で、藤沢の執拗な両手が服を次々に引っぺがしていくのを感じていた。ああ、これはもう貞操の危機だと本能が警鐘を鳴らしても、頭部に受けた打撲で身体が弛緩しきってる俺にはなす術もない。
 …スマン、辻波。
 勝手に俺の勘違いでストーカー呼ばわりとかして、迷惑しただろうな…
 助けてくれってのは無理な話だから、せめてお前のあの仏頂面とか見ておきたいなぁ…
 首筋に吸い付かれて、気持ち悪さに鳥肌が立つ。
 まだ誰にも触られたことのない部分を執拗に撫でまわされて、緩やかに、強弱をつけて扱かれると嫌でも気分が盛り上がる。
 片足を割開くようにして藤沢の肩に担がれて、それがどんな姿勢になってるのかとか理解できない俺の尻に、唐突に何かぬるっとしたモノが押し当てられた。
 何かを塗りたくった指先で、それはすぐに尻の中に挿し込まれて…思わず唇を噛み締めた。
 グリグリと乱暴に掻き回されて、俺は嫌がるように肩に担がれた足で空を蹴りながら、もう一方でもメチャクチャ暴れまわったんだけど…なぜか全く力が出ないで、それどころか挿し込まれてる指をギュッと締め付けてその感触をまざまざと味わってしまった!馬鹿だろ、俺!!

「…う…ぅぅ…」

「そんなに締め付けて…もう欲しいのか?」

 何がとか、そんなどうでもいいことは聞けなくて、それどころか掻き回す指の疼痛に眉を顰めて首を左右に振るのが精一杯だった。

「あのビデオはあんまり役に立たなかったのか。まだまだ狭い。コレだと裂けちゃうけど…ま、いいだろう」

 それが何を意味するか、昨夜のビデオが嫌と言うほど思い知らせてくれてるから、俺は懇願するように首を左右に振って泣いていた。
 未知の苦痛が尻を穿ってる。
 それだけだってこんなに痛いのに、あの、目の前にあるあんなモノが入り込んできたら…

「あ…あ!や、嫌だ!やめ…ひぃ!」

 必死で抵抗しても力の入らない腕だとなんの役にも立たなくて、引き抜かれた指の代わりにもっと太くて硬くて、灼熱のような棒がグリグリとソコに捻じ込まれてきたんだ!

「や、い、いてッ!痛い、いッッッつぅーーーッ」

 グッと歯を食い縛りでもしないとどこにこの痛みの矛先を向けたらいいのか判らなくて、俺はメチャクチャに暴れてみた。暴れても、腕を伸ばしてみても、掴むのは空ばかりで。
 捻じ込まれて、ガクガクと身体全体を揺するようにして腰を遣われて…
 誰か…こんなのは嫌だ。
 嫌なんだ!
 誰か…誰か助けてくれ。
 ふと、脳裏に過ぎるあのぶっきらぼうな仏頂面。
 ああ、俺…今更になって気付くなんてな。
 俺…俺は。
 辻波…ごめん。

6  -狼男に気をつけて!-

 ムカムカしながら木製の安っぽいドアを開けた俺は、足音も荒々しく老朽化した階段を駆け下りてバス停に向かっていた。
 結局昨日は、一睡もできなかった。
 まんじりともせずに考えていたのは辻波の真意だ。
 100円ショップで買ったバッグの中には、昨夜のビデオテープが黒いケースに入って収まっている。
 あの野郎…俺のことをなんだと思ってんだよ。
 俺はなぁ…エッチなホモビデオに出てアンアン言ってる趣味はねぇんだ!
 バスに揺られながら降り積もる怒りを深々と胸に溜め込んでいた。
 バスは俺の怒りなんかどこ吹く風でガタゴトと揺れながら大学まで一路のんびりと進んでいた。
 その途中でバイト先のコンビニを通りすぎた。
 お、店長だ。
 相変わらず女の客に人気があんなぁ。タレ目の長身ってのは何かとモテるんだろう。
 きっと、憎めない笑顔が人気の秘密だと俺は見た。
 俺だってあんな顔で笑いかけられたらそれまでの怒りが一気に萎えちまうもんなぁ。だから仕方なく夜番も引き受けちまうんだ。
 茶髪も悪い。ひよこみたいにほえーっと見えるからな!
 …。
 いや!そんなこた今は関係ない!!
 ったく、なんだってこんなことになっちまったんだ?
 俺は…無愛想で仏頂面の辻波のこと、けっこう好きなんだ。
 ちょっとした些細なことにもよく気がつくし、本を静かに読んでいるくせに妙な存在感とかあってそれなりに目立つヤツで、でも、なぜか『暗い』ってイメージだけで誰も近寄らないってのが不思議だった。
 でも…みんなが言うように、やっぱりアイツは陰湿なヤツだったのかな?
 こんな陰険なことで、『嫌いだ』って意思表示なんかすんなよ。
 バッグからチラッと覗く黒いケースを、何か汚いものでも見るような目付きで見ていたんだと思う。俺の横に座ったおばちゃんが胡散臭そうな目つきをしてるからな。
 なんか、もうマジでムカツク!
 俺はブスッとした膨れっ面で窓の外を緩やかに流れる景色を目で追っていて、思わず気分が悪くなった。
 全くついてねぇな!
 朝っぱらから車酔いかよ!?
 くそぅ!!ほんっとに覚えてろよ、辻波!
 全ての元凶がまるで辻波とでも言うように、俺は近付いてくる大学を睨みつけていた。

◆ ◇ ◆ ◇ ◆

「辻波!」

 いつも通り出入り口に近い場所に陣取っているヤツの前に立ちはだかって眦を吊り上げる俺を、辻波は読みかけの本から鬱陶しそうに目線を上げて頬杖をしたままで見上げてきた。

「…なんだよ」

 俺はその冷静な態度にますますムカツキながら、ギリッと奥歯を噛み締めてバッグの中から黒いケースを取り出した。

「?」

 訝しそうなものでも見るような目付きで俺の手元を見る辻波の野郎、何を空々しいことしてやがるんだ!

「お、おいおい。どうしたんだよ、東城…?」

 俺の剣幕に桜沢のヤツが驚いたように飛んできて、慌てたように腕を掴んできた。その腕を振り払いながら、講堂の連中が注視するのも気に留めずに苛々と怒鳴っていた。

「コレ、見覚えもねーのかよ!?ちっくしょう!お前は信じられるヤツだって思ってたのに…これじゃまるっきりストーカーじゃねぇか!気持ち悪ぃんだよ!!」

 持っていた黒いビデオケースを投げつけて、驚いたようにポカンッとする桜沢をその場に残して、俺はさっさと講堂を後にしようとした…けど、俺の耳に飛び込んできたのはポツリと言ったカンジで零れ落ちた一言。

「…ストーカー?」

 訝しそうな顔がチラついてもいたけど、それがなんだって言うんだ!?
 ホンット!コイツってばいつからこんな空々しいヤツになっちまったんだよ?
 ブスくれた俺はこのまま授業に出る気にもなれなくて、やっぱり、と言うか案の定そのまま家に帰ることにしたんだ。バイトは夕方からだし…なんかそれにも出る気になれないけど、バイトは俺のライフラインだ。クビにでもなったら大変だ。
 でもなんとか頭も冷やしたいことだし、まずはアパートに戻ろう。
 クソッ!逝っちまえ、辻波!!
 悪態を吐きながらバスに揺られて戻ってきたアパートは、やっぱり泣きたくなるほどボロっちくて、なんか唐突に怒りの萎えた俺は郵便受けを覗くことにしたんだ。
 信じていたヤツに裏切られるのはやっぱりちょっとツライ。
 古ぼけて半分以上壊れかけた郵便受けから請求書だとかダイレクトメールの束を取り出しながらそんなことを考えていて、階段を上りながら確認していた俺の足取りが唐突に止まった。
 コピー用紙にカラーで刷られたそれは、SMかなんかの広告だった。
 ただし。
 縛られてしなる鞭で打ち据えられているソイツの顔は俺で、デジカメかなんかで隠し撮りした写真を切り取って貼りつけただけの粗雑なモンだったけど、中傷誹謗の書きたてられた紙は見るのもおぞましくて気付いたらグシャグシャにしていた。
 なんなんだ、これは!?
 俺は慌てて束にしているゴムを取ってバラバラに見てみると、カラーコピーされたそのチラシが何十枚もあった。最後になっている1枚に、まるでバカにしたような丸字のフォントで
『ご近所にバラまいちゃうぞ!』と書いてあった。
 洒落になんねぇよ、これは。
 いったい何十枚コピーしてんだよ!?
 苛々しながらそれらを全部グシャグシャに丸めて、俺は階段を一段抜かしで駆け上がってから安アパートの扉を引き開けた。
 くそ!ムカツク…って、あれ?なんでドアが開いてるんだ?
 鍵を…そう思って怒りで我を忘れていた俺はハッとして室内を見渡した。
 程なくして鍵を開けて上がり込んでいるヤツの正体が判った。
 そこにいたのは…
「…辻波?」

5  -狼男に気をつけて!-

 市販のビデオをダビングしただけの粗悪な代物は画質も悪かった。なけなしのモザイクがお義理程度に隠してる部分は目を細めたら見られそうなほど薄いし、でも、チラチラ見える顔は、あの顔は…俺だ。
 もしかしたらただの勘違いかもしれない。それだったら俺だって救われるってのに…俺のアイコラなんじゃないかって思うほど良く似た男は、同じ野郎に犯されながら恍惚とした表情を浮かべている。両手を縛られて、まるで無理やり咥え込まされてるようなのに、なんだってそんな嬉しそうな顔してるんだよ!
 まるで自分が犯されてるような気分になって、吐きそうになった。
 開きっぱなしの口元からは唾液が溢れてて、ボリュームを絞った向こうで相手の野郎が何か言っている。
 良く聞き取れなくて…聞き取りたくもなくて、でも嫌でも画面から目が離せないでいる自分に驚いた。
 消しちまえ!こんなモンッ!!
 なのに、リモコンを握る手が動かない。
 画面の中では何かを懇願するように目許から涙を零す男の、その口元に凶悪な光を放つ無機質なものが押し当てられていた。
 子供の手首ぐらいはありそうな…バイブ?
 や、やめてくれ。
 ビデオの中の男と、一瞬だけどシンクロした。
 無理やり押し込まれて、嗚咽しながらその醜悪な代物に舌を這わせる男は、これから自分を責め苛むであろうその玩具に、何かを期待してるとでも言うんだろうか?潤んだ目付きで、俺には背中を向けている野郎を食い入るように見ている。
 俺の顔で。
 グロテスクな形を持つプラスチックのそれを舐めながら、誘うように目を細めて、野郎の腰遣いが激しくなっても男はそれをやめようとはしなくて…結局叩かれた。
 小さく悲鳴を上げた男の口が切れたのか、口元から血を流す男を野郎は問答無用で繋がったまま身体を反転させて、やっぱり男に悲鳴を上げさせていた。
 ギチギチに野郎を含んでいる部分がアップで映されて、思わず目を覆いたくなるような出来事が展開されたんだ!おぞましくて…でも目が離せない。
 なんだって言うんだ…
 ギチギチで、その部分は野郎のソレだけでも一杯だってのに、その脇から、男の口から落ちた唾液まみれのバイブを挿入しようとしている。
 嫌がって首を振る男の項を押さえ付けて、限界よりもさらにめい一杯押し開きながら入りこんで行く無機質の塊に、男の絶叫が響き渡る。その瞬間、ピシッと裂ける音が聞こえたような気がして、男のその部分は野郎とバイブを飲み込んでいた。
 ぬらぬらと血を纏わりつかせた野郎の不気味な性器は、別の物体に犯されて悲鳴を上げている部分に捻じ込まれては律動を繰り返す。
 なのに男は、俺の顔をした男は…恍惚とした顔をして射精していた。

◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 たぶん俺は、呆然としていたに違いない。
 ザーッと砂嵐が流れる画面を、いったいどれぐらい観ていたんだろう。
 ハッと気付いたときには、無意識にビデオを止めてテレビを消していた。
 股間が熱くて、驚いたことに…俺は勃っていた。
 アダルトなんか中坊の頃に悪友どもと腐るほど観ていた。耳年増ってだけのことだけど、あの頃のビデオは女の裸体とモザイクだらけの部分を想像することだけが精一杯で、それをおかずに夜を過ごしていたんだ。
 そりゃあ、勃ったさ。
 でもあれは、当たり前のことなんだ。
 女の身体に素直に反応することのナニが悪いって言うんだよ?
 でも、これは違う。
 男が、同じ男に犯されてる…ホモビデオじゃねーか!
 …俺は正直な話、辻波の趣味に驚いていた。
 アイツ…いつもこんなことを想像してたのか?俺に似たヤツのビデオを観て、お前もオナッてたって言うのかよ!?
 それとも…本当はやっぱり、ただの嫌がらせなんだろうか。
 熱を持て余して勃ち上がっている息子を撫で付けるようにして扱きながら、俺はその味気ない快感を手持ち無沙汰で追いながら、ぼんやりと考えていた。
 辻波はしつこく付きまとう俺を嫌っていた。
 だから、あんな風にストーカー紛いなことをして、本当は俺を遠ざけようとしていたんだろうか…?
 どっちにしても、ムカツクんだよ!
 半ば投げやりに扱いてさっさとイっちまうと、俺はティッシュで自棄っぱちに掌に零れた濃厚な白濁を拭うとゴミ箱に投げ捨てた。
 それでなくても汚れているんだから、ゴミ箱がどんな役に立っているのかはこの際無視して、俺は万年床の布団にダイブした。
 問題は辻波が何を考えているかってことだ。
 俺に彼女が数年間いないことと同じぐらい重要だぞ。
 悶々とした思いを一杯に抱えながら、俺は早く朝が来ることを望んでいた。
 明日は1限から授業だ。
 ちっくしょう!待ってろよ、辻波!!

4  -狼男に気をつけて!-

 ヘトヘトに疲れてバイト先から帰りついたのが午前様、全くツイてないと言うかなんと言うか…
 今日は思ったよりもお客の入りが多くて、最近別のバイトくんが辞めちまったってのもあったもんだから、こうして午前様も仕方ないってワケだ。
 なんつっても24時間営業だから文句は言えないんだけど…
 カンカンと古びた金属製の階段を上がって安っぽいアパート2階の自室、やっと息のつける昭和初期も真っ青な狭い部屋に入る為の木製のボロッちぃ扉の金属のノブに、やっぱりいつも通りコンビニのビニール袋が下がっている。
 アイツもマメだよなぁ…とか思いながら、思わずニヤける顔に叱咤して。

「あり?今日は俺がバイトしてるコンビニの袋だ…そっか。これを買うためにわざわざあんな遠くまで買い物に来たのか」

 それを知るともっと嬉しくなって、俺はなんの疑いもなくぶら下がっているビニール袋に手を出した。

「…?」

 ビニール袋の中の異質感。
 なんだ、これ?
 俺の見慣れたビニール袋の中、珍しく500ml入りの牛乳パックとパン、それから…ビデオ?
 なんだってビデオテープなんか入ってるんだ?
 レンタルで返すのを忘れてこの中に入れたとか?でもおかしいな、黒いケースに収まっているそれは背面にタイトルを示すテープが貼っていない。明らかに…もしかして。

「アダルトかよ!?辻波ぃ~勘弁してくれよぉ」

 とか言いながら、本当は興味津々だったりして…
 巻き戻して返せば、アイツも気付かないだろうしなぁ…見ちまおうか?
 鍵穴にキーをさして、開けるのももどかしく思いながら金属のノブを回す。
 案の定、いつも通りゴキちゃんと仲良く眠れそうな散らかし放題の部屋の真中、万年床の少し上の方に無造作に置いてある電話には留守電ランプが赤い点滅を繰り返していた。
 20件以上も無言の上に、辻波の陰気な声でのお出迎えよりも、今はやっぱりビデオでしょう!
 はあはあ言いながら楽しませてもらいます!!
 …けど、うーん。
 やっぱりいつも通り聞いておこうかな。
 せっかく、辻波が連絡くれてるんだし、無精者でぶっきらぼうで愛想なしの仏頂面のアイツが。
 気付いたら留守電の赤いランプを押していた。
 巻き戻しが終わって、機械的な女の声で件数が告げられる。

『13件です』

 ああああ…またしてもこの回数かよ。縁起悪ぃし多過ぎだっての!
 ムカツキながらも根気良く無言電話を無視して辻波の声を待った。
 ピーと言う発信音の後…

『お帰り…えーっと。じゃ、また大学で』

 拍子抜けするほどあっさりと切れたメッセージに、俺はポカンとしちまった。
 いつもならちょっとした感想だとか、労いとか入ってんのに…そっか、アイツ。俺が声の相手が自分だと知ってるって思ったから、バツが悪くなっちまったのかな?
 だとしたら…このビデオを観る行為ってのはもしかして、かなり拙いのではなかろうか?
 まんじりともせずに布団の上に置いたビデオテープの黒いケースを睨みつけていた俺は、それでもと言うか、やっぱりと言うか…好奇心に負けてしまった。
 し、仕方ないよな?風が吹いただけでも勃つお年頃…からは少し時期が外れてるけど、それなりに女の身体には興味あるし、辻波のヤツがどんなタイプが好きなのかとか気になる要素大だから無視するわけにはいかないだろう。
 『観てください』ってスタンバってるワケなんだし。
 よし、観よう!
 決心して、それでも愚図る手には愛のお仕置きをしてから、俺は黒いケースからなんの変哲もないカセットを取り出した。
 どんなに俺が貧乏と言えど、なぜかビデオデッキだけは置いてあるんだよな。DVDとか洒落たものはないんだけど。
 挿入口にカセットを押し込んで、薄い壁だし、ボリュームは極力絞って画面を待つ。
 砂嵐が暫く続いて、すぐにその映像は現れた。

『…ぅあ!…ん。あん!…あ、あ、あ…あぅ…』

 絞った音量はのっけからお楽しみの真っ最中だと教えてくれたけど、俺の耳はもう、そんな音を聞いてなんかいなかった。ただただ、画面の中で必要以上に喘ぐヤツの、男のナニを受け入れて気持ち良さそうにヨガるヤツの、その顔を食い入るように見ていたんだ。
 男を咥え込んでヨガるソイツ…まさに俺だったんだ。

3  -狼男に気をつけて!-

 セーフで辿り着いたバイト先は某有名チェーンのコンビニだ。
 水色と白のボーダーシャツを着た愛想の良い店長が女性客と話している。ヤツがけっこう人気があるから、この店は繁盛してるんだそうだ。オーナーがそんなことを言ってたっけ。

「やあ!東城くん」

 俺を目敏く見付けた店長こと藤沢実は爽やかに笑って声をかけてきた。

「うぃっす!遅くなりました!」

 元気良く声をかけると、ありがとうございましたと女性客を見送った店長が思ったよりも敏捷な動きで俺に近付いてきたんだ。二の腕をグッと掴んで、顔は笑顔のままで言う。

「心配したよ!例のストーカー野郎に悪戯でもされてるんじゃないかってね」

「冗談キツいッスねー」

 寝言は寝てから言ってくださいよー。ニコッと笑って付け加えてやると、藤沢のヤツは大らかに笑って1本取られたとかなんとか言ってるけど、腕は離してくれねーのか。
 この時間帯、実は一番お客が来ないから店長はこんな風に悪ふざけを仕掛けてくるんだ。
 迷惑なヤツだ。
 だいたい、なんだっていつもこの時間帯ばっかなんだ?深夜だったら深夜給で時給も上がるってのにな。畜生だ。

「ストーカー野郎に襲われたら間違いなく店長に助けを求めるんで、可愛がってくださいね」

 うふんっと笑ってやると、店長は任せないさいと胸板をドンッと叩いて見せる。
 悔しいんでこんな風に店長をからかったりからかわれたりして遊んでやるんだ。

「そろそろ腕を離してくださいよ。制服に着替えてくるんで…」

「ああ!申し訳ないね。うん、着替えておいで」

 漸くパッと腕を離した店長から離れて白い扉をくぐると、奥に続く薄暗い廊下を通って狭い更衣室に入る。更衣室と言ってもヤロー専用となると質素なもので、安っぽいパイプ椅子と長机が1個、それと小さなロッカーが人数分あるぐらいだ。
 軽く羽織っていた上着を脱いで、T-シャツの上から制服を着こんでいざ!カウンターへ。
 そこではちょうど店長がレジを打っている最中だった。
 いらっしゃいませーと、ヤル気なく声を掛けて客を見た瞬間、俺は思わずポカンとしてしまった。
 なぜならソイツは…

「辻波?」

 思いっきり…とは言わないまでも、やっぱりけっこう驚いた。
 俺がここでバイトしてること、知ってたのか。
 それとも、ただの偶然?
 なんにせよ俺は、ちょっと嬉しかったんだ。

「あれ、東城くんの知り合いなのかい?」

 手にしていた500mlの牛乳パックをビニール袋に入れながら、店長は少し怪訝そうな顔をした。
 ヤッバイ、ヤバイ。
 俺って、もしかして今、ニヤけてたとか…

「あ、ああ、はい。大学で同じ学部のヤツなんスよ」

 な?辻波!…と目配せで笑うと、辻波のヤツは然して驚いた様子も見せずにチラッと俺を見ただけで、金を払うとサッサと出て行ってしまった。無愛想この上ないヤツだ。
 呆気に取られたようにポカンッとしていた店長は、やれやれと溜め息を吐く俺を呆れたように振り返りながら、嫌味でも言うようにニヤッと笑ったんだ。

「なあ、東城くん。もしかして、今のが件のストーカーくんだったりしてね」

 核心を突くような抉り込んだ言葉に一瞬、心臓が跳ね上がるような錯覚がして、俺は息をするのを忘れたように唾を飲み込んで…

「まっさかぁ!何言ってるんスか。アイツ、確かにちょっと根暗そうですけど、意外にいいヤツなんスよね」

 笑ってそう言った。
 店長はいまいちの表情をして肩を竦めたけど、それ以上は何も言わなかった。
 ま、他人事だし。ホントはどうでもいいんだろう。
 俺が店長でもそうしてるモンな。一応相談には乗るけど、それ以上のことは押し付けるな、ってのが今の世の中だ。
 ああ、でも辻波が来たんだ。
 相変わらず無愛想だったけど、いつものことだし、けどヤツを知らない他人にしてみたらヘンなヤツに見えるんだろうな。
 ストーカーかぁ。
 まあ、そんなモンなんだろうけど。
 でも、アイツの無愛想の奥にはホント、いいヤツの素顔が隠れてるんだぜ?
 あれだけプッシュしてもちっとも振り向いてくれなかった辻波が、ほんのちょっと歩み寄ってくれた、そんな気分だ。ああ、なんかマジ、いい気分だな。
 ストーカーでもなんでもいい。
 もっと俺を信頼してくれればいいのに…
 こんなこと言ってると、まるで俺の方がストーカーみたいだ。
 ヤバイやつだよな、俺も。